大飛進
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| 基礎情報 | ||||
| 四股名 | 大飛 進 | |||
| 本名 | 小椋 進 | |||
| 生年月日 | 1952年10月16日(60歳) | |||
| 出身 | 愛知県名古屋市港区 | |||
| 身長 | 184cm | |||
| 体重 | 123kg | |||
| 所属部屋 | 大山部屋 | |||
| 得意技 | 左四つ、上手投げ | |||
| 成績 | ||||
| 現在の番付 | 引退 | |||
| 最高位 | 東前頭2枚目(1977年5月場所) | |||
| 生涯戦歴 | 468勝468敗5休(92場所) | |||
| 幕内戦歴 | 44勝60敗1休(7場所) | |||
| 優勝 | 三段目優勝1回 | |||
| データ | ||||
| 初土俵 | 1968年3月場所 | |||
| 入幕 | 1977年1月場所 | |||
| 引退 | 1983年5月場所 | |||
| 引退後 | 年寄・山響→大山 | |||
| 備考 | ||||
| 元・大山部屋師匠 | ||||
| 2012年10月8日現在 | ||||
大飛 進(だいひ すすむ、1952年10月16日 - )は、愛知県名古屋市港区出身で大山部屋所属の元大相撲力士。本名は小椋進(おぐら すすむ)。現役時代の体格は184cm、123kg。最高位は東前頭2枚目(1977年5月場所)。得意手は左四つ、上手投げ。現在は、年寄・大山。
目次 |
[編集] 来歴
市立港南中学での恩師が縁となり、熱心な勧誘の末、卒業と同時に元大関・松登の大山部屋に入門。1968年3月場所に初土俵を踏んだ。その当時、大山部屋には2人しか力士が在籍しておらず稽古相手に不足していたため、一門の高砂部屋に通って稽古を積んだ。その甲斐もあり着実に番付を上げ、1974年7月場所に十両に昇進した。
1場所で幕下に陥落し、1年以上幕下上位で苦労したが1975年11月場所に十両に復帰すると定着し、1977年1月場所に新入幕を果たした。四つになってからの右上手投げが得意で幕内上位まで番付を上げた。しかし痛風を患ってからは精彩を欠く相撲が多くなり十両に陥落。更には右大腿部の故障で1978年7月場所には幕下まで陥落し低迷した。
1979年7月場所に十両に復帰すると徐々に体調が回復し、1981年11月場所には実に25場所振りに再入幕を果たした。しかし幕内に定着すること無く2場所で十両に陥落した。再入幕を目指して相撲を取り続けたが左大腿部を故障し再度幕下まで陥落。1983年5月場所を最後に現役を引退。年寄・山響を襲名し、大山部屋の部屋付きの親方として後進の指導に当たった。
1986年4月に師匠の大山親方が急逝し、大山部屋を継承した。しかし資金が不足していたこともあり同年5月30日を最後に大山部屋の経営を断念し、弟子と共に一門の高砂部屋に転属となった。更に2011年12月27日には東関部屋へ転籍している。真面目な性格が買われ、協会内では長く相撲教習所に所属し、相撲教習所の教頭格の存在となっている。また、決まり手係を務め、2001年1月場所から15手加えられ82手となった決まり手の整理・命名に中心となって取り纏めた。さらに近年は「相撲健康体操」を発案し、女性を含め広く相撲の基本動作の普及に励んでいる。
2012年1月の日本相撲協会役員選挙で副理事に初当選。同年2月1日の職掌任命で巡業部副部長、警備本部副部長に就任した。
[編集] エピソード
前述の通り大山部屋継承時には資金がなく、先代の葬儀費用にも事欠く有様であった。小部屋の経営難を象徴する事例としてメディアでも取り上げられた。残された少ない弟子たちとともに手作りの葬儀で師匠を送り、先代の遺族や後援者に大変感謝されたと伝えられている。大山部屋の閉鎖については、高砂部屋への配慮からあまり語ることはなかったが、後年「部屋を残せなかったことは返す返すも残念で、師匠に申し訳なかった」と述懐している。
2010年2月1日に投開票された日本相撲協会理事選挙では選挙管理委員長を務め、投票方法の透明性を高めることに力を注いだ。それまでは投票箱と立会人の距離が非常に近かったため、誰に投票したかわかってしまう状況だったが、この距離を10メートルほど遠ざけ、また投票の様子を報道陣に公開した。このことが、一門を離脱し単独で立候補した貴乃花光司が、不利と思われた事前の予想を覆し当選したことにつながったとする見方もある。[1]
角界随一の知識人としても知られ、協会主催の「相撲寺子屋」の講師を長年つとめていた。特に相撲文化史に造詣が深く、過去には横綱・白鵬の綱先の「曲がりっぷり」を指摘した。以前の横綱の写真を携え白鵬に直接説明し、事情を理解した白鵬はただちに元来の「まっすぐに伸びた綱」に改めている。[2]
[編集] 主な成績
- 通算成績:468勝468敗5休 勝率.500
- 幕内在位:7場所
- 幕内成績:44勝60敗1休 勝率.423
- 各段優勝:三段目1回(1972年9月場所)
| 一月場所 初場所(東京) |
三月場所 春場所(大阪) |
五月場所 夏場所(東京) |
七月場所 名古屋場所(愛知) |
九月場所 秋場所(東京) |
十一月場所 九州場所(福岡) |
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|---|---|---|---|---|---|---|
