福の花孝一

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基礎情報
四股名 福島 孝一→福の花 孝一→福ノ花 孝一→福の花 孝一
本名 松井 孝一
愛称 フックの花
生年月日 1940年7月1日(74歳)
出身 熊本県菊池郡合志市
身長 183cm
体重 135kg
BMI 40.3
所属部屋 出羽海部屋
得意技 突っ張り、張り手、右四つ、寄り
成績
現在の番付 引退
最高位 関脇
生涯戦歴 638勝622敗32休(108場所)
幕内戦歴 421勝466敗28休(61場所)
優勝 幕下優勝1回
敢闘賞7回
データ
初土俵 1958年5月場所
入幕 1965年9月場所
引退 1975年11月場所
引退後 年寄・関ノ戸
備考
金星5個(玉の海2個、北の富士2個、輪島1個)
2014年3月5日現在

福の花 孝一(ふくのはな こういち、1940年7月1日 - )は熊本県菊池郡合志町(現在の合志市)出身で出羽海部屋所属の元大相撲力士。得意技は突っ張り、張り手、右四つ、寄り。本名は松井 孝一(まつい こういち)(入門時の姓は福島)、身長183cm、体重135kg。岳父は元小結和歌嶌。最高位は東関脇(1971年1月場所)。

来歴[編集]

部屋の先輩である横綱佐田の山譲りの突っ張りが得意で、その強さは1970年1月場所で当時大関北の富士張り手一発で倒し脳震盪をおこさせるほどだった。このため四股名をもじってフックの花(張り手をボクシングのフックに例えた)と呼ばれた。出世は必ずしも早いとはいえなかったが、長く幕内上位で活躍した。1970年5月場所と翌7月場所には玉の海から連続して金星を奪う大活躍を見せ、前者に於いては8勝7敗での敢闘賞に与り、後者においては7勝8敗の負け越しに終わったものの結果としてこの場所の玉の海に唯一の黒星を付ける大殊勲となった。[1][2]新関脇となった1971年1月場所(初日から8連敗のあと休場、結局関脇はこの場所のみ)の時点ですでに30歳を越していて、当時の幕内では珍しい高年齢と話題になった。

一時代を築いた柏戸大鵬とはいずれも引退当日の対戦相手となり、不戦勝を得るというエピソードを残している。なお、実際の対戦では柏戸に勝ったことはあるが、大鵬には1度も勝てなかった(初顔合わせから10連敗)。

部屋の後輩三重ノ海に期待を寄せ、「五郎(三重ノ海の本名)が大関になるまでは引退しない」と頑張っていた。1975年、幕内で1年6場所連続して負け越し、11月場所でついに引退を決意したが、その場所三重ノ海は13勝2敗の成績で幕内初優勝を遂げ、大関昇進を決めた。三賞はいずれも敢闘賞で、7回受賞は引退当時同賞の最多受賞記録だった(のちに貴闘力が10回で更新)。三賞受賞が全て一部門に集中した力士としては最多の三賞受賞回数を誇る。

引退後は永く協会在勤の委員として協会事務に携わり、2000年には役員待遇に昇格、2005年に停年を迎えた。停年後も関ノ戸年寄名跡を引き続き所有し、貸株として運用していたが、2008年に岩木山に年寄株を譲った。

2009年3月場所より部屋の後輩・朝日盛(本名・福本修司)が新たに「福の花」を襲名したが、これは同年出席した新年会の席で「名字が福本なら使えばいい。」と勧めたものである。

略歴[編集]

  • 1958年1月場所 初土俵
  • 1964年7月場所 新十両
  • 1965年9月場所 新入幕
  • 1975年11月場所 引退

主な成績[編集]

  • 通算成績:638勝622敗32休 勝率.506
  • 幕内成績:421勝466敗28休 勝率.475
  • 通算在位:108場所
  • 幕内在位:61場所
  • 三役在位:7場所 (関脇1場所、小結6場所)
  • 三賞:7回
    • 敢闘賞:7回 (1967年11月場所、1970年5月場所、1970年11月場所、1971年3月場所、1972年1月場所、1972年11月場所、1974年11月場所)
  • 金星:5個(玉の海2個、北の富士2個、輪島1個)
  • 各段優勝
    • 幕下優勝:1回(1964年5月場所)
福の花孝一
一月場所
初場所(東京
三月場所
春場所(大阪
五月場所
夏場所(東京)
七月場所
名古屋場所(愛知
九月場所
秋場所(東京)
十一月場所
九州場所(福岡
1958年
(昭和33年)
(前相撲) (前相撲) 東 序ノ口 #12
4–4
 
