大潮憲司

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大潮 憲司 相撲力士
Oshio 2010 Jan.JPG
8代式守秀五郎
基礎情報
四股名 波多野 → 大潮
本名 波多野 兼二
生年月日 1948年1月4日(66歳)
出身 福岡県北九州市八幡東区
身長 186cm
体重 134kg
BMI 38.73
所属部屋 時津風部屋
得意技 左四つ、寄り、突き
成績
現在の番付 引退
最高位 小結
生涯戦歴 964勝927敗47休(157場所)
幕内戦歴 335勝413敗17休(51場所)
優勝 十両優勝3回
敢闘賞1回
技能賞1回
データ
初土俵 1962年1月場所
入幕 1971年9月場所
引退 1988年1月場所
引退後 式秀部屋の師匠など、後進の力士達の指導
備考
金星3個(輪島1個、北の湖2個)
2013年1月3日現在

大潮 憲司(おおしお けんじ、本名:波多野 兼二(はたの けんじ)、1948年(昭和23年)1月4日- )は、福岡県北九州市八幡東区出身で、1970年代から1980年代にかけて活躍した大相撲力士である。現役時代は時津風部屋所属で、最高位は東小結1978年1月場所)。現役当時の体格は186cm、134kg。得意手は左四つ、寄り、突き。

引退後は、年寄・綴山を経て同・式守秀五郎(通称・式秀)を襲名し、1992年(平成4年)から日本相撲協会を停年(定年。以下同)退職する2013年(平成25年)1月まで式秀部屋の師匠を務めた。

来歴[編集]

中学校在学中に、粂川親方(元前頭1・双ツ龍)の勧誘を受けて時津風部屋へ入門し、1962年1月場所で初土俵を踏んだ。同期の初土俵組には、後の前頭・若吉葉らがいる。

当初から道場のホープと呼ばれながら出世は遅く、何度も幕下上位の壁に阻まれていた。そんな大潮が奮起したきっかけは、祖母と師匠・時津風(元横綱・双葉山)の死である。死そのもの以上に、「紋付も着れないで出席している自分が情けなかった。」[1]という思いが奮起の理由となった。[2]その経験を乗り越え、1969年11月場所で十両に昇進し、1971年9月場所で新入幕を果たした。

立ち合いから激しく当たるか突いて出て、左を差して一気に寄る取り口を得意としたが、腰高のため逆転されることも多かった。入幕後しばらくは幕内と十両との往復を繰り返したが、若ノ國の記録を更新する10回目の入幕となった1976年3月場所からはようやく幕内に定着し、1978年1月場所では最高位となる東小結に昇進した。

足の負傷のため1979年7月場所では幕下まで落ちたが、その後、節制と努力を重ねて幕内まで返り咲いた。当時は家に帰ると、妻が幕内時代よりもさらに良い料理を出してくれることに奮起したという。三役に復帰はできなかったものの、1982年7月場所から5場所連続で横綱北の湖大関隆の里関脇若島津のいずれかに勝つなど幕内上位で健闘を見せた。また1984年3月場所では36歳2ヵ月での再入幕を果たしたが、これは当時、戦後3位の年長再入幕記録であった。1984年5月場所を最後に幕内から落ちてからも、十両や幕下上位で相撲を取り続けた。

1988年1月場所後、満40歳で現役を引退。なお、通算出場1891番は全大相撲力士中の第1位、十両在位55場所は歴代1位タイ(他に蜂矢)、幕内昇進13回も歴代1位の記録である。通算勝ち星の964勝は、魁皇の1047勝、千代の富士の1045勝に次ぐ第3位の記録である。また、通算黒星の927敗は、寺尾の938敗に次ぐ第2位である。現役在位157場所は、引退時から2008年に栃天晃(元・十両)によって更新されるまで、20年間に亘って歴代1位の記録であった。この他にも再十両昇進の最年長記録(39歳5ヶ月)を持っている。古武士を思わせる、揉み上げの長い風貌で人気があり、悲壮感すら漂う立ち合いの後の睨みに風格があった。

