神道

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神 道

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神道(しんとう・かんながらのみち)とは、日本の民俗的な信仰体系であり、日本固有の多神教宗教である。

目次

[編集] 概要

日本列島に住む民族の間に自然発生的に生まれ育った伝統的な民俗信仰自然信仰を基盤とし、豪族層による中央や地方の政治体制と関連しながら徐々に成立した。神道には明確な教義や教典がなく、『古事記』『日本書紀』『古語拾遺』『宣命』などといった「神典」と称される古典を規範とする。森羅万象にが宿ると考え、天津神・国津神祖霊を祀り、祭祀を重視する。浄明正直(浄く明るく正しく直く)を徳目とする。他宗教と比べて、現世主義的であり、性善説的であり、祀られるもの(神)と祀るもの(信奉者)との間の連体意識が強い、などといった特徴が見られる。

神道は、日本国内で約1億600万人に支持されており(文化庁「宗教年鑑」)、約85000の神社が登録されている。

[編集] 分類

神道は(1)皇室神道・(2)神社神道・(3)教派神道(神道十三派)・(4)民間神道に分類できる。今日、単に「神道」といった場合には(2)神社神道を指す。また、何に重きを置くかによって、(a)儀礼を中心とする社人神道と、(b)教学を中心とする学派神道とに分けられる。

(1)皇室神道は、皇居内の宮中三殿を中心とする皇室の、すなわち天皇家の神道である。(2)神社神道は、神社を中心とし、氏子・崇敬者などによる組織によって行われる祭祀儀礼をその中心とする信仰形態である。(3)教派神道は教祖・開祖の宗教的体験に基づく宗教で、他の神道とは少し性質が異なる。(4)民間神道は「民俗神道」とも呼ばれ、日本で古くから民間で行われてきた信仰行事をいう。

なお、「国家神道」は特に1868年王政復古の大号令から第二次世界大戦終結までの日本における国家の支援の下に行われた神道を指す名称である。教派神道の「『神道各派』から区別された神ながらの道は、とくに国家神道とも呼ばれるが、法律家や行政実務家は、以前からそれを神社と呼ぶのが例」(宮沢俊義『憲法講話』1967年)であり、戦前には単に「神社」と言えば国家に厳重に管理された「国家神道」そのものを言った。GHQが排したのは軍国主義の権化としての「神社」であったが、現在では政教分離が進んで「神社」の語義が変化しており、「国家神道」を単に「神社」と称することはなくなった。また、「国家神道」の語をGHQによる捏造とする謬説については「国家神道」参照。

また、次のような分類もされる。

[編集] 由来と教義

「神道」という言葉は、中国の『易経』や『晋書』の中に見えるが、これらは「神(あや)しき道」という意味である。これは日本の神道観念とは性質が異なるものである。

日本における「神道」という言葉の初見は、『日本書紀』の用明天皇の条にある「天皇信佛法尊神道」(天皇、仏法を信じ、神道を尊びたまふ)である。このように外来の宗教である仏教と対になる、日本固有の信仰を指したものであった。『日本書紀』には渡来人執筆説があり、日本固有の信仰に「神道」の語をあてたのは、日本に仏教を伝えた中国の人々であるとする説もある。表現や観念は『淮南子』などの中国的なものに満ちているが、その素朴でみずみずしい話素ハイヌウェレ型神話などの世界各地に残る神話との共通性も多い。中国では、信仰は4段階に進化すると考えられ、仏教は一番進んだ「聖道」に達していると信じられていた。一番下の段階が「鬼道」で、『魏志倭人伝』の中にもこの語が出てくる。次の段階が「神道」である。すなわち、「神道」という語は、鬼道よりは進んでいるが、まだまだ劣っているという蔑称であった。しかし、日本ではこの「神道」という言葉に独自の解釈が加えられていった。すなわち、神を信仰する道「神ながらの道」である。

明治20年(1887年)代になると西欧近代的な宗教概念が日本でも輸入され、宗教としての「神道」の語も定着し始める。明治30年(1897年)代には宗教学が本格的に導入され、学問上でも「神道」の語が確立した [1]

