引退
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引退(いんたい、英:retirement)とは、官職や地位等から退いたり、スポーツ選手などが選手としての身分を離れたりする事である。プロスポーツ選手の他、スポーツを行っている学生・生徒らが最終学年となって高校・大学受験・就職活動等で試合出場の機会が無くなり、所属するクラブや部活動から離れる事も引退と呼ばれる。
プロスポーツの場合、あらかじめ引退が予告される事があり、その場合、引退試合とされることがある。大相撲の引退においては取組としての引退試合はなく、引退宣言後の断髪式が有名である。
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[編集] スポーツ
[編集] プロ野球
プロ野球選手が引退する際、その手続きには次のような種類がある。但し、引退の為ではなく、移籍、傷病の治療等を前提にこれらの措置が執られる場合がある。
[編集] 任意引退
原則として契約期間中又は保留期間(契約更改の為の期間)中、選手の希望により[1]行う引退のことを言う。
現在では任意引退とは日本のみならず世界各国のプロ野球に所属することが出来なくなるが、野茂英雄がメジャーリーグに移籍した際にはまだ他国のプロ球団については規定がなかった為、日本において任意引退選手となって移籍している。この他に練習生制度があった時期には、長期間の故障やマイナーリーグに野球留学をする際に一度任意引退選手公示された者もいる。
任意引退した選手が現役に復することも可能であるが、原則として任意引退は選手の希望によるものであるため、プロ野球界に復帰する場合には最終所属球団に復帰しなければならず、他球団に復帰する場合には最終所属球団の許可が必要である。例えば前述の野茂についてもメジャーリーグを引退した現在も日本球界に選手として復帰するためには最終所属球団である近鉄バファローズを引き継いだオリックス・バファローズの許可が必要である。
また、純粋に選手からの希望ではなく球団との合意の上で余力を残して引退し、監督・コーチへ就任する場合や功労選手に対する慰労・敬意の表れとして自由契約ではなく任意引退とすることもある。
なお、プロ野球選手であった者がアマチュア野球の選手・指導者に転身するためには最終所属球団からの自由契約となる必要があるため、任意引退後に改めて自由契約公示がなされる場合がある。アマチュア野球の指導者となるために任意引退選手から自由契約公示がなされた例としては1979年に任意引退となった外木場義郎(2004年に広島東洋カープから自由契約公示)、1985年に任意引退となった定岡正二(2006年に読売ジャイアンツから自由契約公示)などの例がある。
[編集] 自由契約
日本プロフェッショナル野球協約(以下、野球協約)の規定により、球団との契約を解除されたり、球団が保有権を失った選手のことを「どの球団も自由に契約できる選手」ということにより自由契約選手という。この自由契約選手になることそのものが即座に引退に直結するものではなく、いずれの球団であっても自由に契約を結べる選手であるということに過ぎない。しかし、他球団も含めて何れかの球団との契約を結べなかった場合には実質的に引退することになる。なお、ひとたび契約締結できずに翌シーズンに入り、実質的に引退となった場合であっても何れかの球団と契約を結ぶことで現役に復することもある(2003年シーズン終了後に中日ドラゴンズから自由契約公示が為された後、2004年シーズン途中にオリックスで復帰した栗山聡など)。
一番多い形態としては保留選手名簿に記載されないことによる自由契約である。日本プロ野球においてはシーズン終了後に球団が次年度も引き続き契約する意思のある選手のリストである保留選手名簿をコミッショナーに提出し、12月2日にコミッショナーはこれを公示するが、この名簿から外れた場合、自動的に自由契約選手となる。なお、各球団はこの保留選手名簿の提出、コミッショナー公示に先立って当該選手に対して次年度は契約を結ばないことを告げる戦力外通告を行っている。これはプロ野球選手会との協定によるもので、保留選手名簿の公示が為される12月2日以前にトライアウト、入団テストなどが行われることが通例である為、公示までに契約を結ばないことを明らかにすることで当該選手が翌年も他球団に所属できる可能性を残す為である。
