大竜川一男

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基礎情報
四股名 増若 一男→大竜川 一男→大龍川 一男→大竜川 一男
本名 和田 一男
生年月日 1946年1月12日(68歳)
出身 兵庫県加古川市東神吉町
身長 178cm
体重 115kg
BMI 35.66
所属部屋 三保ヶ関部屋
得意技 右四つ、寄り、蹴手繰り
成績
現在の番付 引退
最高位 前頭筆頭
生涯戦歴 692勝675敗(110場所)
幕内戦歴 162勝228敗(26場所)
敢闘賞2回
データ
初土俵 1961年1月場所
入幕 1968年9月場所
引退 1979年5月場所
引退後 年寄・清見潟
備考
2013年8月23日現在

大竜川 一男(だいりゅうがわ かずお、1946年1月12日- )は、兵庫県加古川市東神吉町出身で、1960年代から1970年代にかけて活躍した大相撲力士である。現役時代は、三保ヶ関部屋に所属した。本名は和田 一男(わだ かずお)。身長178cm、体重115kg。最高位は東前頭筆頭(1969年11月場所)。

来歴・人物[編集]

小学生の頃から相撲に親しんでいた。中学校卒業直前に三保ヶ関部屋へ入門し、1961年1月場所にて、14歳で初土俵を踏んだ。

突っ張ってからの右四つに加え、土俵際の粘りや、突き落としや足技(時折、立ち会い一瞬の蹴手繰り)も見せるなど多彩な技の持ち主として知られた。1966年9月場所で十両昇進、1968年9月場所で入幕を果たした。

幕内では、敢闘賞を2回受賞しているが、少し半端相撲の取り口で上位ではなかなか勝てなかった。弟弟子である増位山(2代目)や北の湖らとともに、三保ヶ関部屋全盛時代を築いた力士として名を残している。

1979年5月場所限りで引退した後は、年寄・清見潟として後進の指導に当たった。1991年には、長男が父と同じく三保ヶ関部屋に入門したが、大成しなかった。

なお、同部屋の闘竜(最高位・関脇)は、中学での後輩に当たる。

2010年5月、2009年名古屋場所において手配した維持員席のチケットが暴力団弘道会幹部に渡っていたことが発覚し、[1]これにより相撲協会から譴責処分を受けた。木瀬親方からはこれより5年以上前から依頼され、調達に関与したという。[2]2011年1月場所限り(場所中に65歳の誕生日を迎えたため、千秋楽までは協会に在籍)で、日本相撲協会を停年退職した。

主な戦績[編集]

  • 通算成績:692勝675敗 勝率.506
  • 幕内成績:162勝228敗 勝率.415
  • 現役在位:110場所
  • 幕内在位:26場所
  • 三賞:2回
    • 敢闘賞:2回(1968年11月場所、1969年9月場所)
  • 通算連続出場:1367回(史上5位)※ただし、1979年の引退当時は通算出場も含めて史上1位の記録であった。

場所別成績[編集]

大竜川 一男
一月場所
初場所(東京
三月場所
春場所(大阪
五月場所
夏場所(東京)
七月場所
名古屋場所(愛知
九月場所
秋場所(東京)
十一月場所
九州場所(福岡
1961年
(昭和36年)
(前相撲) 東 序ノ口 #20
3–4
 
