鷲羽山佳和

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基礎情報
四股名 鷲羽山 佳和
本名 石田 佳員
生年月日 1949年4月2日(65歳)
出身 岡山県児島市(現在の倉敷市
身長 175cm
体重 110kg
BMI 35.92
所属部屋 出羽海部屋
得意技 突っ張り、押し、いなし
成績
現在の番付 引退
最高位 関脇
生涯戦歴 699勝650敗83休 (113場所)
幕内戦歴 319勝353敗63休 (49場所)
優勝 十両優勝3回
敢闘賞3回
技能賞5回
データ
初土俵 1967年3月場所
入幕 1973年5月場所
引退 1985年11月場所
引退後 年寄・境川出羽海高崎
備考
金星2個(琴櫻1個、北の湖1個)
出羽海部屋前師匠
2014年4月1日現在

鷲羽山 佳和(わしゅうやま よしかず、1949年4月2日- )は、岡山県児島市(現在の倉敷市)出身で出羽海部屋に所属した大相撲力士。本名は石田 佳員(いしだ よしかず、旧姓は鈴木)。身長174cm、体重112kg。得意手は突っ張り、押し、いなし。最高位は東関脇

引退後は、1998年2月から2014年1月まで年寄・10代出羽海を襲名して出羽海部屋の師匠を務めた。

来歴[編集]

岡山県立琴浦高校を中退して、兄(後の十両常の山)が所属していた出羽海部屋から1967年昭和42年)3月場所で初土俵を踏んだ。初土俵の際に同姓の力士が既に在籍しており四股名選びに困っていたところ、入門前に常ノ山が切り盛りしていた料理店で本人と面識を持った縁で常ノ山の若名乗りである鷲羽山を与えられ、以後引退まで鷲羽山で通す。因みに四股名の由来である鷲羽山は彼の実家のすぐそばにあり、本人曰く「あまりに平凡で嫌だった。知り合いから電話があっても近所の山の方と混同されそうで恥ずかしかった」といい、私生活で恥じることなくこの四股名を名乗ることができるようになるまで襲名以降1年から2年を要したという。[1]身長173cmという入門規定ぎりぎりで合格し、小さい体で活躍した。1972年(昭和47年)7月場所で十両に昇進、その場所は全休するも公傷制度に助けられて番付は落ちなかった。それがその後の昇進に大きく影響したので、公傷によって救われたケースといえよう。その当時は『ちびっ子ギャング』の異名を取り、旭國北瀬海らとともに小兵旋風を吹かせ技能派力士として人気を博した。

新入幕を果たした1973年(昭和48年)5月場所では、初日から8連勝するとともに大関清國を破る殊勲の星を挙げ、11勝4敗の準優勝という好成績で敢闘賞を受賞した。1977年(昭和52年)7月場所では、殊勲・敢闘賞が該当なく、技能賞の彼だけが三賞受賞者となるという珍しい状態になったこともあった。北の湖をして、「あの人は僕とは相撲の見方が違う」と言わしめた力士だった。小柄ながら突っ張りや押し、いなしと言った多彩な技で長く土俵を沸かせた。ただし輪島に対しては極端に成績が悪く、初顔から18度戦って終に、一度も勝てずに終わった。

現役時代から語彙が多く表現力が長けており、「高見山に振られた時は宇宙遊泳してるようだった」などの名言を残している。36歳まで現役をつとめたことは、大型力士が輩出した時代のなかで特筆されよう。現役時代晩年には幕内と十両を往復していたが、その当時に黒船と称されるほどの快進撃を続けていた小錦八十吉を破り話題になった。また、相撲茶屋「伊勢福」の女将(小結大起の未亡人)の養子となって石田姓に改めた。

1985年(昭和60年)11月場所限りで現役引退して年寄・境川を襲名、出羽海部屋付きの親方として後進の指導に当たった。1995年平成7年)には、出羽海理事長横綱佐田の山)が理事長職に専念するため部屋の経営から離れることになったことを受けて、出羽海と境川の年寄名跡を交換して10代出羽海を襲名するとともに伝統ある出羽海部屋を継承した。2002年(平成14年)には、出羽海一門を代表して日本相撲協会理事に就任した。直弟子からは、小結普天王、十両・出羽鳳出羽平などの関取を育てている。