また、自由契約選手公示を行うことはシーズン中であっても可能であるが、その場合にはトレード禁止期間であってもこの自由契約選手公示を行うことで実質的にトレードが行えるようにならないよう、自由契約選手公示に先立ってウエイバー公示[2]が為される。この公示が為された後の7日間、下位球団から順に当該選手の契約譲渡を受ける権利を有することになり、どの球団も契約する意思を示さなかった場合に限って自由契約選手となる。
なお、英語においては自由契約選手もフリーエージェント(Free Agent)と表記されるが、これはいわゆるフリーエージェント制度によるものとは別個のものである。
[編集] 失格選手
失格選手とは野球協約により、日本野球機構の構成員(選手は言うに及ばず、監督、コーチその他の職も含まれる)たる資格を失った選手を言う。失格選手には有期、無期、及び永久の三つがあるが、このうち永久失格選手は原則として処分が永久のものであり必然的に引退を余儀なくされる。永久失格となる要件としては、所属球団を故意に敗れさせる敗退行為などが挙げられており、これにより引退した例としては1969年から1971年の間に起こった黒い霧事件によって永久失格となった6人の選手がある。永久失格は一般には永久追放といわれることが多い。
なお、2005年までは永久追放された場合には現役に復する余地がなかったが、2005年の野球協約改正により、処分より15年が経過し、改悛の情が認められる者については処分を未来に向けて解除する条項が新設されたため、現在では失格選手となった場合であっても現役に復する余地はあるが、これにより現役に復した選手はいない(現実問題として、15年のブランクを経て現役復帰できる実力を維持しているケースはほとんどありえない)。
また、無期失格選手となった場合も資格を失っているのであるから、必然的に引退を余儀なくされる。これにより引退した例としては失踪した高山忠克、バール・スノーなどが挙げられる。ただし、無期失格選手の場合、野球賭博などに関連していなければコミッショナーの判断により失格を解除できることから、現役に復する可能性はあるが、これにより現役に復した選手はいない。
[編集] 支配下選手登録抹消
支配下登録にある選手がそのまま死去した場合、支配下登録を抹消する。これは当該選手がすでに死去している為の措置であり、引退とはやや趣旨の違うものである。
[編集] 大相撲
大相撲においては、現役力士として取組に挑むことを辞めても、引き続き角界に身を置く場合を「引退」と表現し、現役を退き角界に残らない場合や、親方が定年前に角界から離れる場合を「廃業(はいぎょう)」と呼んでいた。
公式には1996年(平成8年)11月17日以降、その後の去就に関わらず現役を退くことを「引退」、親方を定年前に辞めることを「退職」と表現するように改めた。そのきっかけは、同年10月に現役中だった旭道山和泰が突如衆議院議員立候補を決意、当時の境川理事長(元横綱・佐田の山)に廃業届を提出したからであるが、その時の「廃業」の語感・イメージが悪いからとされる。
幕内を30場所以上務めた力士に対しては引退相撲が行われる。力士の後援会等が主催し、ふれ太鼓、相撲甚句、髪結い実演等、1日に渡って盛大な催しとなる。その内最も有名なものが断髪式で、力士の大銀杏を交替で多数の人々(数百人規模になる事がある)が少しずつ鋏で切り取り、最後に師匠(何らかの理由で不可能な場合は一門を代表する親方などが代わって行う。詳細については断髪式の項を参照のこと)が止め鋏を入れて完全に切り取る儀式である。また横綱の場合は断髪前に最後の横綱土俵入りを行う。また、現役時代の好敵手や息子を相手にして実際に相撲を取ることもある。なお、プロ野球に見られるような「引退を公表した上で『引退試合』と銘打った公式戦に出場」ということは大相撲ではありえない。これは「死に体になった人間が出るのは相手に失礼」ということからであり、大鵬や小錦などの例が有名である。琴ノ若や潮丸のように師匠の定年をもって引退して部屋の後継者になることが確定している場合でも、実際に引退表明するまでは決して「師匠の定年で引退」とは公言しないのが普通である。
行司でも定年退職すると引退相撲が行われることがある。特に立行司は軍配を次の立行司に継承させる儀式を行う為に開催することが多い。
[編集] サッカー
サッカーの場合、引退と定義する一つのケースとして日本サッカー協会への選手登録を取り消した場合が挙げられる。これは野球と違いプロとアマチュアの垣根が低い為であり、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)以外の国内クラブでの活躍により再びプロ選手となる事もよくあるからである。
