断髪式

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断髪式(だんぱつしき)とは、大相撲引退した力士がそのシンボルともいえる大銀杏を切り落とす儀式のことを言う。転じて、近年は一般人が単にの毛を切り落とすことにも少数使われている。

目次

[編集] 概要

[編集] 引退相撲での断髪式

通常、引退に際し年寄名跡を襲名した力士の場合、引退相撲(「○○(力士名)引退 ○○(年寄名)襲名披露大相撲」と銘打たれて開催されるのが通例)において、引退した力士の家族、後援者、恩人、友人らが次々と土俵に上がって、紋付羽織袴姿で座っている引退力士のに少しずつを入れ、最後に師匠に当たる親方が髷を切り落として終了となる。現在では引退力士は椅子の上に座るが、昭和20年代までは土俵の上に正座していた(昭和21年の横綱双葉山の断髪式では土俵中央に正座しているが、28年の横綱照國・翌29年の横綱羽黒山の断髪式では椅子に座っている)。

力士によっては300人以上の人が鋏を入れることもあるが、2003年平成15年)5月場所後に引退相撲を行った貴乃花光司の場合は、本人の希望もあって、相撲協会関係者、息子、実兄で横綱だった花田勝ら親戚、同期生である魁皇博之ら50人に留まっている。

土俵上は女人禁制なので鋏を入れられるのは当然男性のみである。ただし、2010年平成22年)9月場所後に引退相撲を行った千代大海龍二の場合は、女性も鋏を入れられるように土俵の東方の端にも椅子を置き、実母による断髪も行っていた。

断髪式は引退力士にとって、長年頭の上にあった髷がなくなるため、「本当に大相撲から引退してしまうのだな」という気持ちや、今迄の相撲人生において沢山の想い出が甦るという理由からか、引退時記者会見ではさっぱりとした表情で話をしていた力士であっても、ほとんどの場合感極まって目から大粒の涙を流してしまう場合が多い。

引退相撲は原則として毎年1、5、9月の本場所終了後の1週間後の土日に両国国技館で開催される。また横綱、大関など人気力士の断髪式、披露パーティーの模様ともなれば、当日にテレビ中継されることもある。

[編集] 引退相撲当時の師匠以外の親方が止め鋏を入れた力士

本来、止め鋏は師匠が入れるものだが、何らかの理由により不可能となる場合がある。その場合は別の親方が代理を務める。止め鋏不可能の理由は、師匠死亡や退職により、引退力士本人が部屋を継承するものが最も多い。特に、二枚鑑札が認められていた時代には多かった。師匠代理を務めるのは、一門本家の師匠や、退職した先代(本人健在で円満退職の場合)となることが多い。本家を継承し、なおかつ先代が出席できない場合は、兄弟子が行うこともある。以下にその実例を挙げる。四股名の後ろには断髪当時襲名していた年寄名跡を記す。

