大竜忠博

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大竜忠博 相撲力士
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基礎情報
四股名 大竜 忠博
本名 佐藤 忠博(旧姓:永本)
生年月日 1960年9月30日(53歳)
出身 大阪府大阪市西成区
身長 181cm
体重 156kg
所属部屋 大鵬部屋
得意技 左四つ、寄り
成績
現在の番付 引退
最高位 十両4枚目(1994年11月場所)
生涯戦歴 555勝509敗28休(127場所)
データ
初土俵 1976年5月場所
引退 1997年7月場所
引退後 年寄・大嶽佐ノ山山響二子山→大嶽
備考
大嶽部屋師匠
2012年3月5日現在

大竜 忠博(だいりゅう ただひろ、1960年9月30日 - )は、大阪府大阪市西成区出身で大嶽部屋(旧大鵬部屋)所属の元大相撲力士。本名は、佐藤 忠博(さとう ただひろ)、旧姓は永本(ながもと)、帰化前は黄 忠博(ファン チュンパク)。身長181cm、体重156kg、血液型B型。得意手は左四つ、寄り。最高位は東十両4枚目(1994年11月場所)。現在は、年寄大嶽

来歴[編集]

中学校ではサッカー部に所属していたが、卒業後に知人の紹介で大鵬部屋に入門する。

1976年5月場所に初土俵を踏み、順調に番付を上げ、1979年7月場所には18歳の若さで幕下に昇進したが、以降9年近く幕下で相撲を取る。1988年3月場所に十両に昇進。8勝7敗と勝ち越し、十両に定着した。怪我もあり、何度か幕下に陥落したが、左四つ得意で1994年11月場所には自己最高位の東十両4枚目まで番付を上げた。幕内昇進の期待も有ったが6勝9敗と負け越し入幕はならなかった。

1995年5月場所中に右膝を故障。途中休場し翌7月場所に幕下に陥落した。それ以降、2回十両に復帰したが右膝の調子が思わしくなく2回とも負け越し幕下に陥落している。

1997年7月場所を最後に現役を引退。幕内経験は無かったが、当時の規定では十両連続20場所、又は十両通算25場所以上経験した力士に年寄資格があったため、年寄・大嶽を借りて15代として襲名した。最高位が十両であった力士が年寄を襲名したのは森ノ里改め11代尾上以来40年ぶりの出来事であった。以後佐ノ山山響を経て年寄・二子山を襲名し、大嶽部屋の部屋付きの親方として後進の指導に当たっていた。協会内では長きに渡り、決まり手係りを務め、大山親方(元前頭2・大飛)の右腕となり、新たな決まり手の整理・命名の取り纏めに取り組んだ。また、指導熱心で真面目な性格が買われ、引退直後から相撲教習所の実技担当講師として指導し、入門間もない若い力士の信頼を得た。

2010年7月、16代大嶽(元関脇貴闘力)が大相撲野球賭博問題日本相撲協会から解雇処分を受けたため、17代大嶽として年寄名跡を取得・再襲名した上で部屋を継承した。事務能力に非常に長けており、協会内での評価も高いという。指導者としては初のムスリム力士の大砂嵐らを育成している。

大鵬から先代大嶽に引き継がれた露鵬が素行不良の末に大麻問題で解雇された前例を教訓として大砂嵐の生活指導を徹底している。新入幕の決定した大砂嵐に対して「外出は許可制、門限は午後10時、彼女を作る必要もない」と厳しい態度を今後も取り続ける意向を示した。また、入幕会見中に大砂嵐が自身を「オレ」と呼んだ際はその都度「オレではない、私」と訂正を促す一幕があった。[1]

2014年の相撲協会の公益財団法人移行に際して、評議員として選任され、2014年3月場所の番付から、評議員として本名で番付に記載された。

主な成績[編集]

  • 生涯成績:555勝509敗28休(127場所) 勝率.522 
  • 十両成績:173勝195敗7休(25場所) 勝率.470
大竜 忠博
一月場所
初場所(東京
三月場所
春場所(大阪
五月場所
夏場所(東京)
七月場所
名古屋場所(愛知
九月場所
秋場所(東京)
十一月場所
九州場所(福岡
1976年
(昭和51年)
x x (前相撲) 西 序ノ口 #15
3–4
 
