伊勢神宮
伊勢神宮(いせじんぐう)は、三重県伊勢市にある神社。神社本庁の本宗(ほんそう)とされ、正式名称は地名の付かない「神宮」(じんぐう)[1]である。他の神宮と区別する場合には「伊勢の神宮」と呼ぶこともあり[要出典]、親しみを込めて俗に「お伊勢さん」「大神宮さん」とも言う。
日前神宮、國懸神宮とともに神階が授与されたことのない神宮の一つで[2]、古代においては宇佐神宮[3]、中世においては石清水八幡宮と共に二所宗廟の一つとされた[4]。明治時代から戦前までの近代社格制度においては社格の対象外とされた。
目次 |
[編集] 概要
伊勢神宮には、太陽を神格化した天照大御神を祀る皇大神宮と、衣食住の守り神である豊受大御神を祀る豊受大神宮の二つの正宮が存在し、一般に皇大神宮を内宮(ないくう)、豊受大神宮を外宮(げくう)と呼ぶ。内宮と外宮は離れた場所にあるため、観光の場合は時間の都合上、内宮のみ参拝することもあるが、本来はまず外宮を参拝してから、内宮に参拝するのが正しい方法とされている。元来皇室の氏神であることから皇室・朝廷の権威と強い結びつきがある。広義には、別宮(べつぐう)、摂社(せっしゃ)、末社(まっしゃ)、所管社(しょかんしゃ)を含めた、合計125の社宮を「神宮」と総称する。この場合、所在地は三重県内の4市2郡に分布する(後述)。
[編集] 祭神
[編集] 歴史
[編集] 起源
『日本書紀』垂仁天皇25年3月の条に、「倭姫命、菟田(うだ)の篠幡(ささはた)に祀り、更に還りて近江国に入りて、東の美濃を廻りて、伊勢国に至る。」とあり、皇女倭姫命が天照大御神を鎮座する地を求め旅をしたと記されている。内宮起源説話である。この話は崇神天皇6年の条から続いており、『古事記』には崇神天皇記と垂仁天皇記の分注に伊勢大神の宮を祀ったとのみ記されている。移動中に一時的に鎮座された場所は元伊勢と呼ばれている。
なお、外宮は平安初期の『止由気神宮儀式帳』(とゆけじんぐうぎしきちょう)[5]によれば、雄略天皇22年7月に丹波国(後に丹後国として分割)の比沼真奈井原(まないはら)から、伊勢山田原へ遷座したことが起源であると伝える。
[編集] 古代
皇室の氏神として、天皇、皇后、皇太子以外の奉幣は禁止された。天武天皇の時代に斎宮が制度化された[要出典]。
[編集] 中世
朝廷への崇拝から、皇室にとってのみの氏神から、日本全体の鎮守として全国の武士から崇敬された。神仏習合の教説において神道側の最高神とされる。また、外宮側の度会家行より伊勢神道(度会神道)が唱えられた。戦乱の激化により神宮領は侵略され、経済的基盤を失った神宮は資金的余裕が無くなり、式年遷宮(後述)が行えない時代もあった。資金獲得のため、神宮の信者を増やし、各地の講を組織させる御師が台頭した[要出典]。
[編集] 近世
お蔭参り(お伊勢参り)が流行した。庶民の親しみを込めた「お伊勢さん」という俗名も定着し、弥次さん、喜多さんの『東海道中膝栗毛』で語られるように、多くの民衆が全国から参拝した[要出典]。
[編集] 近代
大日本帝国政府により全国神社の頂点の神社として位置付けられたが、第二次世界大戦以後は、宗教法人神社本庁発足により、全国神社の本宗と位置づけられた。内宮前に「神宮司庁」がある。
その年の無事と平安を祈る正月の初詣は日本の伝統・慣習であるが、佐藤栄作首相が昭和42年(1967年)に参拝して以来、現職内閣総理大臣と農水大臣が、(正月三が日の混雑を防ぐため)主に1月4日の仕事始めに参拝するのが慣例となっている[6][7]。
[編集] 式年遷宮
詳細は「神宮式年遷宮」を参照
神宮式年遷宮は、神宮(伊勢神宮)において行われる式年遷宮(定期的に行われる遷宮)である。神宮では原則として20年ごとに、内外両宮の正宮の正殿を始めとする別宮以下の諸神社の正殿を造替して神座を遷し、宝殿、外幣殿、鳥居、御垣、御饌殿など計65棟の殿舎といった全社殿を造替する他、装束・神宝、宇治橋等も造り替える[8]。