選手が引退をするケースには、本人の意思により契約を更新しない場合と、所属クラブから11月末までに来季契約をしないという通知(いわゆる「0円提示」)が出される場合がある。前者はプロ野球における「任意引退」、後者は「自由契約」に類似するが、保有権は生じない。
選手によってはその後、日本サッカー協会による「移籍リスト」に掲載されてトライアウト等により自由に所属先を探すことになるが、リストの有効期限内に引退となるケースも多い。又協会への登録は残したまま所属不定の為に事実上「引退」となるケースもあり、翌年のトライアウトには「所属なし」の選手として参加する事も多く見られる。
[編集] プロバスケットボール
プロバスケットボールの場合、日本プロバスケットボールリーグ(bjリーグ)と日本バスケットボールリーグ(JBL)が存在し、それぞれ引退の定義が異なる。
bjリーグの場合、選手契約が満了あるいは解除となり、競技を続行する意思がない場合に引退とされる。
JBLの場合は引退選手リストに登録される、あるいは移籍選手リストに登録されて移籍先が決まらなかった場合に引退とされる。ただし引退選手リストに登録されても海外移籍など現役を続ける場合もある。
[編集] プロボクシング
プロボクサーの場合、JBCによるプロライセンスが失効となった時点で引退となる。ただしJBCライセンスが失効した場合でも海外でライセンスを取得した場合は当該国での試合が可能になる。
プロライセンス失効となるケースは以下の通り。
- 「引退届」が受理された場合。
- 原則的に37歳となった場合。
- 2001年のルール一部改正により、現役のチャンピオンは王座から陥落するまで、また、トーナメント戦に出場している者はそのトーナメントで優勝・敗退するまでライセンスの失効は猶予される(最初に適用された選手は寺地永)。
- 2003年のルール一部改正により、WBA、WBC認定の世界王者、OPBF認定の東洋太平洋王者、あるいは日本王者となったキャリアを持つ者、WBA、WBC認定の世界タイトル挑戦経験者、そして現役の世界ランカー(WBA、WBCの15位以内)に限り、37歳を過ぎても試合に出場することができる。ただし、この特例の申請はその選手の最終試合から5年以内とし、コミッションドクターによる特別診断をパスすることが条件となる(特例を適用された選手には西澤ヨシノリ、リック吉村らがいる)。
- 網膜剥離や脳内出血など健康上重大な問題が発覚し、JBCから引退勧告を受けた場合。
- JBCルールに違反し、日本国法律に抵触し、その他ライセンスを交付される資格に欠けると裁定された場合。
世界王座経験者など一定の功績を上げた選手は、ライセンス失効後に引退式と称してエキシビションマッチが行われる。
引退を表明しても「引退届」を提出せず、ライセンスの期限を待つ選手や、ライセンス更新は続けているものの試合出場はなく実質引退となっている選手も少なくない。
また、一度ライセンス失効になって引退となった場合でも、JBCがライセンス再付与を認めれば現役復帰が可能となる。
[編集] 競馬
競走馬の場合、日本中央競馬会 (JRA) では競走馬登録を抹消した時点で引退となる。
引退式については、
など、競馬発展に多大な功績を残した馬で希望すれば競馬開催日に行うことができる。ただし、引退式にかかる経費は馬主の負担となる。
騎手の場合、騎手免許取消願が受理された時点で引退となる。定年制は設けられておらず、引退は体力の限界を判断した場合、成績低迷により騎手としての収入が少なく生活の維持の為には収入が安定する調教助手への転向が必要と判断した場合など、自らに委ねられる。
中央競馬の調教師には定年制が導入されており、70歳を過ぎた最初の2月末を以て調教師免許が自動的に失効となり、調教師としての資格を返上することになる(そのため、内藤繁春調教師は定年の無い騎手に転向しようと騎手免許試験を受験した)。また実績に乏しい調教師は定年が間近になってくると、管理する馬が集まらなくなる傾向にあり、また、優勝劣敗の厳しい勝負の世界であるがゆえに、管理馬の成績不振を直接の原因として厩舎経営に行き詰まるなどして、そのため定年前に自ら調教師免許を返上して厩舎を解散、引退する調教師も少なくない。
地方競馬の調教師については、主催者により千差万別である(定年制の有無など、競馬場毎に規定が定められている)。
なお、競馬法に違反する事件・行為などにより、資格を管理する組織(日本中央競馬会・地方競馬全国協会)から騎手・調教師の免許の取り消しの処分がなされ、資格を喪失する形で強制的に引退となった場合には、引退という言葉が用いられる事は少ない。特に競馬マスコミなどでは『競馬界追放』などの表現がなされ、これが引退を事実上意味するものとなる。