引退後は年寄・錣山を経て年寄・式守秀五郎(式秀)を襲名し、1992年3月に時津風部屋から独立して式秀部屋を創設した。地元福岡で開催される11月場所(九州場所)では出身地の北九州市に宿舎を構え、2003年には地元後援者によって地方場所では珍しい常設の宿舎が設けられた。場所前後には部屋の弟子を引き連れ、北九州市周辺の福祉施設を慰問に訪れるなど社会貢献にも尽くした。長男も式秀部屋へ入門して「玉光」の四股名で相撲を取った(最高位は東三段目87枚目)が、2011年1月場所を最後に引退した。2012年には千昇が十両に昇進したが、これが自身が育てた唯一の関取だった。

協会では審判委員を長く務め、65歳の誕生日を翌日に控えた2013年1月3日付で停年退職。式秀部屋は現役時代、北の湖部屋(出羽海一門)の所属だった元前頭の北桜が継承した。

主な成績・記録[編集]

  • 通算成績:964勝927敗47休 勝率.510
  • 幕内成績:335勝413敗17休 勝率.448
  • 十両成績:436勝359敗30休 勝率.548
  • 通算出場:1891番(史上1位)
  • 現役在位:157場所(当時史上1位、現在は6位)
  • 幕内在位:51場所
  • 十両在位:55場所(史上1位タイ)
  • 三役在位:1場所(小結1場所)
  • 三賞:2回
    • 敢闘賞:1回 (1977年11月場所)
    • 技能賞:1回 (1982年11月場所)
  • 金星:3個(輪島1個、北の湖2個)
  • 各段優勝
    • 十両優勝:3回(1971年5月場所、1979年1月場所、1980年11月場所)

場所別成績[編集]

大潮憲司
一月場所
初場所(東京
三月場所
春場所(大阪
五月場所
夏場所(東京)
七月場所
名古屋場所(愛知
九月場所
秋場所(東京)
十一月場所
九州場所(福岡
1962年
(昭和37年)
(前相撲) 東 序ノ口 #21
2–5
 
