蔵間竜也

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基礎情報
四股名 蔵間 龍也→蔵間 龍矢→蔵間 龍也→ 蔵間 豹牙→蔵間 竜也
本名 蔵間 龍也
愛称 善戦マン
生年月日 1952年12月16日
没年月日 1995年1月26日(満42歳没)
出身 滋賀県野洲郡野洲町
身長 188cm
体重 136kg
BMI 38.4
所属部屋 時津風部屋
得意技 左四つ、寄り、吊り、上手投げ
成績
現在の番付 引退
最高位 西関脇
生涯戦歴 765勝787敗25休(126場所)
幕内戦歴 424勝491敗15休(62場所)
敢闘賞1回
技能賞2回
データ
初土俵 1968年9月場所
入幕 1976年7月場所
引退 1989年9月場所
引退後 タレント
備考
金星2個(輪島1個、若乃花1個)
2012年12月7日現在

蔵間 竜也(くらま たつや、1952年12月16日 - 1995年1月26日)は、滋賀県野洲郡野洲町野洲市)出身で時津風部屋所属の大相撲力士タレント。最高位は西関脇(1978年(昭和53年)5月場所)。身長188cm、体重136kg。得意技は左四つ、寄り、吊り、上手投げ。タレントでは本名の蔵間 龍也で活動し、浅井企画に所属していた。妻は女優渡辺やよい

来歴[編集]

大相撲時代[編集]

野洲中学校八幡工業高校時代は柔道水泳ラグビーなどで活躍。とりわけ柔道に関しては嗜み程度の稽古で2段という大変な才能の持ち主であった。講道館の支部長が当時の時津風親方(元横綱・双葉山)と知り合いだった縁で、高校を中退し時津風部屋に入門、1968年(昭和43年)9月場所で初土俵を踏んだ。当人は「双葉山最後の弟子」と称していた。

新入幕の頃は、期待の新鋭だった。相撲好きだった昭和天皇も目をかけていた一人で、天覧相撲の時、説明役についた春日野理事長(元横綱・栃錦)に「蔵間はどうなの?」と尋ね、春日野は「あれは大関になります」と答えた。

左四つに組んでからの吊り寄り、右からの上手投げを得意とし、横綱・北の湖には17戦全敗と一度も勝てなかったが常に長い相撲で苦しめ、千代の富士(のち、横綱)には新大関に昇進した場所で勝っている。しかし、攻めの遅い取り口と執念に欠ける性格のため、上位陣との取組で得意の型となって善戦はしても大きく勝ち越すことがなく「善戦マン」と呼ばれた。腰痛の持病を抱えていたことも大成を阻んだといえる。1978年(昭和53年)1月場所での10勝が最高で、あとはいわゆる「エレベーター力士」に終始した。

春日野の言葉をのちのちまで覚えていた昭和天皇もこれを歯がゆがったか、「蔵間、大関にならないね」とこぼした。春日野は「私は陛下に嘘を申し上げました」と言って謝罪し、その後当人を理事長室へ呼んで叱責したという。

全盛期には若三杉(後の横綱・2代目若乃花)と女性の人気を二分した。私生活も派手で大関の望みが消えてからは横綱・輪島を意識してリンカーン・コンチネンタルを乗り回し、千葉県市川市には蔵間御殿を建て夫人には女優の渡辺やよいを迎えた。

21年間の現役生活中、ずっと本名の「蔵間」で取った(ただし、名前に関しては龍也→龍矢→龍也→豹牙→竜也と改名している)が、一度故郷の三上山の異名である「近江富士」への改名が持ち上がった。しかし、ちょうど同じ頃その三上山で深刻な害虫災害が発生、縁起が悪いということで立ち消えになった。なお、甲賀郡信楽町(現・甲賀市)出身の三杉里が新入幕を果たした1988年(昭和63年)5月場所で蔵間も再入幕しており、この場所のみ滋賀県出身幕内力士が複数存在した(蔵間引退後には彦根市出身、かつ時津風部屋の後輩に当たる蒼樹山が入幕し、三杉里と合わせ複数となった場所がある)。

長身で美形でもあって、人気力士だった。「大器」としては物足りなかったが、強力なタニマチを持ち横綱大関を諦めてからは平幕中位に腰を据え(時折小結には顔を出した)、長く活躍を続ける蔵間のような生き方は多くの力士の憧れであった。

1989年(平成元年)の9月場所前の健康診断で、慢性骨髄性白血病と判明(なお当時公式には脾腫による1か月の加療と発表されていた)。9月場所限りで現役を引退し年寄錣山を襲名したが、病気のため1990年(平成2年)6月に廃業し、協会から去った。現役時代から、JR総武線都営新宿線本八幡駅前で「相撲茶屋・蔵間」を経営していた。

2008年(平成20年)9月場所で豊ノ島が新関脇に昇進した際、「時津風部屋からは蔵間以来久し振りの関脇です」と紹介された。

タレント時代[編集]