| 1968年 (昭和43年) |
x | (前相撲) | 東 序ノ口 #12 4–3 |
西 序二段 #88 4–3 |
西 序二段 #60 3–4 |
西 序二段 #63 4–3 |
| 1969年 (昭和44年) |
西 序二段 #46 3–4 |
西 序二段 #52 4–3 |
西 序二段 #33 4–3 |
西 序二段 #10 3–4 |
西 序二段 #19 5–2 |
西 三段目 #85 2–5 |
| 1970年 (昭和45年) |
東 序二段 #8 5–2 |
東 三段目 #67 4–3 |
西 三段目 #49 4–3 |
西 三段目 #30 2–5 |
東 三段目 #50 4–3 |
東 三段目 #39 3–4 |
| 1971年 (昭和46年) |
西 三段目 #47 4–3 |
西 三段目 #35 3–4 |
東 三段目 #45 5–2 |
西 三段目 #18 4–3 |
東 三段目 #8 2–5 |
東 三段目 #30 4–3 |
| 1972年 (昭和47年) |
西 三段目 #17 3–4 |
東 三段目 #29 5–2 |
西 三段目 #6 3–4 |
西 三段目 #12 4–3 |
東 三段目 #5 優勝 7–0 |
西 幕下 #23 3–4 |
| 1973年 (昭和48年) |
東 幕下 #29 2–5 |
東 幕下 #49 4–3 |
西 幕下 #43 3–4 |
東 幕下 #56 5–2 |
西 幕下 #35 5–2 |
東 幕下 #20 3–4 |
| 1974年 (昭和49年) |
東 幕下 #28 5–2 |
西 幕下 #15 5–2 |
西 幕下 #4 6–1 |
西 十両 #12 6–9 |
東 幕下 #2 3–4 |
西 幕下 #5 3–4 |
| 1975年 (昭和50年) |
東 幕下 #10 4–3 |
東 幕下 #7 3–4 |
西 幕下 #11 5–2 |
西 幕下 #3 5–2 |
東 幕下 #1 4–3 |
西 十両 #13 8–7 |
| 1976年 (昭和51年) |
東 十両 #10 7–8 |
東 十両 #12 8–7 |
西 十両 #9 8–7 |
東 十両 #6 7–8 |
東 十両 #9 7–7 |
東 十両 #4 10–5 |
| 1977年 (昭和52年) |
西 前頭 #12 8–7 |
東 前頭 #8 9–6 |
東 前頭 #2 2–13 |
東 前頭 #12 9–6 |
東 前頭 #8 4–10–1 |
西 十両 #1 6–9 |
| 1978年 (昭和53年) |
西 十両 #3 7–8 |
西 十両 #6 8–7 |
東 十両 #5 6–9 |
西 十両 #8 2–11–2 |
西 幕下 #10 3–4 |
東 幕下 #17 5–2 |
| 1979年 (昭和54年) |
西 幕下 #8 3–4 |
西 幕下 #14 6–1 |
東 幕下 #2 5–2 |
東 十両 #8 7–8 |
東 十両 #9 8–7 |
西 十両 #7 6–9 |
| 1980年 (昭和55年) |
西 十両 #10 8–7 |
西 十両 #8 6–9 |
西 十両 #12 8–7 |
西 十両 #10 9–6 |
東 十両 #5 7–8 |
西 十両 #6 6–7–2 |
| 1981年 (昭和56年) |
西 十両 #8 8–7 |
東 十両 #4 4–11 |
西 十両 #11 9–6 |
西 十両 #5 8–7 |
西 十両 #3 10–5 |
東 前頭 #12 7–8 |
| 1982年 (昭和57年) |
西 前頭 #14 5–10 |
西 十両 #2 6–9 |
東 十両 #7 7–8 |
西 十両 #7 6–9 |
東 十両 #11 7–8 |
西 幕下 #1 2–5 |
| 1983年 (昭和58年) |
西 幕下 #14 4–3 |
東 幕下 #11 2–5 |
西 幕下 #32 引退 3–4–0 |
x | x | x |
| 各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。 優勝 引退 十両・幕下 三賞:敢=敢闘賞、殊=殊勲賞、技=技能賞 その他:★=金星 番付階級:幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口 幕内序列:横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列) |
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[編集] 改名歴
- 小椋 進(おぐら すすむ)1968年3月場所-1969年5月場所
- 剱岳 進(つるぎだけ-)1969年7月場所-1972年1月場所
- 大登 進(おおのぼり-)1972年3月場所-1978年1月場所
- 大登 征行(- まさゆき)1978年3月場所-1978年7月場所
- 大飛 進(だいひ すすむ)1978年9月場所-1983年5月場所
[編集] 年寄変遷
- 山響 進(やまひびき すすむ)1983年5月-1986年4月
- 大山 進(おおやま-)1986年4月-
[編集] 関連項目
[編集] 脚注
[編集] 外部リンク
- 力士・協会員紹介 - 東関部屋公式サイト
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