東 序ノ口 #11
4–3
 
西 序二段 #72
3–4
 
西 序二段 #76
3–4
 
西 序二段 #77
6–1
 
1963年
(昭和38年)
東 序二段 #24
4–3
 
東 三段目 #85
3–4
 
東 序二段 #10
2–5
 
東 序二段 #39
5–2
 
東 三段目 #92
3–4
 
東 序二段 #7
4–3
 
1964年
(昭和39年)
西 三段目 #82
3–4
 
東 三段目 #87
5–2
 
西 三段目 #53
5–2
 
東 三段目 #24
3–4
 
西 三段目 #32
4–3
 
東 三段目 #19
4–3
 
1965年
(昭和40年)
東 三段目 #8
5–2
 
東 幕下 #74
3–4
 
東 幕下 #80
4–3
 
西 幕下 #76
4–3
 
西 幕下 #69
5–2
 
東 幕下 #46
4–3
 
1966年
(昭和41年)
西 幕下 #41
4–3
 
西 幕下 #38
6–1
 
西 幕下 #15
3–4
 
西 幕下 #17
4–3
 
東 幕下 #13
2–5
 
東 幕下 #24
3–4
 
1967年
(昭和42年)
東 幕下 #28
3–4
 
西 幕下 #31
4–3
 
東 幕下 #31
5–2
 
西 幕下 #17
4–3
 
東 幕下 #14
4–3
 
東 幕下 #10
4–3
 
1968年
(昭和43年)
西 幕下 #7
4–3
 
東 幕下 #6
4–3
 
東 幕下 #2
3–4
 
東 幕下 #5
3–4
 
西 幕下 #8
5–2
 
東 幕下 #3
4–3
 
1969年
(昭和44年)
西 幕下 #2
4–3
 
西 幕下 #1
4–3
 
東 幕下 #1
2–5
 
東 幕下 #8
5–2
 
西 幕下 #1
5–2
 
東 十両 #13
9–6
 
1970年
(昭和45年)
西 十両 #8
7–8
 
西 十両 #10
8–7
 
東 十両 #7
10–5
 
東 十両 #3
5–10
 
西 十両 #10
8–7
 
西 十両 #8
8–7
 
1971年
(昭和46年)
西 十両 #4
7–8
 
西 十両 #7
9–6
 
東 十両 #5
優勝
11–4
東 十両 #1
9–6
 
西 前頭 #12
6–9
 
西 十両 #1
9–6
 
1972年
(昭和47年)
西 前頭 #11
6–9
 
東 十両 #2
9–6
 
東 前頭 #12
4–6–5[3]
 
東 十両 #5
休場
0–0–15
東 十両 #5
9–6
 
西 十両 #1
11–4
 
1973年
(昭和48年)
東 前頭 #10
8–7
 
東 前頭 #7
6–9
 
西 前頭 #11
6–9
 
東 十両 #1
10–5
 
東 前頭 #11
6–9
 
西 十両 #2
9–6
 
1974年
(昭和49年)
西 十両 #1
10–5
 
西 前頭 #10
6–9
 
西 十両 #1
7–8
 
東 十両 #4
8–7
 
東 十両 #1
9–6
 
西 前頭 #12
7–8
 
1975年
(昭和50年)
西 前頭 #14
7–8
 
西 十両 #1
9–6
 
東 前頭 #14
7–8
 
東 十両 #1
9–6
 
西 前頭 #10
7–8
 
西 前頭 #11
6–9
 
1976年
(昭和51年)
東 十両 #1
9–6
 
東 前頭 #13
10–5
 
東 前頭 #4
5–10
 
東 前頭 #9
8–7
 
西 前頭 #7
8–7
 
西 前頭 #3
6–9
 
1977年
(昭和52年)
東 前頭 #6
6–9
 
東 前頭 #10
7–8
 
東 前頭 #11
9–6
 
西 前頭 #5
8–7
 
西 前頭 #1
6–9
 
東 前頭 #3
9–6
1978年
(昭和53年)
東 小結
3–12
 
東 前頭 #6
10–5
 
東 前頭 #1
5–10
東 前頭 #6
5–10
 
西 前頭 #10
7–8
 
西 前頭 #11
5–10
 
1979年
(昭和54年)
東 十両 #4
優勝
11–4
西 前頭 #11
1–2–12[4]
 