日本相撲協会を退職後はタレントに転向し、大相撲関係のコメンテーターとして活躍。浅井企画→太田プロダクション[要出典]に所属していた。『大相撲を101倍楽しむ法』、『大相撲ウソホントの新発見』、『まわしだけが知っている』などの著作がある。

タレント・スポーツコメンテーターなどとして活躍し、ちょうど若乃花貴乃花の若貴兄弟らが、若年層の相撲ファンを開拓していたこともあって、『ブロードキャスター』などのバラエティ番組でも相撲担当ゲストとしてそのわかりやすい語り口で人気を博した。一方、その優勝予想は当たらないことで評判で、力士当人から名指ししないでくれと泣きつかれた、などという噂がまことしやかに流れるなどした。番組上でデーモン小暮閣下がキャスターに「優勝予想は?」と尋ねられた際、「蔵間さんが予想していない力士」と返したエピソードもある。予想を外してしまい「約束どおり」と罰ゲームをやらされたこともある。1992年、テレビ東京かとうれいこと『激突!アメリカン筋肉バトル』の司会を務めた。

93年放送の『たかじんnoばぁ〜』(よみうりテレビ)にて病気で年寄(親方)を辞めた事情を明かしている。(中野浩一角盈男も同席、バーテンダートミーズ雅が宥めていた。)

闘病生活と死後[編集]

蔵間が慢性骨髄性白血病におかされているという事実は、彼の家族や親類など、ごく限られた人しか知らなかった。実兄とHLAが一致し骨髄移植は可能だったが、当時の移植成功率を考え、残された時間を有意義に生きる方を選択した。

しかし、1995年(平成7年)1月に急性転化し緊急入院。同年、慢性骨髄性白血病による急性転化多臓器不全のため、東京女子医大病院にて42歳の若さでこの世を去った。死の直前、カセットテープに残した「誰からも同情されたくはなかった」という主旨の遺言は多くの人々の涙を誘った。

妻の弥生が綴った蔵間の生涯は、『永遠の千秋楽 蔵間・愛と涙の2500日』として単行本化されている。その後1996年(平成8年)4月には、それを原作としたテレビドラマTBS系で放送され、蔵間役に渡辺徹、弥生役に名取裕子が起用された。また弥生は、千葉県市川市で「ちゃんこ蔵間」を経営していたが現在閉店している。滋賀県栗東市にある「ちゃんこ蔵間」は、蔵間の関係者(兄)が経営する店舗で資本関係はない。

主な戦績[編集]

  • 通算成績:765勝787敗25休 勝率.493
  • 現役在位:126場所
  • 幕内成績:424勝491敗15休 勝率.463
  • 幕内在位:62場所
  • 三役在位:7場所(関脇1場所、小結6場所)
  • 三賞:3回
    • 敢闘賞:1回(1978年1月場所)
    • 技能賞:2回(1978年3月場所、1981年5月場所)
  • 金星:2個(輪島1個、若乃花1個)

場所別成績[編集]

蔵間 竜也
一月場所
初場所(東京
三月場所
春場所(大阪
五月場所
夏場所(東京)
七月場所
名古屋場所(愛知
九月場所
秋場所(東京)
十一月場所
九州場所(福岡
1968年
(昭和43年)
x x x x (前相撲) 西 序ノ口 #7
5–2
 
