宗氏

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宗氏
家紋
隅立て四つ目結
丸に平四つ目結
本姓 惟宗氏
桓武平氏知盛
家祖 宗重尚
種別 武家
華族伯爵
主な根拠地 対馬国全土
肥前国田代・浜崎
著名な人物 宗貞盛
宗義智
凡例 / Category:日本の氏族

宗氏(そうし)は、かつて対馬国を支配した守護戦国大名惟宗氏の支族だが、室町時代中期頃より平知盛を祖とする桓武平氏を名乗るようになった。


歴史[編集]

12世紀頃に対馬国在庁官人として台頭し始め、現地最大の勢力阿比留氏を滅ぼし、対馬国全土を手中に収める。惟宗氏の在庁官人が武士化するさいに苗字として宗を名乗りだしたことが古文書からうかがえる。元寇の際には、及び高麗の侵攻から日本の国境を防衛する任に当たり、当主宗助国が討ち死にするが、その後も対馬国内に影響力を保った。

南北朝時代宗盛国少弐氏守護代として室町幕府から対馬国の支配を承認される。やがて少弐氏が守護を解任されると、鎮西探題成立とともに今川氏が対馬守護となるが、今川氏の解任後、宗澄茂が守護代から守護に昇格した。

対馬は山地が多く耕地が少ないため、宗氏は朝鮮との貿易による利益に依存していた。室町時代初期は、西国大名、商人、それに対馬の諸勢力が独自に貿易を行っていた。しかし、宗氏本宗家が朝鮮倭寇対策などを利用して、次第に独占的地位を固めていった。

戦国時代は幾度も九州本土進出を図ったが、毛利氏島津氏大友氏龍造寺氏に阻まれて進出は難航した。九州征伐では豊臣秀吉に臣従して本領を安堵された。文禄・慶長の役では、宗義智小西行長の軍に従って釜山城・漢城平壌城を攻略するなど、日本軍の先頭に立って朝鮮及びを相手に戦い活躍した。また戦闘だけでなく行長と共に日本側の外交を担当する役割も担い折衝に当たっている。

関ヶ原の戦いで西軍に属したが、宗氏が持つ朝鮮との取引を重視され、本領を安堵された。後年、朝鮮との国交回復に尽力した功績が認められ、国主格・十万石格の家格を得、朝鮮と独占的に交易することも認められた。江戸時代対馬府中藩の藩主となり、参勤交代で3年に一度江戸に出仕することとされ、江戸に屋敷を構え[1]対馬府中厳原)との間を大名行列を仕立てて行き来した。

以後改易もなく明治維新まで断絶することなく続き、維新後華族となり、明治17年には伯爵に叙せられた。本来の叙爵基準では、現米(藩本来の米の収入)5万石以下であった対馬藩は子爵相当となっていたが、対朝鮮外交者としての家格が考慮され伯爵となった。

歴代当主[編集]

(*室町時代の一部当主は足利将軍家(20代義智(初め昭景→吉智)は重ねて豊臣秀吉)から偏諱の授与を受けており、< より右側に1字を与えた人物を示した。)

  1. 重尚
  2. 助国
  3. 盛明
  4. 盛国
  5. 経茂
  6. 頼茂
  7. 刑部少輔頼茂
  8. 貞茂
  9. 貞盛
  10. < 足利義(のちの義政)
  11. 貞国
  12. (初名:盛貞) < 足利義(のちの義稙)
  13. (初名:盛順) < 足利稙 (※三浦の乱勃発時の当主。)
  14. 盛長
  15. 将盛
  16. (初名:貞尚→貞泰→茂) < 足利義
  17. 調 < 足利(のちの義輝)
  18. 茂尚
  19. < 足利
  20. 義智(初め景、智) < 足利義豊臣秀 (※一時期(1587年1588年)は養父である17代義調が当主に復帰していた。)
  21. 義成
  22. 義真
  23. 義倫
  24. 義方
  25. 義誠
  26. 方熈
  27. 義如
  28. 義蕃
  29. 義暢
  30. 義功(猪三郎)
  31. 義功(富寿)
  32. 義質
  33. 義章
  34. 義和
  35. 義達(重正)
  36. 重望
  37. 武志
  38. 立人

系譜[編集]

主要家臣[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 上屋敷は神田向柳原すなわち現在の東京都台東区台東一丁目(東京府下谷区二長町) [[1]]; 東昇、古賀直美 (2006年). “江戸対馬藩邸上屋敷” (日本語). 対馬宗家文書の世界. 2008年2月18日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]