相撲茶屋

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内, 検索

相撲茶屋(すもう ぢゃや)とは、大相撲が開催される施設、特に国技館及び大阪府立体育館において、本場所開催中に観客に対して接客・飲食・土産などの便宜を図る業種。単にお茶屋(おちゃや)ともいう。正式名称は相撲案内所(すもう あんないしょ)だが、あまり普及はしていない。なお、「相撲+茶屋」という連想からかちゃんこ料理店が「相撲茶屋○○」を名乗っていることがよくあるが、これらと相撲案内所は多くの場合関連企業ではない。

相撲茶屋は現在両国国技館に20軒、大阪に8軒あり、観客を枡席まで案内したり、飲食物の注文をとってこれを座席まで届けたり、観戦土産品やその他の国技館関連商品を製造販売したり、大相撲観戦チケットの予約受付や販売を行ったりしている。

それぞれの相撲茶屋の女将や主人は往年の関取に縁のある人物が多い。かつてはこれらのお茶屋が独立経営で成り立っていたが、1957年の相撲協会改革の際にこれを「相撲案内所」として再編、新規設立した相撲サービス株式会社(すもうサービス かぶしきがいしゃ)の傘下に置いて法人化した。これが1985年に両国国技館移転に伴って改称された国技館サービス株式会社(こくぎかんサービス かぶしきがいしゃ、本社:東京都墨田区横網1丁目3 両国国技館内)である。

目次

[編集] 相撲茶屋から相撲案内所へ

かつて歌舞伎人形浄瑠璃の劇場では芝居茶屋とよばれる専属のお食事処が観客の食事や飲み物をまかなっていた。これと同じように、大相撲が開催される施設、特に国技館では「相撲茶屋」(通常は単に「お茶屋」)と呼ばれる専属の接客業者が観客の世話をした。

お茶屋の大きな特徴は、そのほとんどが枡席の観客のみを営業の対象とし、しかも各茶屋が「枡席を保有する」というかたちで、それぞれ縄張りをもっていることにある。例えば、現在両国国技館には約1500の枡席があるが、その一割以上を最大手の「四ツ万」が「保有」しており、他の茶屋の出方はたとえ千金を積まれても、この四ツ万が保有する枡席の客から注文を取ったりはしない。

しかしこれは裏返せば、高額の枡席へ足繁く通える一部の裕福な常連客のみに茶屋は便宜を図る、という状況を作り出すものだった。二階の座席席などへは、物を届けてもろくなご祝儀が期待できないので、最初から行かない。また枡席の客であっても、ご祝儀の習慣や相場に慣れない一見の客はなかなか歓迎されない。はじめに席に通された後は、お茶屋からは何も言って来ない、出方も一向に姿を見せない、よって注文もできない、お茶も冷たくなるばかり、などといった好ましからざる状態が続いたのである。

そこで日本相撲協会は1957年の制度改革の際、当時蔵前国技館に20軒あった「相撲茶屋」を新たに「相撲案内所」とし、それぞれの屋号をやめてこれを「一番」から「二十番」の案内所とした。そして新規に「相撲サービス株式会社」を立ち上げ、各案内所をその傘下に置いて法人化した。相撲サービス社は1985年に国技館が台東区の蔵前から墨田区の横網に移転する際、この社名が墨田区ではすでに登記されていたため、当時の日本相撲協会春日野理事長の発案で現行の「国技館サービス株式会社」の名称に変更された。

しかしいかに彼らを「相撲案内所」に再編して「株式会社」の傘下に組込んでみても、個々の相撲案内所の経営体質や営業姿勢は旧態依然のままで、結局のところ単なる名称変更に終わってしまったことは否めなかった。実際、今日でもこれらの業者のことを正式名称の「相撲案内所」と呼ぶことは稀で、一般には「相撲茶屋」または「お茶屋」と呼ぶことがほとんどである。「一番」から「二十番」の案内所番号に至ってはほとんど有名無実化しており、それぞれのお茶屋では今日でもそれぞれの由緒ある屋号を前面に打ち出して使用している。それぞれの枡に置かれた湯のみ急須には、その枡席を保有するお茶屋の番号が無造作にマジックインキで書きつけられているが、一般の観客が案内所番号のことを意識するのは、これを見て一瞬考え込むときぐらいのものである。作家の喜多哲士は自身のウェブサイトで、この有様を「大相撲は現代に残る江戸時代だ。スポーツではない、興行だ」と評している(『大相撲小言場所』)。

[編集] 案内所(お茶屋)の一覧

毎年一月、五月、九月の大相撲本場所が開催される期間中、国技館サービス社のもとには「一番」〜「二十番」の「相撲案内所」が置かれ、これが実際の営業業務を行う。

以下の一覧は1997年当時のもの。

案内所 屋号 女将・主人 備考
 一番 たかさごや
高砂家
市毛 睦子 元横綱 常陸山(五代 出羽海親方)の裔
 二番 きのくにや
紀の国家
富樫 セツ子 元横綱 柏戸(七代 鏡山親方)の未亡人
 三番 やまとや
大和家
長 節子 元横綱 栃錦(九代 春日野親方)の義妹
 四番 よしかわ
吉可和
寺尾 千賀子 元関脇 寺尾(二十代 錣山親方)の叔母
 五番 みのひさ
みの久
小林 京子
 六番 なかばしや
中橋家
錦島 法子
 七番 わかしま
和歌島
松井 智子 元関脇 福の花(十三代 関ノ戸親方)の妻
 八番 じょうしゅうや
上州家
松崎 民子 元小結 射水川(八代 若松親方)の裔
 九番 にしかわや
西川家
大上戸 ハルエ 元前頭 清恵波(九代 中川親方)の未亡人
 十番 みかわや
三河屋
中立 秀子 元大関 伊勢ノ濱(七代 中立親方)の裔
十一番 じょうしょう
上庄
鷹中 敏祐
十二番 よつまん
四ツ万
市川 富美子 元横綱 佐田の山(十二代 境川親方)の義母
十三番 むさしや
武蔵屋
北村 つね子
十四番 しらとよ
白豊
山野辺 道代 元横綱 常ノ花(七代 出羽海親方)の長女
十五番 はせがわや
長谷川家
長谷川 節江
十六番 かわへい
河平
西ノ内 彌壽雄 元横綱 玉錦(六代 二所ノ関親方)の子
十七番 ふじしまや
藤しま家
山野辺 洋子 元横綱 常ノ花(七代 出羽海親方)の次女
十八番 いせふく
伊勢福
石田 登美 元関脇 鷲羽山(十代 出羽海親方)の義母
十九番 たてかわ
竪川
安江 道子
二十番 はやしや
林家
古川 四郎

[編集] 逸話

  • 両国国技館の名物の一つに焼き鳥がある。「国技館の焼き鳥」などとも呼ばれるこの飲食土産は、一度蒸してから焼くことにより冷たくなっても味が落ちないように工夫されている。その製造の全工程(仕込・調理・梱包)を一括して行っているのが地下の「焼き鳥工場」だが、これを管理経営しているのも国技館サービス社である。毎年1月、5月、9月の本場所が開催される期間中のみの営業。
  • かつてGAORAなどでプロレス中継の実況をしていた松崎年男は、父が元関脇 房錦の十代 若松親方で、本人も相撲茶屋「上州家」(相撲案内所 八番)の会長代行をつとめている(2007年現在)。

[編集] 外部リンク


個人用ツール
名前空間
変種
操作
案内
ヘルプ
ツールボックス