東 序ノ口 #9
5–2
 
西 序二段 #86
4–3
 
1977年
(昭和52年)
東 序二段 #58
4–3
 
西 序二段 #32
2–5
 
西 序二段 #61
休場
0–0–7
西 序二段 #106
6–1
 
東 序二段 #43
4–3
 
西 序二段 #19
3–4
 
1978年
(昭和53年)
東 序二段 #32
5–2
 
西 三段目 #81
4–3
 
西 三段目 #61
5–2
 
東 三段目 #34
2–5
 
東 三段目 #59
5–2
 
東 三段目 #29
4–3
 
1979年
(昭和54年)
東 三段目 #19
3–4
 
西 三段目 #34
2–5
 
東 三段目 #63
7–0
 
東 幕下 #58
2–5
 
西 三段目 #22
5–2
 
西 幕下 #60
5–2
 
1980年
(昭和55年)
西 幕下 #38
3–4
 
西 幕下 #48
3–4
 
西 三段目 #3
4–3
 
西 幕下 #55
3–4
 
東 三段目 #8
2–5
 
西 三段目 #29
4–3
 
1981年
(昭和56年)
東 三段目 #14
4–3
 
西 三段目 #2
4–3
 
東 幕下 #49
3–4
 
東 幕下 #56
休場
0–0–7
東 三段目 #31
4–3
 
西 三段目 #20
5–2
 
1982年
(昭和57年)
西 幕下 #56
3–4
 
西 三段目 #8
6–1
 
西 幕下 #33
2–5
 
東 幕下 #57
4–3
 
東 幕下 #46
3–4
 
西 三段目 #1
5–2
 
1983年
(昭和58年)
東 幕下 #39
5–2
 
西 幕下 #24
3–4
 
東 幕下 #38
4–3
 
東 幕下 #29
5–2
 
西 幕下 #14
4–3
 
西 幕下 #9
3–4
 
1984年
(昭和59年)
東 幕下 #18
3–4
 
西 幕下 #30
3–4
 
東 幕下 #43
5–2
 
西 幕下 #24
5–2
 
西 幕下 #14
3–4
 
西 幕下 #22
4–3
 
1985年
(昭和60年)
東 幕下 #16
5–2
 
東 幕下 #7
2–5
 
西 幕下 #27
6–1
 
東 幕下 #11
3–4
 
西 幕下 #18
4–3
 
西 幕下 #11
4–3
 
1986年
(昭和61年)
東 幕下 #7
3–4
 
東 幕下 #14
4–3
 
東 幕下 #9
2–5
 
西 幕下 #25
4–3
 
西 幕下 #16
3–4
 
西 幕下 #20
4–3
 
1987年
(昭和62年)
東 幕下 #14
2–5
 
東 幕下 #32
6–1
 
東 幕下 #14
4–3
 
西 幕下 #9
4–3
 
西 幕下 #4
3–4
 
東 幕下 #8
5–2
 
1988年
(昭和63年)
西 幕下 #2
5–2
 
西 十両 #11
8–7
 
東 十両 #9
8–7
 
東 十両 #6
6–9
 
東 十両 #11
9–6
 
西 十両 #6
6–9
 
1989年
(平成元年)
東 十両 #11
8–7
 
西 十両 #10
8–7
 
東 十両 #8
6–9
 
東 十両 #12
6–9
 
西 幕下 #1
5–2
 
東 十両 #11
9–6
 
1990年
(平成2年)
東 十両 #4
6–9
 
西 十両 #7
7–8
 
東 十両 #9
9–6
 
西 十両 #4
5–10
 
西 十両 #11
6–9
 
東 幕下 #2
2–5
 
1991年
(平成3年)
西 幕下 #13
2–5
 
西 幕下 #28
4–3
 
西 幕下 #22
4–3
 
西 幕下 #14
4–3
 
西 幕下 #10
3–4
 
西 幕下 #16
5–2
 
1992年
(平成4年)
西 幕下 #8
3–4
 
西 幕下 #15
4–3
 
東 幕下 #12
3–4
 
西 幕下 #16
3–4
 
西 幕下 #23
5–2
 
西 幕下 #12
4–3
 
1993年
(平成5年)
東 幕下 #7
5–2
 
西 幕下 #2
5–2
 
東 十両 #12
6–9
 
西 幕下 #2
2–5
 
西 幕下 #16
4–3
 
東 幕下 #13
4–3
 
1994年
(平成6年)
西 幕下 #8
4–3
 
西 幕下 #4
6–1
 
西 十両 #11
8–7
 
西 十両 #9
8–7
 
東 十両 #7
8–7
 
東 十両 #4
6–9
 
1995年
(平成7年)
西 十両 #9
8–7
 
東 十両 #8
8–7
 
西 十両 #6
3–5–7
 
東 幕下 #2
休場
0–0–7
東 幕下 #2
5–2
 
西 十両 #12
5–10
 
1996年
(平成8年)
東 幕下 #4
2–5
 
西 幕下 #17
6–1
 
東 幕下 #4
6–1
 
東 十両 #13
6–9
 
東 幕下 #4
2–5
 
西 幕下 #12
5–2
 
1997年
(平成9年)
西 幕下 #4
2–5
 
東 幕下 #15
2–5
 
西 幕下 #29
4–3
 
西 幕下 #21
引退
3–4–0
x x
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 十両・幕下
三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)

改名歴[編集]

  • 永本 忠博(ながもと ただひろ)1976年5月場所~1979年7月場所、1979年11月場所、1980年3月場所~9月場所
  • 永本 忠晴(-ただはる)1979年9月場所、1980年1月場所
  • 大竜 忠博(だいりゅう ただひろ)1980年11月場所~1982年5月場所、1982年9月場所~1997年7月場所
  • 大竜 忠晴(-ただはる)1982年7月場所

年寄変遷[編集]

  • 大嶽 忠博(おおだけ ただひろ)1997年7月~2002年9月
  • 佐ノ山 忠博(さのやま-)2002年9月~2005年4月
  • 山響 忠博(やまひびき-)2005年4月~2006年12月
  • 二子山 忠博(ふたごやま-)2006年12月~2010年7月
  • 大嶽 忠博(おおたけ ただひろ)2010年7月~

脚注[編集]

  1. ^ 大砂嵐「速すぎ」新入幕 nikkansports.com 2013年10月29日9時32分 紙面から

関連項目[編集]