元々、神道にはイエス・キリスト釈迦のようなカリスマ的創唱者が存在しなかった。政権による土着の民俗信仰との支配的な祭政一致が行われた神道が教義を言語で統一的に定着させなかったのは、古代より「神在随 事擧不為國」(神ながら 言挙げせぬ国 柿本人麻呂、『万葉集』第13巻3253番)であったからであるとも言われている。そのため、外来諸教と融合しやすい性格を有することになったとも言う。しかし、神道のような土着の民俗信仰と宗派宗教の併存例は世界各地で見られるものであり、日本が特に珍しい例というわけではない。実際には仏教公伝の当初から廃仏派の物部氏と崇仏派の蘇我氏の間で抗争もあった。中世には伊勢神道をはじめとして吉田神道などの諸派が反本地垂迹説など複雑な教理の大系をつくりあげてゆく。近世後期には平田篤胤がキリスト教の最後の審判の観念の影響を受けた幽明審判思想アメノミナカヌシ創造神とする単一神教的な観念を展開するなど近代に連なる教理の展開を遂げた。近世に大きく発展した儒家神道は次第に大衆に支持基盤を得て尊王攘夷思想を広め、討幕の国民的原理ともなっていった。近代には神道事務局祭神論争という熾烈な教理闘争もあったが、結局は政府も神道に共通する教義体系の創造の不可能性と、近代国家が復古神道的な教説によって直接に民衆を統制することの不可能性を認識して大日本帝国憲法でも信教の自由を認めせざるを得なかった[2]国家神道参照)。もっともそれには、欧米列強に対して日本が近代国家であることを明らかにしなければならないという事情もあった。神社神道では教義を明確に統一できないことに由来する神道の「掴みにくさ」は、同時に言語に強く依存した外来の諸宗教に完全には吸収同化されない、身体感覚を重視した遠い昔からの所作の現われとして現代日本社会にもなお受け継がれている。この結果、仏教や儒教、キリスト教などの受容後も、神道的なものが日本人の精神生活に幅広く残ったのである。これらを俯瞰すると、抱擁的側面は出雲が有し、社会制御的側面を伊勢が受け持ったともいえる。

なお、神道が宗派宗教よりも民俗信仰の性質を強く残していることが、欧米など宗派宗教の存在感が極めて強い地域の住民に「日本人は無神教無宗教である」と揶揄もしくは批判される原因になっているという指摘もある。自らを無宗教だと考える日本人も少なくない。しかしそれは唯一神教のみが宗教であるといった極端な立場を持つ人、あるいは近代の王政復古の大号令以後の天皇を中心とした政治体制下での神道(いわゆる国家神道)や、神道の教理についての知見の無い者に多いからだろう。神道は唯一神教の持つ不寛容性を補完できる可能性も秘めており、唯一神教の影響下にある文明が捨て去った貴重な知的財産と見る海外研究者も少なくない。

[編集] 神道における「神」

神道は多神教であるが、祖霊崇拝性が強いため、古いものほど尊ばれる。1881年神道事務局祭神論争における明治天皇の裁決によって伊勢派が勝利し、天照大神が最高の神格を得たが、敗北した出雲派的なものが未だに強く残っていたり、氏神信仰などの地域性の強いものも多い。

気象、地理地形に始まりあらゆる事象に「神」の存在を認める。いわゆる「八百万の神」である。この点はアイヌの宗教にも共通する。詳細は神道における神を参照のこと。また、生前業績があった人物を、没後神社を建てて神として祀る風習なども認められる。

一方で外来の「神」も自らに取り込んでしまうという習性を持っており、ユーラシア大陸由来の原始宗教の「神」は多くが神道でも「神」として祀られている。その中には対立しているはずの「神」同士が神道の中では両立していたりする。また外来の聖者を「神」と扱うことも多い。この習性は近世になり、産業革命による信仰の重要度の低下と、情報伝達手段が発達したことによって薄れていったが、それでも本来キリスト教の要素である十字架が一般に「聖なる物」として認知されたり、(特に新月イスラム教)、六紡星ユダヤ教)といった要素を「人知を越えた存在の象徴」として捉えるなどといった文化的な形で残っている。

[編集] 神道の研究

平安時代以前より、出雲において日本神話とのかかわりが議論されていたらしく『出雲風土記』には他所風土記とは違い、そういった性格を色濃く見ることが出来る。

鎌倉時代伊勢神宮神官による学問的研究がはじまり、徐々に現在の神祇信仰の形を取るに至った。そして、そうした伊勢派の努力はやっと江戸末期のお伊勢参りの確立によって、知識人よりも祖霊性の強い庶民の一部からも支持を得ることに成功した。一方で、本居宣長が江戸期には解読不能に陥っていた、『古事記』の解読に成功し、国学の源流を形成していった。これら神道や国学の目覚めが欧米列強に植民地化されつつあったアジアの中で、日本の自覚を促し、明治維新を成功に導く思想的流れの一角を成した。神道が形成される過程において、古代は仏教から強く影響を受け、近世では儒教の日本への流入が大きい。伊勢派の果したことは、それに対抗する神道側の努力であったと考えるべきであろう。