2010年3月31日に大関・把瑠都の昇進伝達式で使者を務めた際には、私服姿で夜の繁華街を闊歩したことなどで過去に2度の厳重注意を受けた例を引き合いにして「相撲も大事だけど、私生活もな。これからは、横綱みたいに注目されるのだから」と把瑠都に苦言を呈する異例の様子を見せた。同年1月場所直後に横綱・朝青龍が一般人への暴力行為を働いた不祥事を受けて引責引退したばかりであっただけにこの時期には外国人力士の品格が厳しく問われていた。出羽海はその日、伝達式から引き揚げる際にも「上を目指して努力してほしいが、私生活でも気を引き締めてもらわないといけない」と改めて訴えた。[2]

2010年に発覚した大相撲野球賭博問題では執行部(事業部長)として、また弟子の野球賭博関与の監督責任で、名古屋場所謹慎の処分となる[3]。場所中に入院した武蔵川理事長から場所後の理事長代行の指名を受けていたが、賭博問題を受けて発足した特別調査委員会の山口弘典の暴力団への維持員席のチケットが渡ったとされる問題で、山口の委員就任前に報告を受けながら黙認したことが問題となり、代行は場所中に努めた外部理事の村山弘義がそのまま務めることになった[4]

2014年4月に停年(定年)退職を迎えることに伴い、同年1月場所後に元・小城ノ花の高崎と名跡交換し出羽海部屋を継承させ、自身は15代・高崎を襲名した後、予定通り同年4月1日付で日本相撲協会を定年退職した。

主な成績[編集]

  • 通算成績:699勝650敗83休 勝率.518
  • 幕内成績:319勝353敗63休 勝率.475
  • 現役在位:113場所
  • 幕内在位:49場所
  • 三役在位:5場所(関脇3場所、小結2場所)
  • 三賞:8回[5]
    • 敢闘賞:3回 (1973年5月場所、1975年9月場所、1976年3月場所)
    • 技能賞:5回 (1976年1月場所、1976年5月場所、1976年11月場所、1977年5月場所、1977年7月場所)
  • 金星:2個(琴櫻1個、北の湖1個)
  • 各段優勝:十両優勝3回(1978年5月場所、1978年7月場所、1983年3月場所)

場所別成績[編集]

鷲羽山 佳和
一月場所
初場所(東京
三月場所
春場所(大阪
五月場所
夏場所(東京)
七月場所
名古屋場所(愛知
九月場所
秋場所(東京)
十一月場所
九州場所(福岡
1967年
(昭和42年)
x (前相撲) 西 序ノ口 #22
6–1
 
東 序二段 #67
5–2
 
東 序二段 #20
5–2
 
東 三段目 #85
5–2
 
1968年
(昭和43年)
西 三段目 #54
4–3
 
東 三段目 #42
3–4
 
西 三段目 #55
2–5
 
西 三段目 #71
3–4
 
西 三段目 #80
5–2
 
西 三段目 #47
4–3
 
1969年
(昭和44年)
東 三段目 #36
6–1
 
東 三段目 #2
3–4
 
西 三段目 #7
5–2
 
東 幕下 #44
3–4
 
東 幕下 #51
4–3
 
西 幕下 #40
5–2
 
1970年
(昭和45年)
西 幕下 #22
2–5
 
西 幕下 #32
2–5
 
西 幕下 #46
3–4
 
西 幕下 #53
3–4
 
東 三段目 #2
6–1
 
東 幕下 #35
6–1
 
1971年
(昭和46年)
東 幕下 #14
0–3–4
 
西 幕下 #43
3–4
 
東 幕下 #51
5–2
 
西 幕下 #27
6–1
 
東 幕下 #8
4–3
 
西 幕下 #6
4–3
 
1972年
(昭和47年)
西 幕下 #3
3–4
 
西 幕下 #5
4–3
 
西 幕下 #2
5–1–1
 
西 十両 #10
休場
0–0–15
西 十両 #10
7–8[6]
 
東 十両 #12
9–6
 
1973年
(昭和48年)
東 十両 #7
9–6
 
西 十両 #2
9–6
 
西 前頭 #13
11–4
東 前頭 #2
6–9
 
西 前頭 #3
6–9
 
西 前頭 #6
7–8
 
1974年
(昭和49年)
西 前頭 #7
8–7
 
東 前頭 #4
7–8
西 前頭 #5
2–6–7[7]
 