西 十両 #7
休場
0–0–15
東 幕下 #5
4–3
 
西 幕下 #1
5–2
 
西 十両 #13
9–6
 
1980年
(昭和55年)
西 十両 #7
8–7
 
西 十両 #6
8–7
 
東 十両 #5
7–8
 
東 十両 #7
7–8
 
東 十両 #9
10–5
 
東 十両 #3
優勝
12–3
1981年
(昭和56年)
西 前頭 #10
8–7
 
西 前頭 #6
6–9
 
西 前頭 #8
8–7
 
東 前頭 #6
7–8
 
西 前頭 #6
7–8
 
東 前頭 #7
7–8
 
1982年
(昭和57年)
東 前頭 #8
8–7
 
東 前頭 #3
4–11
 
東 前頭 #10
8–7
 
東 前頭 #6
8–7
 
西 前頭 #2
4–11
西 前頭 #8
10–5
1983年
(昭和58年)
東 前頭 #1
5–10
西 前頭 #5
7–8
 
東 前頭 #6
6–9
 
東 前頭 #9
7–8
 
東 前頭 #11
7–8
 
東 前頭 #12
6–9
 
1984年
(昭和59年)
西 十両 #1
10–5
 
西 前頭 #11
7–8
 
西 前頭 #12
5–10
 
西 十両 #2
8–7
 
東 十両 #1
5–10
 
東 十両 #9
11–4
 
1985年
(昭和60年)
西 十両 #3
5–10
 
東 十両 #7
10–5
 
西 十両 #2
9–6
 
東 十両 #1
4–11
 
西 十両 #10
7–8
 
西 十両 #12
8–7
 
1986年
(昭和61年)
東 十両 #8
7–8
 
東 十両 #10
8–7
 
東 十両 #9
7–8
 
東 十両 #11
7–8
 
西 十両 #12
9–6
 
東 十両 #8
7–8
 
1987年
(昭和62年)
西 十両 #10
6–9
 
西 十両 #13
6–9
 
東 幕下 #3
5–2
 
西 十両 #12
10–5
 
西 十両 #6
4–11
 
西 十両 #13
7–8
 
1988年
(昭和63年)
西 幕下 #1
引退
2–5–0
x x x x x
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 十両・幕下
三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)
  • 幕内通算勝利・敗戦・勝率はその場所時点での数字
場所 地位 勝数 敗数 休場 その他 幕内勝 幕内敗 幕内休 勝率
昭和46年 9月 西前頭12枚目 6 9 0 新入幕 6 9 0 .400
昭和47年 1月 西前頭11枚目 6 9 0 再入幕 12 18 0 .400
昭和47年 5月 東前頭12枚目 4 6 5 再入幕 16 24 5 .400
昭和48年 1月 東前頭10枚目 8 7 0 再入幕 24 31 5 .436
昭和48年 3月 東前頭7枚目 6 9 0 - 30 40 5 .429
昭和48年 5月 西前頭11枚目 6 9 0 - 36 49 5 .424
昭和48年 9月 東前頭11枚目 6 9 0 再入幕 42 58 5 .420
昭和49年 3月 西前頭10枚目 6 9 0 再入幕 48 67 5 .417
昭和49年 11月 西前頭12枚目 7 8 0 再入幕 55 75 5 .423
昭和50年 1月 西前頭14枚目 7 8 0 - 62 83 5 .428
昭和50年 5月 東前頭14枚目 7 8 0 再入幕 69 91 5 .431
昭和50年 9月 西前頭10枚目 7 8 0 再入幕 76 99 5 .434
昭和50年 11月 西前頭11枚目 6 9 0 - 82 108 5 .432
昭和51年 3月 東前頭13枚目 10 5 0 再入幕 92 113 5 .449
昭和51年 5月 東前頭4枚目 5 10 0 - 97 123 5 .441
昭和51年 7月 東前頭9枚目 8 7 0 - 105 130 5 .447
昭和51年 9月 西前頭7枚目 8 7 0 - 113 137 5 .452
昭和51年 11月 西前頭3枚目 6 9 0 - 119 146 5 .449
昭和52年 1月 東前頭6枚目 6 9 0 - 125 155 5 .446
昭和52年 3月 東前頭10枚目 7 8 0 - 132 163 5 .447
昭和52年 5月 東前頭11枚目 9 6 0 - 141 169 5 .455
昭和52年 7月 西前頭5枚目 8 7 0 大潮兼二→大潮憲司 149 176 5 .458
昭和52年 9月 西前頭1枚目 6 9 0 - 155 185 5 .456
昭和52年 11月 東前頭3枚目 9 6 0 技能賞(1) 164 191 5 .462
昭和53年 1月 東小結 3 12 0 新小結 167 203 5 .451
昭和53年 3月 西前頭6枚目 10 5 0 - 177 208 5 .460
昭和53年 5月 東前頭1枚目 5 10 0 金星(輪島) 182 218 5 .455
昭和53年 7月 東前頭6枚目 5 10 0 - 187 228 5 .451
昭和53年 9月 西前頭10枚目 7 8 0 - 194 236 5 .451
昭和53年 11月 西前頭11枚目 5 10 0 - 199 246 5 .447
昭和54年 3月 西前頭11枚目 1 2 12 再入幕 200 248 17 .446
昭和56年 1月 西前頭10枚目 8 7 0 再入幕 208 255 17 .449
昭和56年 3月 西前頭6枚目 6 9 0 - 214 264 17 .448
昭和56年 5月 西前頭8枚目 8 7 0 - 222 271 17 .450
昭和56年 7月 東前頭6枚目 7 8 0 - 229 279 17 .451
昭和56年 9月 西前頭6枚目 7 8 0 - 236 287 17 .451
昭和56年 11月 東前頭7枚目 7 8 0 - 243 295 17 .452
昭和57年 1月 東前頭8枚目 8 7 0 - 251 302 17 .454
昭和57年 3月 東前頭6枚目 4 11 0 - 255 313 17 .449
昭和57年 5月 東前頭10枚目 8 7 0 - 263 320 17 .451
昭和57年 7月 東前頭6枚目 8 7 0 - 271 327 17 .453
昭和57年 9月 西前頭2枚目 4 11 0 金星(北の湖) 275 338 17 .449
昭和57年 11月 西前頭8枚目 10 5 0 敢闘賞(1) 285 343 17 .454
昭和58年 1月 東前頭1枚目 5 10 0 金星(北の湖) 290 353 17 .451
昭和58年 3月 西前頭5枚目 7 8 0 - 297 361 17 .451
昭和58年 5月 東前頭6枚目 6 9 0 - 303 370 17 .450
昭和58年 7月 東前頭9枚目 7 8 0 - 310 378 17 .451
昭和58年 9月 東前頭11枚目 7 8 0 - 317 386 17 .451
昭和58年 11月 東前頭12枚目 6 9 0 - 323 395 17 .450
昭和59年 3月 西前頭11枚目 7 8 0 再入幕 330 403 17 .450
昭和59年 5月 西前頭12枚目 5 10 0 - 335 413 17 .448
通算 335 413 17 - - - - -