記録によれば神宮式年遷宮は、飛鳥時代の天武天皇が定め、持統天皇4年(690年)に第1回が行われた[9]。その後、戦国時代の120年以上に及ぶ中断や幾度かの延期などはあったものの、平成5年(1993年)の第61回式年遷宮まで、およそ1300年にわたって行われている[9]。平成17年から第62回式年遷宮の各行事が進行中で、同25年(2013年)には正遷宮(神体の渡御)が予定されている。
[編集] 神宮125社
神宮が管理する宮社が125社あり、俗に神宮125社と呼ぶ。内訳は内外両正宮に別宮14、摂社43、末社24、所管社42。伊勢市だけでなく、度会郡大紀町、玉城町・度会町、志摩市、松阪市、鳥羽市、多気郡多気町の4市2郡に分布する。
[編集] 正宮
- 皇大神宮(内宮)
- 豊受大神宮(外宮)
[編集] 別宮
別宮は「わけみや」の意味で、神宮の社宮のうち正宮に次いで尊いとされる[10]。
- 内宮別宮
- 外宮別宮
[編集] 摂社
『延喜式神名帳』に記載されている神社(正宮、別宮を除く)を摂社とする。定義では摂社は全て式内社となるが、戦国時代にほぼすべてが廃絶となり、江戸時代の寛永年間(1630年代)から明治初頭(1870年代)にかけて復興されたため、式内社の比定地とされる場合がある。[要出典]
- 内宮摂社
- 朝熊神社(あさくまじんじゃ)
- 朝熊御前神社(あさくまみまえじんじゃ)
- 園相神社(そないじんじゃ) 2座
- 鴨神社(かもじんじゃ) 2座
- 田乃家神社(たのえじんじゃ)
- 田乃家御前神社(たのえみまえじんじゃ)
- 蚊野神社(かのじんじゃ)
- 蚊野御前神社(かのみまえじんじゃ)
- 湯田神社(ゆたじんじゃ) 2座
- 大土御祖神社(おおつちみおやじんじゃ)
- 国津御祖神社(くにつみおやじんじゃ)
- 朽羅神社(くちらじんじゃ)
- 宇治山田神社(うじようだじんじゃ)
- 津長神社(つながじんじゃ)
- 堅田神社(かただじんじゃ)
- 大水神社(おおみずじんじゃ)
- 江神社(えじんじゃ)
- 神前神社(こうざきじんじゃ)
- 粟皇子神社(あわみこじんじゃ)
- 川原神社(かわらじんじゃ)
- 久具都比賣神社(くぐつひめじんじゃ) 3座
- 奈良波良神社(ならはらじんじゃ)
- 棒原神社(すぎはらじんじゃ) 2座
- 御船神社(みふねじんじゃ)
- 坂手国生神社(さかてくなりじんじゃ)
- 狭田国生神社(さたくなりじんじゃ)
- 多岐原神社(たきはらじんじゃ)
- 外宮摂社
- 草奈伎神社(くさなぎじんじゃ)
- 大間国生神社(おおまくなりじんじゃ) 2座
- 度会国御神社(わたらいくにみじんじゃ)(式内社)
- 度会大国玉比賣神社(わたらいおおくにたまひめじんじゃ)
- 田上大水神社(たのえおおみずじんじゃ)
- 田上大水御前神社(たのえおおみずみまえじんじゃ)
- 志等美神社(しとみじんじゃ)
- 大河内神社(おおこうちじんじゃ)
- 清野井庭神社(きよのいばじんじゃ)
- 高河原神社(たかがわらじんじゃ)
- 河原神社(かわらじんじゃ)
- 河原淵神社(かわらぶちじんじゃ)
- 山末神社(やまずえじんじゃ)
- 宇須乃野神社(うすののじんじゃ)
- 御食神社(みけじんじゃ)
- 小俣神社(おばたじんじゃ)
[編集] 末社
『延暦儀式帳』に記載されている神社(正宮、別宮、摂社を除く)を末社とする。
- 内宮末社
- 鴨下神社(かもしもじんじゃ)
- 津布良神社(つぶらじんじゃ)
- 葭原神社(あしはらじんじゃ)
- 小社神社(おごそじんじゃ)
- 許母利神社(こもりじんじゃ)
- 新川神社(にいかわじんじゃ)
- 石井神社(いわいじんじゃ)
- 宇治乃奴鬼神社(うじのぬきじんじゃ)
- 加努弥神社(かぬみじんじゃ)
- 川相神社(かわあいじんじゃ)
- 熊淵神社(くまぶちじんじゃ)
- 荒前神社(あらさきじんじゃ)
- 那自賣神社(なじめじんじゃ)
- 葦立弖神社(あしだてじんじゃ)
- 牟弥乃神社(むみのじんじゃ)
