栃東知頼

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栃東 知頼 相撲力士
基礎情報
四股名 志賀 駿男→栃東 裕典→栃東 駿男→栃東 知頼
本名 志賀 駿男
生年月日 1944年9月3日(69歳)
出身 福島県相馬郡(現在の相馬市
身長 177cm
体重 115kg
BMI 36.71
所属部屋 春日野部屋
得意技 左四つ、上手出し投げ、右四つ、寄り
成績
現在の番付 引退
最高位 関脇
生涯戦歴 611勝593敗33休(98場所)
幕内戦歴 404勝448敗23休(59場所)
優勝 幕内最高優勝1回
十両優勝1回
殊勲賞4回
技能賞6回
データ
初土俵 1960年11月場所
入幕 1967年3月場所
引退 1977年1月場所
引退後 年寄・13代玉ノ井
備考
金星5個(柏戸3個、大鵬1個、北の富士1個)
2014年1月3日現在

栃東 知頼(とちあずま ともより、1944年9月3日 - )は、福島県相馬郡(現在の相馬市)出身(出生地は茨城県筑波郡)の元大相撲力士春日野部屋所属。最高位は東関脇1970年3月場所)。本名は志賀 駿男(しが はやお)。現役時代の体格は177cm、115kg。得意手は左四つ、上手出し投げ、右四つ、寄り。

引退後は年寄玉ノ井(13代)を襲名し、春日野部屋付きを経て玉ノ井部屋を創設した。次男・大祐四股名栃東を譲り受けて大関まで昇進。現役引退後は年寄・栃東を襲名して父の下で部屋付き親方となった後、部屋を継承した。

来歴[編集]

中学・高校と野球部に在籍。高校時代に野球部と相撲部を兼任していた顧問に相撲の大会に助っ人として出場するように言われ優勝する。原町工業高校を中退後、1960年秋に春日野部屋に入門。横綱栃錦が春日野部屋継承後に入門した力士(いわゆる直弟子)では初の関取である。

現役時代は身長177cm・体重115kgの小兵で、横綱・大鵬45連勝の直前の黒星(1968年9月場所初日)をつけるなど、春日野部屋伝統の技能派力士として知られた。殊勲賞4回はいずれも技能賞とのダブル受賞。立合い鋭く右前褌左おっつけで寄り進むか、左を差して浅い上手からの出し投げを繰り出す正攻法の取り口で、頭を決して上げず、前捌きも巧みだった。

辛らつな批評で知られた玉の海も「こんな巧みな相撲は見た事がない。」と批評するほどだった。技能派大関誕生の期待もかけられたが、肝炎による休場と両膝の故障で大成を阻まれた。三賞を10回以上受賞した力士の中でも師匠の春日野と並んで敢闘賞を受賞した経験がなく、その内年6場所制定着以降に入幕した力士としては栃東ただ1人が該当する。

1972年1月場所(地位は西前頭5枚目)では11勝4敗という15日制初の11勝での成績(1996年11月場所には武蔵丸が同記録で優勝)で幕内最高優勝を果たしているが、千秋楽大関清國との一番に負ければ8人の5敗力士による優勝決定戦になるところであった。この場所初日、いきなり横綱・北の富士と大関・琴櫻との対戦が組まれ、北の富士は14日目より休場。また大関・大麒麟、同・前の山がそれぞれ全休・途中休場するなどの影響で上位の取組編成は混乱し、ついには平幕力士が千秋楽結びの一番に相撲を取るという異例の事態[1]となっていた)。

現役時に関脇・長谷川に対して、「顔も見たくない」と発言した事があった(現役時代の対戦成績は8勝22敗)程、長谷川を苦手とした。

現役時代から雄弁な理論家で知られ立会前の作戦から相撲展開まで取組直後でも沈着に応答出来る数少ない力士であったという。

秋場所は栃東にとって抜群に縁起が良く1970年を除いて初土俵から引退まで秋場所で負け越しを経験していない。それに留まらず1968年と1969年には殊勲賞と技能賞をダブル受賞しており、特に前者に至っては柏戸・大鵬の両横綱から金星を2個獲得する殊勲の星まで伴っていた。