改名歴[編集]

力士[編集]

  • 波多野 兼二(はたの けんじ)1962年1月場所 - 1969年3月場所
  • 大潮 兼二(おおしお けんじ)1969年5月場所 - 1977年5月場所
  • 大潮 憲司(おおしお けんじ)1977年7月場所 - 1988年1月場所

年寄[編集]

  • 錣山 憲司(しころやま けんじ)1988年1月24日 - 1989年9月25日
  • 式守 秀五郎(式秀)(しきもり ひでごろう)1989年9月26日 - 2013年1月3日

その他[編集]

  • デーモン小暮のオールナイトニッポン大徹(現在の年寄・湊川)がゲスト出演した際、大徹にリスナーから「車の運転はするのか?」と質問が寄せられた。大徹は「後援者からクラウンを借りて自動車を運転している」(現在力士の自動車運転は禁止)と答えたが、デーモン小暮は「そういえば以前、首都高で車を走っていたら、横からクラウンが近づいてきてパッと見たら大潮が運転していた」と返し、大徹に爆笑されてしまった。
  • 両国国技館の土俵を経験した力士で最初に停年退職を迎えた。
  • 式秀部屋を継承した北桜は時津風部屋の弟弟子の長男で入門前から交流があったが、北桜の現役時代に所属した北の湖部屋は出羽海一門の所属で、時津風一門の式秀部屋を一門を超えて継承するのは極めて異例のことだった。[5]

脚注[編集]

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  1. ^ 取的は冠婚葬祭であろうと正装を纏うことはできず、番付相応の格好をせざるを得ない。
  2. ^ 『相撲』2012年4月号83頁
  3. ^ 左腓骨単純骨折・関節捻挫により10日目から途中休場
  4. ^ 右足親指挫傷により3日目から途中休場
  5. ^ 小野川親方、式秀部屋継承へ 一門転属は異例 スポニチアネックス 2012年12月19日(2013年1月3日閲覧)

関連項目[編集]

外部リンク[編集]