小烏丸

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小烏丸(こがらすまる)とは、平家一門の家宝であり、刀工天国」(あまくに)作と伝えられる日本刀

概要[編集]

「小烏丸」は、日本の刀剣が直刀から反りのある湾刀へ変化する過渡期の平安時代中期頃の作と推定され、日本刀の変遷を知る上で貴重な資料である。一般的な「日本刀」とは違い、刀身の先端から半分以上が両刃になっている独特の形状を持つ。これを鋒両刃造(きっさきもろはづくり、ほうりょうじんづくり)と呼び、以降、鋒両刃造のことを総称して「小烏造(こがらすまるつくり)」とも呼ぶようになった。

茎(なかご)と刀身は緩やかな反りを持っているが、刀身全体の長さの半分以上が両刃になっていることから、断ち切ることに適さず、刺突に適した形状となっている。

刀身・外装[編集]

『集古十種』より

刃長62.7cm、反り1.3cm、腰元から茎にかけ強く反っているが、上半身にはほとんど反りが付かない。鎬は後世の日本刀と異なり、刀身のほぼ中央にあり、表裏の鎬上に樋(ひ)を、棟方に掻き流しの薙刀樋(なぎなたひ)を掻く。地鉄は小板目肌が流れごころとなり、刃文は直刃(すぐは)で刃中の働きが豊かなものである。刀工「天国」作との説があり、「天国」の銘があったとの伝承もあるが、現存するものは生ぶ茎(うぶなかご)、無銘である。

刀身と併せて、柄・鞘共に紺地雲龍文様の錦で包み、茶糸平巻で柄巻と渡巻を施した「錦包糸巻太刀拵」様式の外装が付属しているが、この外装は明治時代の作である。寛政十二年(西暦1800年)に編纂された「集古十種」には「伊勢貞丈家蔵小烏丸太刀図」(後述)より転載された蜀江錦包の刀装の絵図が収録されており、現在の外装はそれらを参考に作り直されたものとみられる。

伝承・伝来[編集]

桓武天皇の時代、大神宮(伊勢神宮)より遣わされた八余りある大鴉によってもたらされたと伝えられ、「小烏丸」の名はその大の羽から出てきたとの伝承に由来する。

後に平貞盛平将門藤原純友らの反乱を鎮圧する際に天皇より拝領し、以後平家一門の重宝となる。壇ノ浦の戦い後行方不明になったとされたが、その後天明5年(1785年)になり、平氏一門の流れを汲む伊勢氏で保管されていることが判明し、伊勢家より刀身及び刀装と伝来を示す「伊勢貞丈家蔵小烏丸太刀図」の文書が幕府に提出された。この「伊勢貞丈家蔵小烏丸太刀」は伊勢家より徳川将軍家に献上されたものの、将軍家はそのまま伊勢家に預け、明治維新後に伊勢家より対馬国宗氏に買い取られた後、明治15年(1882年)に宗家当主の宗重正伯爵より明治天皇に献上された。

現在はこれが皇室御物「小烏丸」として、外装共に宮内庁委託品として国立文化財機構で保管されている。

現存する小烏造(鋒両刃造)の太刀[編集]

正倉院宝物の直刀の中には鋒両刃造のものがある。御物の「小烏丸」の他にも「鋒両刃造」の太刀は幾振りか現存しており、各地各時代の刀工が研究のため写しとして製作していたようである。

大日本帝國時代には「小烏丸」は時の天皇より朝敵討伐に赴く将に与えられた、という故事に基づき、日本陸海軍元帥号を授けられた大将に下賜される「元帥刀」の刀身にも、「鋒両刃造の太刀」の様式が用いられていた。

現在でも「鋒両刃造の太刀」は現代刀の様式の一つとして作刀されているものがあり、上述の「元帥刀」の他にも「靖国神社遊就館」の展示刀や新潟県新発田市の「月岡カリオンパーク」内の「カリオン文化館」の展示品(人間国宝認定刀工天田昭次の作刀)などを見ることができる。数は少ないながら、刀剣店で取り扱われる刀剣類としても時折見られる様式である。

参考文献[編集]

  • 特別展図録『日本のかたな』、東京国立博物館、1997
  • 『週刊朝日百科』「皇室の名宝 11 御物1」、朝日新聞社、1999

関連項目[編集]