商人

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商人(しょうにん、しょうひと、あきびと、あきんど、あきゅうど)

  • しょうにん。商売を職業としていた者。本稿で後述。
現代と区別して、商売を行っていた歴史上の職業を扱う。商売を商い(あきない)ともいうことから「あきんど」と読むこともあるが、くだけた読みであり、公式の場では用いない。
  • しょうにん。商法学における基本概念の一つ。曖昧さ回避を参照。
  • しょうひと。中国の古代王朝の一つである商()の国民若しくは出身者、又は彼らの子孫。中国で最も早くから、ある場所で安価で購入した物資をその物資に乏しい別の場所で高価で売却して差益を稼ぐことを生業とする者が現れた民族といわれており、上述した「しょうにん」の語源となったと言われているが、これは俗説のようである。[独自研究?]
  • 比喩或いは皮肉として、戦争において売買を行う人物、がめつい人物を「商人」と評することがある。[誰?]

概要[編集]

商人(しょうにん)とは、生産者と需要者の間に立って商品を売買し、利益を得ることを目的とする事業者を指す。具体的には卸売商・小売商のような商品売買業者を指すが、このほかに運送業・倉庫業・金融業・保険業・広告宣伝業などを含めて広く考える立場もある。 日本で独立した商人階層が形成されるのは、律令制と中小豪族が没落する平安時代中期以後であるとされる。市以外の場所で商売を行う者が出てくるようになる一方、有力な権門と結びつく者も現れるようになる。貞観6年(864年)に市籍人が貴族皇族に仕える事を禁じた命令が出されている。やがて、有力権門や寺社の雑色神人などの身分を得てその権威を背景に諸国と京都を往復して交易を行うようになる。やがて、権門や寺社を本所として仰いで奉仕の義務と引き換えに諸国通行自由・関銭免除・治外法権などの特権を保障された集団「」を結成するようになった。近代になって商人は消滅し、現代では産業等の拡大により別の用語となっていることが多い。

歴史と主な商人[編集]

日本[編集]

古代・中世[編集]

古代においては、商人の活動する場は行商にほぼ限定されていた[1]。ただし、彼らはいまだ専門化されておらず、生産者が自分でつくったものを自ら売りあるくという性格が強かった[1]。文献上で専門の商人が現れるのは8世紀以降である[1]平城京には都城の内部に官営の市が設けられ、市籍をもつ商人がそこで売買を行った[1]平安京には東西の市が設けられ、市籍をもたぬ商人もふくめて売買がなされた[1]平安時代には行商人のなかにも商いを専門におこなう人びとが現れ、各地の特産物などが行商された[1]院政期や平氏政権の時期には、京都などにおいて常設店舗をもつ商人が現れたが、彼らは寺社権門勢家と結びつくことで自らの力を保持ないし拡大させようとした[1]

近世・近代[編集]

近世は、商人がその生業を専門化・分化させていった時代であった[1]問屋仲買小売という現代につながる流通形態の発生がみられ、かれらはそれぞれに仲間(株仲間)を結成した[1]。株仲間は、加入者数を制限し、売買を独占した。これは、近世初期にあっては物資供給の安定という効果があったが、やがて商品経済の進展の深まりとともに、むしろ円滑な商業取引にとって阻害要因となった[1]

近世の主な商人は以下の通り。

  • 酒田
池田惣左衛門 - 鐙屋
  • 会津
簗田藤左衛門 - 簗田屋
  • 直江津
蔵田五郎左 - 越後屋
近世の甲府城下町では甲府城南西に新府中が造成され城下町が形成され諸商人が存在しており、表通りに屋敷を構える家持層の大店では、甲府城下の中心部である八日町の若松屋や桝屋が代表的な商家として知られる。近代には消費都市としての低迷や旧城下町の衰退により甲府商家も没落し、若尾逸平、風間伊七、八嶋栄助ら座方に出自を持つ甲州財閥が新興勢力として台頭した。甲府商家では大木家が甲州財閥として地位を保っている。
  • 小田原
宇野藤右衛門 - 虎屋
  • 駿府
友野二郎兵衛 - 友野屋
  • 清洲
伊藤惣十郎 - 伊藤屋
  • 安土
西川仁右衛門 - 山形屋
角倉素庵 - 角倉屋
角倉了以 - 角倉屋
茶屋四郎次郎 - 茶屋
茶屋又四郎 - 茶屋
  • 大坂
末吉孫左衛門 - 平野屋
淀屋常安 - 淀屋
今井宗久 - 納屋
今井宗薫 - 納屋
呂宋助左衛門 - 納屋
津田宗及 - 天王寺屋
津田宗達 - 天王寺屋
  • 大湊
角屋七郎次郎 - 角屋
  • 敦賀
道川兵衛三郎 - 川舟屋(敦賀)
  • 小浜
組屋源四郎 - 組屋
組屋宗円 - 組屋
  • 紀伊
紀伊国屋文左衛門[2] - 紀伊国屋
  • 姫路
鴻池直文 - 鴻池屋
小西行長 - 小西屋(姫路)
小西隆佐 - 小西屋(姫路)
  • 尾道
渋谷与右衛門 - 大西屋
  • 赤間関
掘立直正 - 下関屋
佐甲藤太郎 - 下関屋
  • 浦戸
播磨屋宗徳 - 播磨屋
  • 博多
神屋紹策 - 神屋
神屋宗湛 - 神屋
島井宗室 - 博多屋
戸谷半兵衛[3] - 中屋
森田豊香 - 酒屋

その他

世界[編集]

脚注[編集]

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注釈[編集]

参照[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j 胡桃沢(2004)
  2. ^ 元禄期の長者番付に「横綱 紀伊国屋文左衛門 五十万両」とある。江戸幕府の年収が八十万両とされることからも、一代で築いた財力の大きさがうかがえる。
  3. ^ 近世期における商家の番付表『関八州田舎分限角力番付』内で「西方筆頭の大関」として記載されている(「分限」とは地位・財産を指す)。近世当時、横綱は地位ではなく、称号であり、従って実質上、戸谷半兵衛家は19世紀の関東で上位に位置する商人と認識されている。

参考文献[編集]

関連項目[編集]