  • 鏡岩善四郎(粂川) - 止め鋏不明:現役中に師匠鬼竜山雷八が亡くなり、二枚鑑札で部屋を継承していた。
  • 玉ノ海梅吉(二所ノ関) - 止め鋏不明:現役中に師匠玉錦三右エ門が亡くなり、二枚鑑札で部屋を継承していた。
  • 前田山英五郎(高砂) - 止め鋏朝潮太郎:入門時の師匠。前田山が大関の時に廃業し、二枚鑑札で継承させていたため、本名の薦田長吉。引退相撲が行なわれた当時健在のため、師匠として鋏を入れた。
  • 佐賀ノ花勝巳(二所ノ関) - 止め鋏不明:現役中に先代二所ノ関(玉ノ海梅吉)廃業により、二枚鑑札で部屋を継承していた。ちなみに、止め鋏を入れたのは玉ノ海ではない。
  • 羽黒山政司(立浪) - 止め鋏双葉山定次:当時の時津風親方。現役中に師匠緑嶌友之助が亡くなり、二枚鑑札で部屋を継承していたため立浪部屋の兄弟子に当たる双葉山が止め鋏を入れた。
  • 栃錦清隆(春日野) - 止め鋏常ノ花寛市:当時の出羽海親方。現役中に師匠栃木山守也が亡くなり、二枚鑑札で部屋を継承していた。
  • 松登晟郎(大山) - 止め鋏前田山英五郎:当時の高砂親方。師匠高登渉が松登の引退相撲直前に亡くなり、部屋を継承した。
  • 佐田の山晋松(出羽海) - 止め鋏出羽ノ花國市:当時の武蔵川親方。佐田の山現役時代は師匠だったが、引退と共に部屋を継承させ、出羽海から武蔵川になった。
  • 琴櫻傑將(佐渡ヶ嶽) - 止め鋏佐賀ノ花勝巳:当時の二所ノ関親方。師匠琴錦登が琴櫻引退直後に亡くなり、部屋を継承した。
  • 金剛正裕(二所ノ関) - 止め鋏十勝岩豊:当時の湊川親方。現役中に師匠佐賀ノ花勝巳が亡くなった後も後継者は未定であり、正式決定までの間は湊川親方が暫定的に二所ノ関を襲名して、部屋を継承していた。後継者に正式決定した金剛の引退と同時に、十勝岩は名跡を譲り、湊川に戻った。
  • 輪島大士(花籠) - 止め鋏若乃花幹士:当時の二子山親方。師匠の大ノ海久光が輪島に花籠部屋を譲った後、輪島の引退相撲の直前に亡くなったため、花籠部屋の兄弟子に当たる初代若乃花が止め鋏を入れた。
  • 星岩涛祐二(陸奥) - 止め鋏豊山勝男:当時の時津風親方。師匠星甲良夫停年退職と共に引退し、部屋を継承していた。師匠は健在だったが(出席したかどうかは不明)、一門の総帥である豊山が止め鋏を入れた。
  • 孝乃富士忠雄(年寄襲名せず) - 止め鋏北の富士勝昭:当時の陣幕親方で入門時の師匠。孝乃富士の現役晩年に、北の富士は千代の富士に部屋を譲って、九重から陣幕となった。断髪式当時に、師匠が健在かつ協会在職中でありながら、師匠以外の人物が止め鋏を入れるのは当時極めて異例だったが、孝乃富士自ら最後の止め鋏には、前師匠の北の富士に入れて欲しいという希望理由からでもあった。
  • 起利錦利郎(立川) - 止め鋏藤ノ川武雄:当時の伊勢ノ海親方。師匠の鏡山親方(柏戸剛)は健在だったが、体調を崩し欠席したため、師匠の弟弟子に当たる藤ノ川が止め鋏を入れた。
  • 琴ノ若晴將(佐渡ヶ嶽) - 止め鋏琴櫻傑將:相撲協会を停年退職していたため、本名の鎌谷紀雄。師匠である先代親方(琴櫻)の停年退職と共に引退し、部屋を継承していた。
  • 光法賢一(安治川) - 止め鋏竹葉山真邦:当時の熊ヶ谷親方で入門時の師匠。光法の現役晩年に、金親和行に部屋を譲って、宮城野から熊ヶ谷となった。前述の孝乃富士同様に断髪式当時、師匠が健在かつ協会在職中でありながら、師匠以外の人物が止め鋏を入れることとなった。部屋事情については宮城野部屋の項も参照。
  • 時津海正博(時津風) - 止め鋏豊山勝男:入門時の師匠。相撲協会を停年退職していたため、本名の内田勝男。時津風部屋力士暴行死事件で、当時の時津風親方(双津竜順一)が逮捕され相撲協会から解雇されたため、急遽引退し部屋を継承した。
  • 潮丸元康(東関) - 止め鋏高見山大五郎:相撲協会を停年退職していたため、本名の渡辺大五郎。師匠である先代親方(高見山)の停年直前に引退、小野川を一時襲名後、停年退職と共に部屋を継承していた。
  • 土佐ノ海敏生(立川) - 止め鋏藤ノ川武雄:入門時の師匠。相撲協会を停年退職していたため、本名の森田武雄。当初は師匠の伊勢ノ海親方(藤ノ川)が協会在職中の2011年5月場所後に開催される予定だったのが、大相撲八百長問題の影響で2012年1月場所後に延期されていた(先代の停年は2011年9月場所後)。