東 十両 #1
10–5
 
東 前頭 #10
7–8
 
東 前頭 #12
1–3–11[8]
 
1975年
(昭和50年)
東 十両 #9
8–7
 
西 十両 #7
8–7
 
東 十両 #5
10–5
 
西 前頭 #12
8–7
 
東 前頭 #7
11–4
東 前頭 #1
5–10
1976年
(昭和51年)
東 前頭 #6
12–3
東 小結
10–5
東 関脇
8–7
西 関脇
5–10
 
東 前頭 #3
7–8
 
西 前頭 #4
10–5
1977年
(昭和52年)
西 小結
6–9
 
西 前頭 #1
6–9
 
西 前頭 #4
8–7
西 前頭 #1
9–6
西 関脇
3–12
 
東 前頭 #4
6–9
 
1978年
(昭和53年)
西 前頭 #8
休場
0–0–15
東 十両 #7
8–7
 
東 十両 #6
優勝
11–4
東 十両 #1
優勝
10–5
東 前頭 #10
7–8
 
東 前頭 #11
8–7
 
1979年
(昭和54年)
東 前頭 #7
8–7
 
東 前頭 #3
1–6–8[9]
 
西 前頭 #13
4–11
 
東 十両 #4
9–6
 
西 前頭 #14
8–7
 
西 前頭 #10
9–6
 
1980年
(昭和55年)
西 前頭 #2
5–10
 
東 前頭 #6
9–6
 
東 前頭 #1
3–12
 
西 前頭 #10
9–6
 
東 前頭 #6
8–7
 
東 前頭 #1
5–10
 
1981年
(昭和56年)
西 前頭 #7
6–9
 
西 前頭 #10
10–5
 
西 前頭 #3
7–8
 
西 前頭 #4
7–8
 
西 前頭 #4
8–7
 
東 前頭 #1
4–4–7[10]
 
1982年
(昭和57年)
東 前頭 #10
休場
0–0–15
西 十両 #4
6–9
 
東 十両 #9
7–8
 
東 十両 #10
9–6
 
西 十両 #4
5–10
 
西 十両 #9
10–5
 
1983年
(昭和58年)
西 十両 #1
7–8
 
東 十両 #3
優勝
11–4
西 前頭 #11
7–8
 
西 前頭 #12
6–9
 
西 十両 #3
9–6
 
東 十両 #1
10–5
 
1984年
(昭和59年)
東 前頭 #11
5–10
 
東 十両 #2
8–7
 
西 十両 #1
10–5
 
西 前頭 #11
6–9
 
西 十両 #1
8–7
 
東 十両 #1
6–9
 
1985年
(昭和60年)
東 十両 #7
6–9
 
西 十両 #8
10–5
 
東 十両 #4
7–8
 
東 十両 #6
7–8
 
東 十両 #7
6–9
 
西 十両 #11
引退
6–9–0
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 十両・幕下
三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)

改名歴[編集]

  • 鷲羽山 佳和(わしゅうやま よしかず):1967年3月場所-1985年11月場所

年寄変遷[編集]

  • 境川 佳和(さかいがわ よしかず):1985年11月-1996年2月
  • 出羽海 義和(でわのうみ よしかず):1996年2月-2014年1月
  • 高崎 義和(たかさき -):2014年2月-2014年4月

関連項目[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ 『相撲』2014年3月号72頁
  2. ^ ノーモア朝青龍!大関・把瑠都に使者“物言い” Sponichi Annex 2010年04月01日
  3. ^ 2010年 7月5日朝日新聞
  4. ^ 維持員席問題で辞任拒否…山口特別調査委員を解任 スポニチアネックス 2010年7月24日閲覧
  5. ^ 殊勲賞の受賞経験がない力士としては最多である。
  6. ^ この地位は張出十両10枚目。http://gans01.fc2web.com/S40/S47-9.html
  7. ^ 左足首関節捻挫により3日目から途中休場、11日目から再出場
  8. ^ 右足首関節捻挫により4日目から途中休場
  9. ^ 右膝関節捻挫により7日目から途中休場
  10. ^ 右膝関節捻挫により8日目から途中休場