- 鏡宮神社(かがみのみやじんじゃ)
- 外宮末社
[編集] 所管社
正宮・別宮・摂社・末社以外の神社を所管社とする。
- 内宮所管社
- 外宮所管社
- 御酒殿(みさかどの)
- 四至神(みやのめぐりのかみ)
- 上御井神社(かみのみいのじんじゃ)
- 下御井神社(しものみいのじんじゃ)
- 別宮所管社
- 瀧原宮所管社
- 若宮神社(わかみやじんじゃ)
- 長由介神社(ながゆけじんじゃ)
- 川島神社(かわしまじんじゃ)
- 伊雑宮所管社
- 佐美長神社(さみながじんじゃ)(式内社)
- 佐美長御前神社(さみながみまえじんじゃ) 4座
- 瀧原宮所管社
[編集] 神宮林
造営に使用される御用材は全て檜で、総材積は約8,500立方メートル(檜1万本程度)。木曽の山々(長野県、岐阜県)の国有林から調達されている。俗に神宮林と呼ばれ、神宮での名称は宮域林である。神宮では、大正時代に森林経営計画を策定し、両宮周辺の神路山、島路山、高倉山の3山への檜の植林事業(将来の神宮式年遷宮で使用される予定の檜の植林)を今も続けているが、檜が遷宮の御用材として使用できるまで育つには、200年もの歳月が必要とのこと。
[編集] 句季毎の祭事
- 月次祭(つきなみさい)
- 風日祈祭(かざひのみさい)
- 御酒殿祭
- 神御衣奉織始祭(かんみそほうしょくはじめさい)
- 5月1日神服織機殿神社、神麻続機殿神社、各9時
- 10月1日神服織機殿神社、神麻続機殿神社、各8時
- 神御衣奉織鎮謝祭(かんみそほうしょくちんしゃさい)
- 神御衣祭(かんみそさい)
- 5月14日内宮12時、荒祭宮(内宮の後)
- 10月14日内宮12時、荒祭宮(内宮の後)
- 和妙(にぎたえ)と荒妙(あらたえ)の神御衣を奉る。
- 大祓(おおはらえ)
- 6月30日:夏越(なごし)大祓
- 12月31日:年越(としこし)大祓
- その他大祭の前月末日
[編集] 毎日の祭事
- 日別朝夕大御饌祭(ひごとあさゆうおおみけさい)
[編集] 文化財
[編集] 国宝
- 玉篇 巻第廿二
[編集] 重要文化財
- 紙本著色伊勢新名所絵歌合
- 神宮古神宝類
- 太刀 銘吉信(附 糸巻太刀拵)
- 太刀 銘次家
- 太刀 銘俊忠(附 糸巻太刀拵)
- 刀 折返銘有国
- 毛抜形太刀
- 古事記上巻
- 古事記裏書
- 古文尚書
- 神宮法楽和歌 霊元天皇以下歴代天皇宸翰
- 日本書紀私記
- 日本書紀私見聞(春瑜自筆本)
- 日本書紀私見聞(道祥自筆本)
- 皇太神宮儀式帳残巻・等由気太神宮儀式帳
- 度会氏系図(元徳元年十一月注進本)
- 神鳳鈔
- 氏経卿神事記
- 氏経卿引付
- 金銅透彫金具
- 据台付子持はそう(「はそう」の漢字は左が「瓦」、右が「泉」)
- 角屋家貿易関係資料
- 渋川春海天文関係資料
- 神宮祭主職舎本館(旧慶光院客殿) - 所在:伊勢市宇治浦田
[編集] 登録有形文化財
- 神宮徴古館
- 神宮農業館
[編集] 選択無形民俗文化財
- 伊勢の「お木曳き」行事
- 伊勢の「白石持ち」行事
[編集] 史跡(国指定)
- 旧林崎文庫
[編集] 年表
遷宮に関しては神宮式年遷宮を参照。西暦の年月日はユリウス暦によるが、「1871年7月1日」はグレゴリオ暦。年と月の西暦との対応はおおよその目安である。
- 天武天皇14年(685年):式年遷宮の制を制定
- 持統天皇4年(690年):第1回内宮式年遷宮
- 持統天皇6年(692年):第1回外宮式年遷宮
- 和銅2年(709年):第2回内宮式年遷宮
- 和銅4年(711年):第2回外宮式年遷宮
- 和銅5年(712年)1月28日:『古事記』完成。
- 養老4年(720年):『日本書紀』完成。
- 延長5年(928年)12月26日:『延喜式』完成。
- 康保4年(967年)7月9日:延喜式施行。
- 寛正3年(1463年)12月27日:第40回内宮式年遷宮。こののち戦国時代で式年遷宮が中断。
- 永禄6年(1563年)9月23日:第40回外宮式年遷宮