現役引退後は年寄・13代玉ノ井を襲名、春日野部屋付き親方となり、先代からも分家独立の許可を得ていたが、長らく部屋付親方として後進を指導していた。1990年、師匠の逝去を受け、[2]正式に独立、玉ノ井部屋を創設。次男・太祐が自らの部屋に入門すると、スピード出世で十両に昇進。昇進を期に自身の現役時代の四股名を継がせた。

協会では、審判委員等を歴任し、2007年1月に役員待遇(指導普及部副部長・生活指導部副部長)に昇格した。

2009年9月2日を以て日本相撲協会を停年退職。翌9月3日付で次男の栃東大祐が年寄・14代玉ノ井を襲名、並びに玉ノ井部屋師匠を継承した。

停年退職後の平成24年2月22日、23日、ニッポン放送のラジオ番組「ミュージックギフト音楽地球号」の「福島ウィーク」にゲスト出演。

略歴[編集]

  • 1960年 - 11月場所、初土俵。
  • 1965年 - 5月場所、新十両。9勝6敗と勝ち越し。
  • 1967年 - 3月場所、新入幕。新十両と同じく9勝6敗と勝ち越した。
  • 1968年 - 11月場所、新小結。大関・玉乃島、豊山の2大関を破るも5勝10敗と大きく負け越した。
  • 1970年 - 3月場所、新関脇。大関・清國を破るが7勝8敗と負け越し、関脇はこの1場所のみである。
  • 1972年 - 1月場所、西前頭5枚目で11勝4敗の成績の挙げ、初の幕内最高優勝。
  • 1977年 - 1月場所、前場所東前頭3枚目で2勝13敗に終わったのに続き西前頭13枚目で初日から4連敗し引退。年寄玉ノ井襲名。
  • 1990年 - 春日野部屋から独立し、玉ノ井部屋を興す。
  • 2009年 - 停年退職。

生涯成績[編集]

  • 通算成績:611勝593敗33休 勝率.507
  • 幕内成績:404勝448敗23休 勝率.474
  • 現役在位:98場所
  • 幕内在位:59場所
  • 三役在位:6場所(関脇1場所、小結5場所)
  • 三賞:10回
    • 殊勲賞:4回(1968年5月場所、1968年9月場所、1969年9月場所、1970年1月場所)
    • 技能賞:6回(1968年5月場所、1968年9月場所、1969年9月場所、1969年11月場所、1970年1月場所、1972年1月場所)
  • 金星:5個(柏戸3個、大鵬1個、北の富士1個)
  • 各段優勝
    • 幕内最高優勝:1回(1972年1月場所)
    • 十両優勝:1回 (1967年9月場所)

場所別成績[編集]

                                                                      

栃東知頼
一月場所
初場所(東京
三月場所
春場所(大阪
五月場所
夏場所(東京)
七月場所
名古屋場所(愛知
九月場所
秋場所(東京)
十一月場所
九州場所(福岡
1960年
(昭和35年)
x x x x x (前相撲)
1961年
(昭和36年)
東 序ノ口 #19
4–3
 