[編集] その他の断髪式

引退相撲の基準に達しなかった場合や、達しても多額の経費の問題から、引退相撲を行わずに、国技館の大広間等を借りて断髪式を行ったり、関取まで上がれなかった力士の場合だと、各部屋の千秋楽後の打ち上げパーティーの会場で断髪式が行われることが多い。その場合、土俵上ではないので女性も鋏を入れることが出来る。幕下以下の力士は取組で大銀杏を結うことは出来ないが、断髪式の時には結うことが許される。

年寄襲名した力士でも、北桜英敏(年寄小野川襲名)のように、外部の会場で断髪式を行ったものもいる。元前頭筆頭・琴龍宏央(幕内通算51場所、準年寄として1年間在籍)、元前頭筆頭・朝乃若武彦(幕内通算54場所、引退する前の場所まで連続1145回出場、年寄・若松を取得)は引退相撲は行わず琴龍は国技館大広間、朝乃若は国技館土俵を利用して部屋関係者だけの独自の断髪式を行っている。他にも井筒部屋の元小結・陣岳隆も引退後、年寄・春日山を襲名したが引退相撲は行っていない(引退翌年、弟弟子の逆鉾が実父の停年まで一時的に年寄・春日山を襲名したため退職)。幕内経験者では、元小結・巴富士俊英千代天山大八郎、元幕内・大和剛が千秋楽の打ち上げパーティーの席で断髪式を行っている。他に、元幕内・常の山勝正は「ここが私の原点である」との理由から部屋の稽古土俵で断髪式を行っている(通常であれば稽古土俵での断髪式は幕下以下の力士が行なうものである)。三段目で弓取り力士だった千代の花は、千秋楽当日まで国技館、打ち上げパーティーの会場で弓取りを行い、直後に断髪式を行った。近年では、富風悟皇牙篤のように、協会の引退相撲興行という形ではなく、自主的な断髪式の場合で国技館の土俵を使用する場合も存在する。

ただし、1987年昭和62年)11月場所後の12月31日、当時の師匠だった立浪親方(元関脇・安念山治)らと衝突、部屋を飛び出したまま廃業した第60代横綱・双羽黒光司の場合、断髪式は1988年(昭和63年)の3月上旬に東京都内のホテルで行われた。3月場所の直前ということも有り、立浪親方を初め大相撲関係者は誰一人も出席せず、最後の止め鋏を入れたのは双羽黒の実父であった。さらに1997年(平成9年)9月場所後に、同じく師匠の鳴戸親方(元横綱・隆の里俊英)と衝突し、行方をくらましたまま引退届を提出した元幕内・力櫻猛の場合、断髪式は相撲関係者の有志がそれぞれ集まり(鳴戸親方は顔を出さなかった)、最後の止め鋏を入れたのは元大関の小錦八十吉(当時佐ノ山親方)だった。

二所ノ関部屋の後継者問題がこじれ、角界に嫌気が差してプロレスに転向した元幕内・天龍源一郎は、転向後に入門した全日本プロレスの興行で断髪式を行った。止め鋏は全日本プロレスの社長だったジャイアント馬場が入れた。奇しくもその会場は、旧両国国技館の日大講堂であった。

元十両・魁道康弘琴冠佑源正も断髪式は行っているが止め鋏は師匠ではなく前者は実父、後者は引退後の勤務先の社長、元幕内・大日ノ出崇揚も日大の恩師・田中和寿監督がそれぞれ、止め鋏を務めている。

[編集] 関連項目

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