- 慶安3年(1650年)1月:慶安のお蔭参り
- 宝永2年(1705年):宝永のお陰参り
- 明和8年(1771年)4月:明和のお陰参り
- 文政13年(1830年):文政のお陰参り
- 慶応3年(1867年) : ええじゃないか
- 明治4年(1871年)5月14日:近代社格制度制定
- 昭和20年(1945年)12月15日:神道指令
- 昭和24年(1949年):第59回式年遷宮、延期
- 昭和28年(1953年)10月:第59回式年遷宮
- 昭和28年12月:崇敬団体の伊勢神宮奉賛会が設立される
- 昭和40年(1965年)9月:伊勢神宮奉賛会が伊勢神宮崇敬会へ改称
[編集] その他
- 毎年11月に開かれる全日本大学駅伝対校選手権大会では、内宮宇治橋前のロータリーが106.8kmのゴール地点となる。
- 大鳥居より内には犬連れで入れない。内宮の参拝時には、大鳥居の横に位置する警備室の裏にある中型犬の犬舎で、参拝の間犬を預かってもらえる。小型犬の場合はバスケットやケージを持参すれば、その中に入れて預かってくれる。
[編集] 交通
- 内宮
- 外宮
[編集] 関連項目
[編集] 脚注
- ^ 法人としての名称も「宗教法人神宮」である。法人所在地は伊勢市宇治館町(神宮司庁の所在地)。
- ^ 全国の神宮で神階が無いのは、伊勢神宮と日前神宮、國懸神宮の3宮だけである。
- ^ (宇佐市観光協会)古代より栄え-、神仏習合の八幡神が誕生し-、内なる伊勢、外なる八幡の二所宗廟として発展-
- ^ 石清水八幡宮ー歴史と信仰
- ^ 延暦23年(804)に度会宮(外宮)禰宜・内人が神祇官に提出した外宮の伝承・祭祀などについて記した書。
- ^ 日本社会党委員長であった村山総理が、それまでの慣例を破り平成7年(1995)1月に伊勢神宮への参拝を無視したが、翌8年1月の首相辞任を表明する直前には、参拝している。また平成15年(2003)までは食糧庁長官も同行していたが、同年の食糧庁廃止により無くなった。
- ^ 平成22年1月には、元日本社会党書記長で民主党の赤松広隆農水大臣が、慣例の伊勢神宮参拝をせず、同年3月11日の衆議院農林水産委員会で稲田朋美議員の質疑に対し「職務ではないので、家族とグアム旅行に行っていた。そんなに悪いことをしたという意識は無い。」と答えた。
- ^ 宇治橋が式年遷宮のときに架け替えられるようになったのは明治時代以降である。明治時代から昭和時代初期には式年遷宮の年に、昭和24年(1949)以降は式年遷宮の4年前に、架け替えられるようになった。
- ^ a b 薗田稔、茂木栄 『日本の神々の事典 神道祭祀と八百万の神々』 学研
- ^ 伊勢市観光協会"伊勢市観光協会/別宮"(2012年1月8日閲覧。)
[編集] 参考文献
- 矢野憲一 『伊勢神宮 知られざる杜のうち』(角川選書、平成18年)
- 矢野憲一 『伊勢神宮の衣食住』(角川ソフィア文庫、平成20年)※著者は禰宜を務めた。
- 所功 『伊勢神宮』(講談社学術文庫、平成5年)
- 『伊勢神宮』(保育社カラーブックス、平成8年)
- 櫻井勝之進 『伊勢神宮』(学生社、新版平成10年4月)
- 井上章一 『伊勢神宮 魅惑の日本建築』(講談社、平成21年)
- 千種清美 『永遠の聖地 伊勢神宮―二○一三年、式年遷宮へ』(ウェッジ社、平成22年)
[編集] 伊勢神宮を扱った作品
- 歌謡曲
[編集] 外部リンク
- 伊勢神宮
- 神宮会館
- 伊勢神宮式年遷宮広報本部
- 伊勢神宮 - 伊勢市観光協会
- お伊勢さんチャンネル - 伊勢インターネット放送局
- 遷宮チャンネル - 伊勢インターネット放送局
- 伊勢神話 (写真集)
- 伊勢神宮 動画
座標: 北緯34度27分17.9秒 東経136度43分33.1秒 / 北緯34.454972度 東経136.725861度
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||