西 序二段 #110
4–4
 
東 序二段 #103
5–3
 
西 序二段 #79
5–3
 
1959年
(昭和34年)
西 序二段 #63
6–2
 
東 序二段 #32
4–4
 
東 序二段 #27
3–5
 
西 序二段 #30
3–5
 
東 序二段 #37
4–4
 
東 序二段 #35
3–3–2
 
1960年
(昭和35年)
西 序二段 #37
5–3
 
西 序二段 #1
6–2
 
東 三段目 #65
5–3
 
西 三段目 #38
2–5
 
東 三段目 #54
4–3
 
西 三段目 #42
5–2
 
1961年
(昭和36年)
西 三段目 #19
3–4
 
東 三段目 #28
5–2
 
東 幕下 #88
4–3
 
東 幕下 #77
5–2
 
西 幕下 #60
4–3
 
西 幕下 #56
5–2
 
1962年
(昭和37年)
西 幕下 #36
5–2
 
西 幕下 #21
2–5
 
東 幕下 #31
4–3
 
西 幕下 #25
2–5
 
西 幕下 #36
5–2
 
西 幕下 #26
2–5
 
1963年
(昭和38年)
西 幕下 #36
4–3
 
東 幕下 #32
5–2
 
西 幕下 #25
4–3
 
西 幕下 #19
3–4
 
西 幕下 #21
2–5
 
東 幕下 #29
3–4
 
1964年
(昭和39年)
西 幕下 #36
4–3
 
西 幕下 #27
6–1
 
西 幕下 #14
優勝
7–0
西 十両 #18
10–5
 
西 十両 #9
8–7
 
西 十両 #5
10–5
 
1965年
(昭和40年)
西 十両 #1
休場
0–0–15
東 十両 #14
9–6
 
西 十両 #5
8–7
 
東 十両 #2
10–5
 
東 前頭 #14
10–5
 
西 前頭 #5
6–9
 
1966年
(昭和41年)
西 前頭 #7
9–6
 
東 前頭 #5
休場
0–0–15
西 前頭 #15
11–4
 
東 前頭 #7
9–6
 
東 前頭 #2
5–10
 
東 前頭 #5
9–6
 
1967年
(昭和42年)
東 前頭 #1
8–7
 
西 小結
7–8
 
西 前頭 #1
9–6
 
西 小結
2–13
 
西 前頭 #4
7–8
 
西 前頭 #5
11–4
1968年
(昭和43年)
西 小結
6–9
 
東 前頭 #2
4–11
 
東 前頭 #7
4–11
 
東 十両 #2
10–5
 
西 前頭 #10
9–6
 
東 前頭 #7
9–6
 
1969年
(昭和44年)
西 前頭 #3
8–7
 
西 前頭 #1
3–9–3[3]
 
西 前頭 #7
8–7
 
西 前頭 #2
6–9
 
東 前頭 #4
5–10
 
西 前頭 #8
10–5
 
1970年
(昭和45年)
東 前頭 #3
5–10
 
東 前頭 #6
8–7
 
西 前頭 #4
8–7
東 前頭 #1
7–8
東 前頭 #2
6–9
西 前頭 #4
11–4
1971年
(昭和46年)
東 関脇
0–9–6[4]
 
西 前頭 #6
10–5
東 小結
7–8
 
東 前頭 #1
5–10
 
西 前頭 #6
8–7
 
東 前頭 #3
6–9
 
1972年
(昭和47年)
西 前頭 #3
10–5
西 小結
8–7
 
西 小結
6–9
 
西 前頭 #2
4–11
 
西 前頭 #6
3–12
 
東 前頭 #14
11–4
1973年
(昭和48年)
東 前頭 #3
6–9
 
東 前頭 #6
8–7
 
東 前頭 #2
6–9
 
東 前頭 #5
6–5–4[5]
 
東 前頭 #10
7–8
 
東 前頭 #11
8–7
 
1974年
(昭和49年)
東 前頭 #10
9–6
 
西 前頭 #4
6–9
 
西 前頭 #7
8–7
 
東 前頭 #3
5–10
 
東 前頭 #7
7–8
 
西 前頭 #10
10–5
1975年
(昭和50年)
西 前頭 #1
6–9
 
西 前頭 #4
6–9
 
西 前頭 #6
7–8
 
西 前頭 #7
7–8
 
西 前頭 #7
6–9
 
東 前頭 #10
引退
5–10–0
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 十両・幕下
三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)

改名歴[編集]

  • 福島 孝一(ふくしま こういち):1958年1月場所→1959年3月場所
  • 福の花 孝一(ふくのはな こういち):1959年5月場所→1959年9月場所
  • 福ノ花 孝一(ふくのはな こういち)(番付上、行司の誤記による):1959年11月場所→1960年1月場所
  • 福の花 孝一(ふくのはな こういち):1960年3月場所→1975年11月場所

年寄歴[編集]

  • 関ノ戸(1975年11月-2005年6月)

脚注[編集]

  1. ^ 通算対戦成績は福の花の4勝11敗。
  2. ^ 新潟日報/昭和45年7月6日(月)10面=スポーツ面から
  3. ^ 右股関節挫傷・右大腿筋挫傷により12日目から途中休場
  4. ^ 右網膜硝子体出血により9日目から途中休場
  5. ^ 右足甲関節捻挫により11日目から途中休場

関連項目[編集]