[編集] プロレス
プロレスラーの引退は、事実上の引退でない場合が多い。エースであるレスラー等は興行上休む事が許されない為に、怪我等をしても無理を押して出場し続ける事も多く、体調上の問題から引退を宣言する場合も多いが、引退後体調がよくなると復帰を宣言する場合が多々ある。その為に大仁田厚など複数回の引退宣言を行った選手もいる。引退時の興行は観客の入りもよく、ご祝儀的な事でもある為、その後の復帰等については批判も多い。体調不良で引退→体調回復で復帰という流れは、日本のプロレス界ではテリー・ファンクが作ったといわれている。テリー・ファンクが復帰した際には「引退試合」で涙したファンを中心に大きな批判が起こり、人気は大幅にダウンした。小林邦昭は引退する際に「絶対に復帰しない」事を明言したが、1試合限定復帰(後述)をしている。また、川田利明は「俺がプロレス辞める時は『引退』ではなく『休業』という事にしてくれ。」とコメントしている。かつての全日本女子プロレスでは「25歳定年制」が布かれていたが、他団体やフリーで現役続行あるいは復帰するケースが多く、現役から完全に退いた場合も含め「引退」よりむしろ「卒業」と表現している。これは定年制が有名無実化した後も同様であった。なお、日本で引退興行を大々的にやった最初のレスラーは吉村道明だが、引退後の吉村は復帰どころか、プロレス界とのかかわりもほとんど持たなかった。
また、プロレス特有の事情として、ストーリーラインの都合上で「1試合限定復帰」というアングルが組まれることがある。有名な例では坂口征二やバディ・ロジャースなど。
[編集] 政界
政界における引退とは政治家が政界から身を引くことを言う。身の引き方は任期による退任、自発的辞任、解任、落選を問わないが、一般的に引退を宣言以降、自分自身が当選するための選挙活動、政治活動はしないとされる。当然ながら、法的には引退には全く根拠のないものであり、引退を撤回して、再度政治家を目指してもなんら差支えない。例外的なケースではあるが、藤井裕久のように、衆議院議員選挙で落選して引退表明した後に比例復活での繰り上げ当選により政界復帰することもある。
なお、国政から地方もしくはその逆で首長、議員に転身する場合は引退とは言わない。また、選挙で落選しただけで次回選挙へ立候補意欲がある人物の場合、資金管理団体が存続する場合も引退とは呼ばない。
政治家が引退する理由には高齢により後進に道を譲るものが多いが、自らの不祥事を認めた場合(例:堀江メール問題における永田寿康)や自分が所属する党や派閥に対して不満があったり、意見が食い違ったりした場合に責任を取って引退する議員もいる(例:「郵政解散」での中村正三郎)。また、極稀なケースとして、近藤剛のように政治家以外の重要な役職に就任し、政治家との兼任が難しい場合(近藤の場合は日本道路公団総裁に就任するため、参議院議員を辞職)もある。竹中平蔵のように自分を政界に勧誘した人間(竹中の場合は小泉純一郎)の退陣に伴って議員を引退する例もあるが、この場合は「投票した選挙民への背信ではないか?」と批判されることもある。
ただし、引退後に長老、評論家、研究者などとして活動し、政界に一定の影響力を残すこともある(吉田茂、中曽根康弘など)また、政党の中には引退した人物に後進の政治家の選挙活動の支援を依頼したり、政党内の政策研究組織への参加を許可しているケースもある。
そのため、中曽根は定年制導入による衆議院選不出馬会見で「引退はしない」と公言しているが、これは「国会議員を引退しない」という意味ではなく、「国会議員引退後の政治活動は引退しない」あるいは「資金管理団体・近代政治研究会を解散しない」という意味である。また、日本共産党では、宮本顕治・不破哲三が議員引退後も議長の椅子に座り続けていた。また自民党の河本派では、派閥会長の河本敏夫が議員を引退した後も、後継難から河本が派を代表し続け、「旧河本派」と称していた。
アメリカ合衆国大統領の場合、大統領が議員を兼任できないこともあって、大統領引退は即政界引退となるのが一般的である。大統領退任後に返り咲いたのは19世紀のグローバー・クリーブランドが唯一の例であり、大統領選挙に出た大統領経験者もセオドア・ルーズベルト以来久しく絶えている。ジミー・カーターのように政界に顔を出し続ける例もあるが、大統領や議員に立候補するわけではなく長老・有識者としてのものである。
