彌彦神社

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彌彦神社

秋の彌彦神社(背後に弥彦山を望む)
所在地 新潟県西蒲原郡弥彦村弥彦2898
位置 北緯37度42分23秒
東経138度49分33秒
主祭神 天香山命
社格 式内社(名神大)・越後国一宮・国幣中社・別表神社
本殿の様式 三間社流造
例祭 2月2日
  

彌彦神社(いやひこじんじゃ)は、新潟県西蒲原郡弥彦村にある神社である。弥彦山の麓に位置し、弥彦山全体を神域とする。式内社名神大)、越後国一宮で、旧社格国幣中社神社本庁別表神社)。正式には「いやひこじんじゃ」だが、地名などが全て「やひこ」であることもあって、一般には「やひこじんじゃ」と呼ばれている。

越後国開拓の祖神・伊夜彦神(天香山命、またの名を大屋彦命あるいは大彦命)を祀る。

宮中でも行われる鎮魂祭を行う神社として、石上神宮物部神社と共に有名である。11月22日でなく、4月1日と11月1日の年2回行われる。

二年参りや初詣、秋の菊まつりの時期は特に賑わう。

大鳥居は高さ30m。昭和57年に建てられた。

目次

[編集] 歴史

創建年代は不詳。『万葉集』にも歌われている古社である。

祭神の天香山命は、古事記高倉下という名前で登場し、社伝によれば、越後国開拓の詔を受け、越後国の野積の浜(現長岡市)に上陸し、地元民に漁労や製塩、稲作、養蚕などの産業を教えたと伝えられる。このため越後国を造った神として弥彦山に祀られ、「伊夜比古神」と呼ばれて崇敬を受けた。延喜式神名帳には「越後国蒲原郡 伊夜比古神社」と記載され、名神大社に列している。

天香山命は神武東征にも功績のあった神として、武人からも崇敬を受けた。日本有数の大太刀(長大な日本刀)である志田大太刀(しだのおおたち、重要文化財)や、源義家源義経上杉謙信などに所縁と伝えられる武具などの文物が社宝として宝物館に展示されている。しかし、天香山命は尾張国造家の祖神であり越後に祀られているのは不合理で、本来の祭神は、 北陸の国造家高橋氏の祖神大彦命ではないかとの説もある。

社家明治時代まで代々高橋氏が世襲した。高橋氏は宮司家をはじめとして数家あり、他には平塩氏、岡氏、五十嵐氏などがあった。

江戸時代には、越後高田藩藩主松平忠輝が、五百石の社領を寄進し、朱印地となった。朝廷からの崇敬も篤かったという。

また、当時の神主であった高橋左近光頼が、神道家・橘三喜の教えに感化され、神社の神宮寺を廃し、仏像を取り払い、神葬祭を行うなど、神仏分離を行った。しかし元禄4年、神宮寺の僧に訴えられ、光頼は敗訴している。

国学者の平田篤胤は、聖徳太子が記した神代文字が彌彦神社に存在する、と主張した。しかし神代文字の書は火事により焼失したという。

彌彦の大神は自ら神武天皇即位の大典の際、神歌楽(かがらく)を奉奏(ほうそう)したと伝えられる。

1956年昭和31年)1月1日、福餅撒きに集まった参拝者が将棋倒しとなり、124人が死亡した。(弥彦神社事件

この神社のおみくじは凶になる可能性がかなり高いといわれている。

[編集] 主な祭事

重要な祭事では、特殊神饌である大御膳が供えられる。

[編集] 毎月の神事

  • 月次祭(毎月2日)
  • 交通安全月次祭(毎月10日)

[編集] 施設

御神廟

[編集] 本殿

社殿は1912年明治45年)の火災により焼失し、1916年大正5年)に境内に場所を移して再建されたもので、拝殿の背後に弥彦山を仰ぎ見ることができる。社殿左手の万葉道は弥彦山の登山道へと続き、山頂には御神廟と呼ばれる奥社がある。

[編集] 他の彌彦神社(弥彦神社)

北海道札幌市中央区に、当社から勧請を受け、新潟県から移住した人々によって創建された彌彦神社がある。

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク