伊勢神宮
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伊勢神宮(いせじんぐう)は三重県伊勢市にある神社。神社本庁の本宗(ほんそう)とされ、正式名称は神宮。ほかの神宮と区別する場合には伊勢の神宮と呼ぶ。神階が無く[1]、また明治時代から戦前までの国家神道における近代社格制度で別格とされたため、格付けはされない。
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[編集] 概要
建物は皇大神宮(こうたいじんぐう)と豊受大神宮(とようけだいじんぐう)からなる。通常は皇大神宮を内宮(ないくう)と呼び、豊受大神宮を外宮(げくう)と呼ぶ。内宮は天照大御神(あまてらすおおみかみ)、外宮は豊受大御神(とようけのおおみかみ)を祭る。近世江戸時代を除いて、古代から政治的権威と結びつくことが多かった。
広くは、別宮(べつぐう)、摂社(せっしゃ)、末社(まっしゃ)、所管社(しょかんしゃ)を含めた一連の社宮を神宮と総称する。この場合、所在地は伊勢市にとどまらずまたがる。
[編集] 祭神
[編集] 由緒
[編集] 神宮125社
神宮が管理する宮社が125あり、俗に神宮125社と呼ぶ。125社の頂点は外宮・内宮の両正宮で、14の別宮、43の摂社、24の末社、42の所管社がある。伊勢市だけでなく、度会郡大紀町・玉城町・度会町、志摩市磯部町、松阪市、鳥羽市、多気郡多気町の4市2郡に分布する。
[編集] 正宮
[編集] 別宮
別宮は「わけみや」の意味で、神宮の社宮のうち正宮に次ぎ尊いとされる。
- 内宮別宮
- 外宮別宮
[編集] 摂社
延喜式神名帳に記載されている神社(正宮、別宮を除く)を摂社とする。定義では摂社は全て式内社となるが、戦国時代にほぼすべてが廃絶となり、江戸時代の1630年代から明治初頭の1870年代にかけて復興されたため、式内社の比定地とされる場合がある。
- 内宮摂社
- 朝熊神社(あさくまじんじゃ)
- 朝熊御前神社(あさくまみまえじんじゃ)
- 園相神社(そないじんじゃ) 2座
- 鴨神社(かもじんじゃ) 2座
- 田乃家神社(たのえじんじゃ)
- 田乃家御前神社(たのえみまえじんじゃ)
- 蚊野神社(かのじんじゃ)
- 蚊野御前神社(かのみまえじんじゃ)
- 湯田神社(ゆたじんじゃ) 2座
- 大土御祖神社(おおつちみおやじんじゃ)
- 国津御祖神社(くにつみおやじんじゃ)
- 朽羅神社(くちらじんじゃ)
- 宇治山田神社(うじようだじんじゃ)
- 津長神社(つながじんじゃ)
- 堅田神社(かただじんじゃ)
- 大水神社(おおみずじんじゃ)
- 江神社(えじんじゃ)
- 神前神社(こうざきじんじゃ)
- 粟皇子神社(あわみこじんじゃ)
- 川原神社(かわらじんじゃ)
- 久具都比賣神社(くぐつひめじんじゃ) 3座
- 奈良波良神社(ならはらじんじゃ)
- 棒原神社(すぎはらじんじゃ) 2座
- 御船神社(みふねじんじゃ)
- 坂手国生神社(さかてくなりじんじゃ)
- 狭田国生神社(さたくなりじんじゃ)
- 多岐原神社(たきはらじんじゃ)
- 外宮摂社
- 草奈伎神社(くさなぎじんじゃ)
- 大間国生神社(おおまくなりじんじゃ) 2座
- 度会国御神社(わたらいくにみじんじゃ)(式内社)
- 度会大国玉比賣神社(わたらいおおくにたまひめじんじゃ)
- 田上大水神社(たのえおおみずじんじゃ)
- 田上大水御前神社(たのえおおみずみまえじんじゃ)
- 志等美神社(しとみじんじゃ)
- 大河内神社(おおこうちじんじゃ)
- 清野井庭神社(きよのいばじんじゃ)
- 高河原神社(たかがわらじんじゃ)
- 河原神社(かわらじんじゃ)
- 河原淵神社(かわらぶちじんじゃ)
- 山末神社(やまずえじんじゃ)
- 宇須乃野神社(うすののじんじゃ)
- 御食神社(みけじんじゃ)
- 小俣神社(おばたじんじゃ)
[編集] 末社
「神宮儀式帳」に記載されている神社(正宮、別宮、摂社を除く)を末社とする。
- 内宮末社
- 鴨下神社(かもしもじんじゃ)
- 津布良神社(つぶらじんじゃ)
- 葭原神社(あしはらじんじゃ)
- 小社神社(おごそじんじゃ)
- 許母利神社(こもりじんじゃ)
- 新川神社(にいかわじんじゃ)
- 石井神社(いわいじんじゃ)
- 宇治乃奴鬼神社(うじのぬきじんじゃ)
- 加努弥神社(かぬみじんじゃ)
- 川相神社(かわあいじんじゃ)
- 熊淵神社(くまぶちじんじゃ)
- 荒前神社(あらさきじんじゃ)
- 那自賣神社(なじめじんじゃ)
- 葦立弖神社(あしだてじんじゃ)
- 牟弥乃神社(むみのじんじゃ)
- 鏡宮神社(かがみのみやじんじゃ)
- 外宮末社
- 伊我理神社(いがりじんじゃ)
- 県神社(あがたじんじゃ)
- 井中神社(いなかじんじゃ)
- 打懸神社(うちかけじんじゃ)
- 赤崎神社(あかさきじんじゃ)
- 毛理神社(もりじんじゃ)
- 大津神社(おおつじんじゃ)
- 志宝屋神社(しおやじんじゃ)
[編集] 所管社
正宮・別宮・摂社・末社以外の神社を所管社とする。
- 内宮所管社
- 外宮所管社
- 御酒殿(みさかどの)
- 四至神(みやのめぐりのかみ)
- 上御井神社(かみのみいのじんじゃ)
- 下御井神社(しものみいのじんじゃ)
- 別宮所管社
- 瀧原宮所管社
- 若宮神社(わかみやじんじゃ)
- 長由介神社(ながゆけじんじゃ)
- 川島神社(かわしまじんじゃ)
- 伊雑宮所管社
- 佐美長神社(さみながじんじゃ)(式内社)
- 佐美長御前神社(さみながみまえじんじゃ) 4座
- 瀧原宮所管社
[編集] 神宮林
神宮の所有する土地の大部分は森林で、俗に神宮林と呼ばれる。神宮での名称は宮域林である。神宮林は神路山、島路山、高倉山を主体とし、面積は5,410 ha。約2,500 haのと天然林と、将来の神宮式年遷宮で使用される予定のヒノキの植林を行なっている人工林に2分される。
[編集] 式年遷宮
神宮の本殿などは、20年ごとに全く同じ形で建て直される。これを神宮式年遷宮(じんぐうしきねんせんぐう)(単に式年遷宮、正遷宮などとも)という。これは、第一に社殿の清浄さを保つためで、掘立柱建物である伊勢神宮の建物としての耐用年数と関係がある。他に建築技術の伝承、伝統工芸の伝承などの意味があるとされる。
立て替えられたあとの古い建築材は、神宮内の他の社殿や施設に使用したり、日本各地の神社に譲り渡されたりして再利用される。 出雲大社では60年に一度の遷座が今も続けられるが伊勢神宮における遷宮ほど全面的な建て替えはなされない。京都府福知山市大江町の元伊勢の一つ、豊受大神社においても同様の60年ごとの遷座が平安時代よりなされていたことが河田宮司家に伝わる文書に記されている。持統天皇の御世に定められた20年毎の遷宮は、当初は神宮の宮域の檜用材を用いていたが、鎌倉期にはすでに用材に使える檜が切り尽された。その後、遷宮に用いる用材の確保に相当な困難があった。
[編集] 句季毎の祭事
- 月次祭(つきなみさい)
- 風日祈祭(かぜひのみさい)
- 御酒殿祭
- 神御衣奉織始祭(かんみそほうしょくはじめさい)
- 5月1日神服織機殿神社、神麻続機殿神社、各9時
- 10月1日神服織機殿神社、神麻続機殿神社、各8時
- 神御衣奉織鎮謝祭(かんみそほうしょくちんしゃさい)
- 神御衣祭(かんみそさい)
- 5月14日内宮12時、荒祭宮(内宮の後)
- 10月14日内宮12時、荒祭宮(内宮の後)
- 和妙(にぎたえ)と荒妙(あらたえ)の神御衣を奉る。
- 大祓(おおはらい)
- 6月30日:夏越大祓
- 12月31日:年越大祓
- その他大祭の前月末日
[編集] 毎日の祭事
- 日別朝夕大御饌祭(ひごとあさゆうおおみけさい)
[編集] 変遷
[編集] 起源
『日本書紀』によれば、垂仁天皇25年3月の条に、「倭姫命、菟田(うだ)の篠幡(ささはた)に祀り、更に還りて近江国に入りて、東の美濃を廻りて、伊勢国に至る。」とある。皇女倭姫命が天照大御神を鎮座する地を求め旅をしたと記されている。想像を豊かにすれば、倭国から丹波国、倭国、紀乃国、吉備国、倭国、大和国、伊賀国、淡海国、美濃国、尾張国、伊勢国の順に移動し、伊勢国内を移動した後、現在の五十鈴川の畔に斎宮(いつきのみや)五十鈴宮という名で鎮座したということになろう。内宮起源説話である。この話は崇神天皇6年の条から続いており、『古事記』には崇神記・垂仁記の分注に伊勢大神の宮を祀ったとのみ記されている。 移動中に一時的に鎮座された場所は元伊勢と呼ばれている。
なお、外宮は平安初期の『止湯気宮儀式帳』(とゆけぐうぎしきちょう)[2]によれば、雄略22年7月に丹波(丹後)の比沼真奈井原(まないはら)から、伊勢山田原へ遷座したことが起源であると伝える。
[編集] 古代
私幣禁断 皇室の氏神として、天皇、皇后、皇太子以外の奉幣は禁止された。 実際に持統天皇の次の代の天皇より孝明天皇まで、歴代の天皇は誰一人として伊勢神宮には参宮されていない。その代わりとして、斎王制度があったとされるが、これとて、年に2回の奉幣がなされただけ、しかも後醍醐天皇の祥子内親王を最後に、斎王制度も廃絶した。その後は事実上、皇室関係者は伊勢神宮との関係を明治になるまで絶たれていた。
[編集] 中世
朝廷の衰微に伴い皇室にとってのみの氏神から、日本全体の鎮守として武士たちから崇敬された。神仏習合の教説において神道側の最高神とされた。また、外宮側の度会家行より伊勢神道(度会神道)が唱えられた。戦乱の激化により神宮領は侵略され、経済的基盤を失った神宮は衰微して、式年遷宮は停止せざるを得なかった。神宮の信者を獲得し、各地の講を組織させる御師が台頭し始める。
[編集] 近世
お蔭参りが流行した。多くの民衆が短期間の間に神宮に押し寄せた。
[編集] 近代
- 明治政府により国家神道の頂点の神社として位置付けられた。
- 第2次世界大戦以後は宗教法人神社本庁により、全国神社の本宗と位置づけられた。
- 佐藤栄作が1967年に参拝して以来、内閣総理大臣が1月4日の仕事始めに参拝するのが慣例となっており、社民党の村山富市も首相時代に参拝している。
[編集] 文献
- 矢野憲一 『伊勢神宮 知られざる杜のうち』(角川選書、平成18年)