なお、以上に述べたのはアメリカ及び戦後の日本の政界の話であって、戦前の日本政界のように元老、重臣、枢密顧問官など「第一線を退いた人物が功労経験を買われて就くポスト」が存在する場合には、そういうポストに就いた人間にとっては、たとえ政党や衆議院の第一線を退いたとしても引退という言葉は成り立ちにくい。たとえば若槻礼次郎は、第2次若槻内閣が崩壊し民政党の党首を退いた時点で今なら政界引退であるが、実際にはその後も終戦まで重臣として政治に関わり続けた。幣原喜重郎のように、第2次若槻内閣の総辞職で外相の地位を退いて以来10年以上、貴族院議員を唯一のポストとして引退同然の生活を送っていた人間が、終戦直後の人材難で突如復活して首相となった例もある。また中国では、かつての「八大元老」のように、ポスト上からは引退したはずの大物政治家がその個人的権威によって事実上政界を支配していたことがあった。
[編集] 将棋
将棋界では、フリークラス規定の年齢・年数制限によるもの以外は強制的な引退はなく、フリークラスに転向し引退規定に該当するまでは何歳まで指しても、規定上は何の問題もない(ただしフリークラスの定年を過ぎて順位戦を指している棋士はC級2組からの陥落が即引退となる)。ただ病没などを別とすれば、実際には棋力の限界を悟ったり順位戦で降級になったりという状況になった時に引退となる場合が主である。一流棋士においては、順位戦のA級(名人戦挑戦者決定リーグ)もしくはB級1組から落ちたことがきっかけとなって、規定上まだ指せるにもかかわらず引退する例が多い。むろん規定上指せなくなるまで指す例もあり、丸田祐三の現役最年長記録77歳は「一流棋士が規定上指せなくなるまで指した結果」の記録である。一流棋士における他の引退例としては、木村義雄は二度目に名人を陥落した際に、まだ50歳にもなっていなかったにもかかわらず「良き後継者を得た」との名文句を残して引退表明し、二上達也は50代でB級1組在位中、しかも落ちそうになったわけでもないタイミングで引退表明をしている。
引退表明は順位戦で陥落が決まった時期にされることが多いが、それ以外の時期にされる場合もある。どちらにしても、その時点でトーナメント表に名前が載っている対局は全て消化するのが決まりで、消化しない場合には「不戦敗」の扱いとなる。よって、場合によってはその残りの対局で勝ち進んでしまい、米長邦雄のように引退表明後1年近くたってもまだ現役で指しているということもある。いくら勝ってもいずれ引退には違いないのだが、将棋界には「勝っても負けても同じ、という対局でも全力を出す」というのが不文律となっている(いわゆる「米長哲学」)。
一方、成績が振るわず順位戦のC級2組から陥落し、フリークラスの状態のまま10年が経過すると、その棋士は強制的に引退となる。これは相撲界の「廃業」に近い形である。一方で奨励会を辞めた者は引退ではなく「退会」と呼ばれ区別されている。一旦奨励会を抜けて四段になった棋士が将棋連盟を辞める場合にも「退会」ということになるが、その例は非常に少ない。
なお引退した棋士や退会した奨励会員は、一定期間アマチュア棋戦に参戦することはできない規定となっている(ただし、一旦四段になって引退した棋士がアマチュア棋戦に参戦した例はたとえ一定期間経過後でも絶無である)。
[編集] 囲碁
日本の囲碁界の事情は将棋界に近いが、順位戦という制度が囲碁にはないため、一流棋士の退き際は完全に本人の価値観にゆだねられる。ゲームの性質上加齢によるマイナスが少ないこともあって、87歳で死ぬまで現役だった橋本宇太郎をはじめ、坂田栄男、藤沢秀行、梶原武雄など70代になっても打ち続けた一流棋士は数多く存在する。
[編集] 芸能界
芸能界における引退は大きく分けて3つある。つまり、
の3つである。ある程度名の知れていた人物は1.の形をとる。しかし、人気が高くても諸事情によって引退イベントを開催できない場合もある。
引退を発表しても世間から余り注目されない多くの芸能人は2.の道を余儀なくされる。公式ファンクラブが存在するなど一定のファンがついている芸能人に関してはファンクラブ会報誌で引退を告知したりすることがある。最近ではインターネットが広く浸透していることにより、公式HPで引退を告知する場合もある。
3.の形をとる場合は、所属事務所からの一方的な発表がされるにとどまり、不祥事を起こした本人自らのコメントが聞けない場合が多い。グループの場合は他メンバーがコメントを出す場合がある。
[編集] その他の引退
鉄道路線や、鉄道車両、名称がある列車が廃止される場合も引退と言われることがよくある(路線の場合は廃止・廃線のほうが一般的である。)。飛行機や船の場合も同様である。さよなら運転も参照の事。
また、長年親しまれた、愛着のあった道具や機械が新型と入れ替わる場合も引退と言うことがある。