西 序二段 #78
4–3
 
西 序二段 #39
4–3
 
東 序二段 #8
3–4
 
西 序二段 #18
5–2
 
東 三段目 #85
4–3
 
1962年
(昭和37年)
東 三段目 #63
4–3
 
東 三段目 #47
6–1
 
東 三段目 #8
4–3
 
東 幕下 #90
3–4
 
西 三段目 #2
4–3
 
西 幕下 #90
3–4
 
1963年
(昭和38年)
東 三段目 #2
4–3
 
西 幕下 #88
3–4
 
西 三段目 #5
7–0
 
西 幕下 #31
3–4
 
西 幕下 #35
4–3
 
西 幕下 #28
4–3
 
1964年
(昭和39年)
西 幕下 #23
4–3
 
東 幕下 #17
0–7
 
東 幕下 #48
4–3
 
東 幕下 #44
5–2
 
西 幕下 #33
5–2
 
西 幕下 #18
4–3
 
1965年
(昭和40年)
西 幕下 #16
6–1
 
西 幕下 #5
5–2
 
西 十両 #18
9–6
 
東 十両 #12
9–6
 
東 十両 #6
9–6
 
東 十両 #3
8–7
 
1966年
(昭和41年)
西 十両 #2
3–12
 
東 十両 #12
11–4
 
東 十両 #4
7–4–4
 
西 十両 #5
3–6–6
 
東 十両 #18
11–4
 
東 十両 #6
9–6
 
1967年
(昭和42年)
東 十両 #3
10–5
 
西 前頭 #14
9–6
 
西 前頭 #9
6–9
 
西 前頭 #11
6–9
 
西 十両 #2
優勝
12–3
西 前頭 #8
9–6
 
1968年
(昭和43年)
西 前頭 #2
5–10
 
東 前頭 #7
10–5
 
西 前頭 #2
10–5
東 小結
5–10
 
西 前頭 #3
11–4
東 小結
3–12
 
1969年
(昭和44年)
東 前頭 #6
9–6
 
東 前頭 #3
7–8
東 前頭 #4
6–9
 
西 前頭 #7
9–6
 
東 前頭 #2
9–6
東 小結
8–7
1970年
(昭和45年)
東 小結
10–5
東 関脇
7–8
 
東 前頭 #1
休場
0–0–15
西 前頭 #11
8–7
 
西 前頭 #5
5–10
 
東 前頭 #9
9–6
 
1971年
(昭和46年)
東 前頭 #3
2–13
東 前頭 #10
8–7
 
西 前頭 #9
8–7
 
西 前頭 #4
6–9
 
東 前頭 #9
9–6
 
東 前頭 #2
4–11
 
1972年
(昭和47年)
西 前頭 #5
11–4
東 小結
3–9–3[3]
 
東 前頭 #8
10–5
 
東 前頭 #2
5–10
 
西 前頭 #4
8–7
 
東 前頭 #1
4–6–5[4]
 
1973年
(昭和48年)
西 前頭 #8
5–10
 
西 前頭 #12
9–6
 
東 前頭 #9
11–4
 
東 前頭 #1
4–11
 
東 前頭 #7
9–6
 
東 前頭 #3
6–9
 
1974年
(昭和49年)
東 前頭 #4
5–10
 
東 前頭 #9
9–6
 
西 前頭 #2
4–11
 
東 前頭 #10
9–6
 
東 前頭 #5
8–7
 
西 前頭 #2
5–10
 
1975年
(昭和50年)
東 前頭 #7
8–7
 
西 前頭 #5
6–9
 
西 前頭 #7
9–6
 
東 前頭 #3
4–11
 
東 前頭 #8
8–7
 
西 前頭 #5
7–8
 
1976年
(昭和51年)
西 前頭 #6
7–8
 
西 前頭 #9
8–7
 
東 前頭 #6
5–10
 
東 前頭 #11
9–6
 
東 前頭 #7
8–7
 
東 前頭 #3
2–13
 
1977年
(昭和52年)
西 前頭 #13
引退
0–5–0
x x x x x
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 十両・幕下
三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)

改名歴[編集]

  • 志賀 駿男(しが はやお):1960年11月場所-1963年7月場所
  • 栃東 裕典(とちあずま ゆうすけ):1963年9月場所-1964年9月場所
  • 栃東 駿男(- はやお):1964年11月場所-1966年9月場所
  • 栃東 知頼(- ともより):1966年11月場所-1977年1月場所

年寄名[編集]

  • 玉ノ井 友宣(たまのい ともより)

脚注[編集]

  1. ^ 昭和の東西合併直後の1927年1月場所以来のことで、その後も出ていない
  2. ^ 実際には停年直前に逝去。
  3. ^ 右膝関節捻挫により12日目から途中休場
  4. ^ 左膝関節捻挫により4日目から途中休場、10日目から再出場

関連項目[編集]

執筆の途中です この「栃東知頼」は、相撲に関連した書きかけ項目です。記事を加筆・訂正してくださる協力者を求めていますPJ相撲)。