[編集] 現代の神道

現代の神道は、延喜式(特に「神名帳」)に見られる古くから大和朝廷(ヤマト王権)が祀ってきた神々を中心に統制され、仏教や地方の神々(元は氏神など)を習合し、全国的な一大ネットワーク及び独特の世界を形成しているように見える。また、江戸時代の儒教神道復古神道、明治時代の国家神道の影響を強く受けている。

神道に属する神々を祭神とする社を神社(じんじゃ)と言い、全国の神社の大部分は神社本庁が統括している。

[編集] 皇室と神道

現在では政教分離の性質上、皇室と神道があからさまに結びつくことはあまり無いが、歴史的事実として皇室と神道は密接なかかわりを持つ。多くの日本国民が仏教と神道の習慣と信仰を両立させているのに対し、明治以降の皇室は神道色がかなり強い。また、神道の信仰の対象として天皇(その祖先神を含む)の存在がある場合が多い。

[編集] 歴史

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[編集] 神話

[編集] 古代

[編集] ~奈良時代

神仏習合厭魅

[編集] 平安時代

延喜式(第9-10巻を通常「神名帳」と称し、全国の朝廷、国司が祭る社格を定めた一覧表になっている)

[編集] 中世

伊勢神道神道五部書中世日本紀

[編集] 近世

神儒合一国学復古神道

[編集] 近代

国家神道神仏分離祭政一致教派神道神社整理神社合祀)、祭神論争神道指令

[編集] 参拝の方法

[編集] 簡易な参拝

参拝前に、本来は神の前に向かう前に心身を清めるが必要である。現代であれば一般参拝では入浴・シャワー等で身体を清潔にしてから参拝する心がけが望ましい。神社に到着し、鳥居をくぐる際は「軽く一礼(会釈)」するのが望ましい。この時に服装もきちんと整える。次に手水を使う、これは重要な事である。神は「穢れ」を嫌う。従って拍手と祝詞を行なう手口を清める必要がある。ひしゃくで水をすくい左手、右手の順で水をかけ清める。最後に口をすすぐ。この時口が直にひしゃくに触れないよう注意すること。最後にひしゃくを洗う、次の人のための配慮である。 巫女の補助が付く場合には、作法は巫女の指示に従うこと。

参拝の基本的な作法は「二礼二拍手一礼」である。即ち、2回礼をし、2回拍手(かしわで)を打ち、(祝詞を奏上し、)最後にもう一度礼をする。一部の神社では作法が異なっており、例えば、出雲大社宇佐八幡宮では「四拍手」である。

現在の二礼二拍手一礼に統一されたのは明治期の神仏分離によるもので、以前は各神社によって区々であった。尚、正式な作法としては、

  • 鈴鐘を鳴らす(邪気を払う、儀式の始まりを表す等の説があるが、「神様が他所を向いているかもしれないので自分に注目させる」と子供向けに説明する神社もある)
  • 神霊に向かって拝礼(神への挨拶・背筋を伸ばし90度礼する)
  • 賽銭を奉納する(神様への供物)
  • 二礼二拍手一礼(礼はきちんと、拍手は胸の高さで)

であるとされているが、二礼二拍手一礼と願を共にし、最後の一礼の際に居住地および氏名の名乗りと願い事を陳べるのが一般的となっている。またお礼を述べたい場合はお礼も。

  • 御神酒を頂ける場合は頂く。神様にお供えした御神酒を頂く事により、神様の御加護があるとされる。(ただし、その後車を運転する必要がある場合は控えること。何らかの容器に入れておき、帰宅後に頂いても良い)

[編集] 注意事項

  • 身内に不幸が有った人は、50日間(仏式の49日)を経過するまで、神社参拝は控える必要がある。死穢の観念からである。
  • 神棚には原則として火を通したものは上げない。イザナミが火の神を産んで死んだからである。(ただし、祭神や地域にもよる。穀類は例外であることが多い。)失火者や放火犯もこれに準じて参拝は控える。
  • 山の神は血穢を忌まない。
  • 神社本庁は「庁」と称しているが、行政機関ではなく宗教法人の一つである。

[編集] 神道諸派

[編集] 近代以前

[編集] 近現代

[編集] 関連項目

ウィキメディア・コモンズ

[編集] 注釈

  1. ^ 山口輝臣『明治国家と宗教』東京大学出版、1995年。磯前順一「近代における「宗教」概念の成立過程」『近代日本の文化史』第3巻、岩波書店、2002年。
  2. ^ 『日本史大事典』平凡社1993年、「国家神道」の項参照

[編集] 外部リンク