西 序ノ口 #7
3–4
 
東 序ノ口 #3
4–3
 
東 序二段 #59
4–3
 
西 序二段 #13
3–4
 
1962年
(昭和37年)
西 序二段 #25
4–3
 
西 序二段 #18
4–3
 
東 序二段 #2
4–3
 
東 三段目 #79
3–4
 
西 三段目 #88
2–5
 
東 序二段 #6
3–4
 
1963年
(昭和38年)
東 序二段 #22
6–1
 
西 三段目 #60
4–3
 
東 三段目 #44
5–2
 
東 三段目 #7
5–2
 
東 幕下 #74
4–3
 
西 幕下 #62
3–4
 
1964年
(昭和39年)
西 幕下 #70
4–3
 
西 幕下 #63
5–2
 
西 幕下 #48
2–5
 
西 幕下 #60
4–3
 
西 幕下 #51
5–2
 
東 幕下 #37
2–5
 
1965年
(昭和40年)
西 幕下 #52
4–3
 
西 幕下 #44
4–3
 
東 幕下 #38
5–2
 
西 幕下 #27
4–3
 
東 幕下 #26
4–3
 
東 幕下 #21
6–1
 
1966年
(昭和41年)
東 幕下 #8
2–5
 
東 幕下 #19
6–1
 
東 幕下 #6
5–2
 
東 幕下 #1
6–1
 
西 十両 #17
8–7
 
東 十両 #12
7–8
 
1967年
(昭和42年)
東 十両 #15
9–6
 
西 十両 #9
6–9
 
西 幕下 #4
5–2
 
西 十両 #13
9–6
 
西 十両 #9
8–7
 
東 十両 #8
8–7
 
1968年
(昭和43年)
東 十両 #5
7–8
 
東 十両 #6
7–8
 
東 十両 #8
10–5
 
西 十両 #3
11–4
 
西 前頭 #9
7–8
 
西 前頭 #11
10–5
1969年
(昭和44年)
東 前頭 #5
7–8
 
西 前頭 #6
5–10
 
西 前頭 #10
9–6
 
西 前頭 #4
4–11
 
西 前頭 #8
11–4
東 前頭 #1
3–12
 
1970年
(昭和45年)
西 前頭 #10
8–7
 
西 前頭 #7
7–8
 
東 前頭 #9
3–12
 
西 十両 #2
7–8
 
西 十両 #4
9–6
 
東 十両 #3
6–9
 
1971年
(昭和46年)
西 十両 #8
9–6
 
東 十両 #3
7–8
 
東 十両 #6
7–8
 
東 十両 #7
8–7
 
東 十両 #5
8–7
 
東 十両 #2
10–5
 
1972年
(昭和47年)
西 前頭 #10
6–9
 
西 十両 #1
8–7
 
東 十両 #1
10–5
 
西 前頭 #10
8–7
 
東 前頭 #8
7–8
 
西 前頭 #10
8–7
 
1973年
(昭和48年)
東 前頭 #8
4–11
 
西 前頭 #13
8–7
 
西 前頭 #10
8–7
 
東 前頭 #8
5–10
 
西 十両 #1
7–8
 
西 十両 #3
10–5
 
1974年
(昭和49年)
東 前頭 #12
4–11
 
東 十両 #4
8–7
 
東 十両 #2
4–11
 
東 十両 #11
8–7
 
東 十両 #7
8–7
 
東 十両 #4
9–6
 
1975年
(昭和50年)
東 十両 #1
8–7
 
東 前頭 #14
4–11
 
西 十両 #5
9–6
 
東 前頭 #14
8–7
 
東 前頭 #9
3–12
 
西 十両 #6
8–7
 
1976年
(昭和51年)
西 十両 #2
8–7
 
西 十両 #1
9–6
 
東 前頭 #13
8–7
 
東 前頭 #10
3–12
 
東 十両 #6
8–7
 
西 十両 #2
6–9
 
1977年
(昭和52年)
東 十両 #5
7–8
 
西 十両 #6
8–7
 
東 十両 #5
7–8
 
東 十両 #7
8–7
 
西 十両 #3
8–7
 
西 前頭 #12
4–11
 
1978年
(昭和53年)
東 十両 #6
8–7
 
東 十両 #4
8–7
 
東 十両 #3
7–8
 
東 十両 #5
7–8
 
西 十両 #6
8–7
 
西 十両 #5
6–9
 
1979年
(昭和54年)
西 十両 #9
9–6
 
東 十両 #5
5–10
 
東 十両 #12
引退
0–5–0
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 十両・幕下
三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)


改名歴[編集]

  • 増若 一男 (ますわか かずお)1961年3月場所-1964年5月場所
  • 大竜川 一男 (だいりゅうがわ -)1964年7月場所
  • 大龍川 一男 (だいりゅうがわ -)1964年9月場所-1966年9月場所
  • 大竜川 一男 (だいりゅうがわ -)1966年11月場所-1979年5月場所

年寄変遷[編集]

  • 清見潟 一男(きよみがた かずお)1979年5月-2011年1月

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 組幹部観戦席手配の親方2人、相撲協会が処分へ YOMIURI ONLINE 読売新聞 2010年5月26日
  2. ^ 木瀬親方は降格、清見潟親方は譴責 相撲協会が処分 朝日新聞DIGITAL 2010年5月27日19時51分