1969年
(昭和44年)
東 序二段 #38
4–3
 
東 序二段 #16
4–3
 
東 三段目 #97
3–4
 
西 序二段 #4
5–2
 
西 三段目 #57
4–3
 
東 三段目 #45
1–6
 
1970年
(昭和45年)
東 三段目 #77
3–4
 
東 三段目 #86
4–3
 
東 三段目 #65
4–3
 
東 三段目 #43
3–4
 
東 三段目 #53
6–1
 
東 三段目 #19
4–3
 
1971年
(昭和46年)
東 三段目 #8
4–3
 
東 幕下 #58
5–2
 
東 幕下 #37
2–5
 
西 幕下 #57
2–5
 
西 三段目 #22
6–1
 
西 幕下 #44
4–3
 
1972年
(昭和47年)
東 幕下 #39
5–2
 
東 幕下 #23
4–3
 
西 幕下 #20
4–3
 
西 幕下 #17
2–5
 
西 幕下 #29
4–3
 
東 幕下 #26
6–1
 
1973年
(昭和48年)
西 幕下 #11
4–3
 
東 幕下 #7
4–3
 
東 幕下 #4
1–6
 
東 幕下 #23
4–3
 
西 幕下 #16
4–3
 
西 幕下 #14
4–3
 
1974年
(昭和49年)
東 幕下 #11
4–3
 
東 幕下 #9
4–3
 
東 幕下 #5
3–4
 
東 幕下 #11
5–2
 
西 幕下 #3
4–3
 
西 幕下 #2
3–4
 
1975年
(昭和50年)
西 幕下 #6
6–1
 
西 幕下 #1
5–2
 
東 十両 #12
9–6
 
西 十両 #6
6–9
 
西 十両 #10
8–7
 
西 十両 #9
9–6
 
1976年
(昭和51年)
東 十両 #3
7–8
 
東 十両 #4
7–8
 
東 十両 #6
11–4
 
東 前頭 #13
6–9
 
西 十両 #3
4–11
 
西 十両 #8
9–6
 
1977年
(昭和52年)
西 十両 #3
9–6
 
東 十両 #1
10–5
 
西 前頭 #10
8–7
 
東 前頭 #7
8–7
 
西 前頭 #3
5–10
 
西 前頭 #7
9–6
 
1978年
(昭和53年)
西 前頭 #3
10–5
東 小結
8–7
西 関脇
3–12
 
西 前頭 #7
9–6
 
西 前頭 #1
8–7
東 前頭 #1
6–9
 
1979年
(昭和54年)
東 前頭 #5
8–7
 
東 前頭 #2
7–8
 
東 前頭 #3
6–9
 
東 前頭 #5
8–7
 
東 前頭 #1
休場
0–0–15
西 前頭 #12
8–7
 
1980年
(昭和55年)
西 前頭 #6
5–10
 
西 前頭 #13
8–7
 
東 前頭 #10
8–7
 
東 前頭 #7
8–7
 
西 前頭 #4
4–11
 
西 前頭 #10
8–7
 
1981年
(昭和56年)
東 前頭 #7
9–6
 
西 前頭 #1
8–7
 
東 前頭 #1
9–6
東 小結
8–7
 
東 小結
6–9
 
西 前頭 #2
4–11
 
1982年
(昭和57年)
西 前頭 #10
7–8
 
東 前頭 #11
8–7
 
西 前頭 #7
8–7
 
西 前頭 #3
4–11
 
東 前頭 #10
8–7
 
西 前頭 #5
8–7
 
1983年
(昭和58年)
西 前頭 #1
5–10
 
西 前頭 #6
8–7
 
東 小結
4–11
 
西 前頭 #4
8–7
 
東 小結
5–10
 
西 前頭 #4
6–9
 
1984年
(昭和59年)
東 前頭 #7
8–7
 
西 前頭 #1
4–11
 
東 前頭 #7
9–6
 
西 小結
4–11
 
東 前頭 #6
8–7
 
東 前頭 #2
6–9
 
1985年
(昭和60年)
東 前頭 #6
8–7
 
東 前頭 #2
4–11
 
東 前頭 #10
9–6
 
西 前頭 #4
6–9
 
東 前頭 #8
6–9
 
西 前頭 #13
9–6
 
1986年
(昭和61年)
東 前頭 #6
7–8
 
西 前頭 #8
7–8
 
東 前頭 #12
8–7
 
東 前頭 #8
6–9
 
西 前頭 #12
7–8
 
東 十両 #1
8–7
 
1987年
(昭和62年)
東 前頭 #13
8–7
 
西 前頭 #9
6–9
 
東 前頭 #13
7–8
 
東 十両 #1
6–9
 
西 十両 #5
9–6
 
東 十両 #3
6–9
 
1988年
(昭和63年)
西 十両 #6
8–7
 
東 十両 #4
11–4
 
東 前頭 #13
6–9
 
東 十両 #2
6–9
 
東 十両 #7
8–7
 
西 十両 #4
5–10
 
1989年
(平成元年)
西 十両 #9
9–6
 
西 十両 #4
8–7
 
東 十両 #2
6–9
 
東 十両 #6
8–7
 
西 十両 #4
引退
1–4–0
x
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 十両・幕下
三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)

改名歴[編集]

  • 蔵間 龍也(くらま たつや)1968年11月場所-1979年1月場所
  • 蔵間 龍矢(- たつや)1979年3月場所-1980年1月場所
  • 蔵間 龍也(- たつや)1980年3月場所-1982年1月場所
  • 蔵間 豹牙(- ひょうが)1982年3月場所-1983年11月場所
  • 蔵間 竜也(- たつや)1984年1月場所-1989年9月場所

年寄変遷[編集]

  • 錣山 竜也(しころやま たつや)1989年9月-1989年11月
  • 錣山 龍也(- たつや)1989年11月-1990年6月(廃業)

著作[編集]

  • 『大相撲を101倍楽しむ法』(1991年、勁文社
  • 『大相撲ウソホントの新発見』(1992年、青春出版社
  • 『まわしだけが知っている』(1993年、集英社

テレビ出演[編集]

ラジオ出演[編集]

  • 「蔵間のハイ、今日も待ったなし!」TBSラジオ - 放送期間中に自身が他界したため、琴剣に引き継がれた。

関連項目[編集]