- 矢野憲一 『伊勢神宮の衣食住』(角川ソフィア文庫、平成20年)※著者は禰宜を務めた。
- 所功 『伊勢神宮』(講談社学術文庫 平成5年)
- 『伊勢神宮』(保育社カラーブックス、平成8年)
- 櫻井勝之進 『伊勢神宮』(学生社、新版平成10年4月)※著者は神道の大家
[編集] 文化財
[編集] 国宝
- 玉篇 巻第廿二
[編集] 重要文化財
- 紙本著色伊勢新名所絵歌合
- 神宮古神宝類
- 太刀 銘吉信(附 糸巻太刀拵)
- 太刀 銘次家
- 太刀 銘俊忠(附 糸巻太刀拵)
- 刀 折返銘有国
- 毛抜形太刀
- 古事記上巻
- 古事記裏書
- 古文尚書
- 神宮法楽和歌 霊元天皇以下歴代天皇宸翰
- 日本書紀私記
- 日本書紀私見聞(春瑜自筆本)
- 日本書紀私見聞(道祥自筆本)
- 皇太神宮儀式帳残巻・等由気太神宮儀式帳
- 度会氏系図(元徳元年十一月注進本)
- 神鳳鈔
- 金銅透彫金具
- 据台付子持はそう(「はそう」の漢字は左が「瓦」、右が「泉」)
- 角屋家貿易関係資料
- 渋川春海天文関係資料
- 神宮祭主職舎本館(旧慶光院客殿) - 所在:伊勢市宇治浦田
[編集] 登録有形文化財
- 神宮徴古館
- 神宮農業館
[編集] 選択無形民俗文化財
- 伊勢の「お木曳き」行事
- 伊勢の「白石持ち」行事
[編集] 史跡(国指定)
- 旧林崎文庫
[編集] 年表
遷宮に関しては神宮式年遷宮を参照。
- 685年(天武天皇14年):式年遷宮の制を制定
- 690年(持統天皇4年):第1回内宮式年遷宮
- 692年(持統天皇6年):第1回外宮式年遷宮
- 709年(和銅2年):第2回内宮式年遷宮
- 711年(和銅4年):第2回外宮式年遷宮
- 712年(和銅5年)1月28日:『古事記』完成。
- 720年(養老4年):『日本書紀』完成。
- 927年(延長5年)12月26日:『延喜式』完成。
- 967年(康保4年)7月9日:延喜式施行。
- 1462年(寛正3年)12月27日:第40回内宮式年遷宮。こののち戦国時代で式年遷宮が中断。
- 1563年(永禄6年)9月23日:第40回外宮式年遷宮
- 1650年(慶安3年)1月:慶安のお蔭参り
- 1705年(宝永2年) :宝永のお陰参り
- 1771年(明和8年)4月:明和のお陰参り
- 1830年(文政13年/天保元年) :文政のお陰参り
- 1867年(慶応3年):ええじゃないか
- 1871年5月14日(明治4年):社格制度制定
- 1945年(昭和20年)12月15日:神道指令
- 1949年(昭和24年):第59回式年遷宮、延期
- 1953年(昭和28年)10月:第59回式年遷宮
- 1953年(昭和28年)12月:崇敬団体の伊勢神宮奉賛会が設立される
- 1965年(昭和40年)9月:伊勢神宮奉賛会が伊勢神宮崇敬会へ改称
[編集] その他
- 毎年11月に開かれる全日本大学駅伝対校選手権大会では、内宮宇治橋前のロータリーが106.8kmの最終ゴール地点となる。
[編集] 交通
- 内宮
- 外宮
[編集] 関連項目
[編集] 脚注
- ^ 全国の神宮で神階が無いのは、伊勢神宮・日前神宮・國懸神宮の3宮だけである。
- ^ 804年(延暦23)度会宮禰宜・内人が神祇官に提出した。伊勢神宮の外宮の伝承・祭祀などについて記した書。永原慶二監修『岩波日本史辞典』岩波書店 1999年
[編集] 外部リンク

