藤崎八旛宮

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藤崎八旛宮
Fujisakihachimanguu-shrine premises 1.jpg
所在地 熊本県熊本市中央区井川淵町
位置 北緯32度48分29.84秒
東経130度43分7.19秒
座標: 北緯32度48分29.84秒 東経130度43分7.19秒
主祭神 応神天皇
社格 国幣小社・別表神社
創建 承平5年(935年)
例祭 9月第3月曜日を最終日とする5日間(藤崎八旛宮秋季例大祭
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藤崎八旛宮(ふじさきはちまんぐう)は、熊本県熊本市中央区にある神社である。旧社格国幣小社。熊本市域の総鎮守として信仰を集める。

応神天皇を主祭神とし、神功皇后住吉三神を相殿に祀る。

社名は「幡」ではなく「旛」と書く。これは天文11年(1548年)の後奈良天皇宸筆の勅額に基づくものである。

歴史[編集]

承平5年(935年)、敕願により藤原純友の乱の追討と九州鎮護のために、国府の所在地であった宮崎庄の茶臼山に石清水八幡宮から勧請を受けて創建された。[1]九州の石清水五所別宮の一社である。鎮座のとき、勅使が馬の鞭としていた石清水の藤の枝を地面に刺したところ、芽を吹き枝葉が生えたので、「藤崎」を社名としたという伝承がある。国府八幡宮として国司や朝廷の崇敬を受けた。鎌倉時代以降は歴代領主の崇敬を受け、江戸時代には熊本城の鎮守社とされた。

明治10年(1877年)、西南戦争で社殿を焼失し、現社地に移転して復興した。大正4年(1915年)国幣小社に列格した。

藤崎八旛宮秋季例大祭[編集]

熊本市民に親しまれている、熊本市のお祭りである。

藤崎の語源の異説[編集]

熊本県の歴史研究家鈴木喬は以下の説を唱えている。

「肥後国誌」[2]によると藤崎に八崎あり、藤崎、鐘射崎、牧崎、榎崎、河原崎、御崎、弥勒崎、筆崎とある。つまり台地の先の尖ったでっぱりが岬(崎)とよばれている。藤崎も藤の花がさいたら藤咲の字を当てるべきなにに藤崎という字を当てているところからみると、井芹川に突き出た岬であったと考えていい。また藤という振り仮名が今でこそ「ふじ」ですが旧かな使いによると「ふぢ」でした。これを濁らないで読むと「ふちさき」で、つまり井芹川の淵に突き出た岬という意味からついた地名でいい。[3][4]

文化財[編集]

僧形八幡神坐像と女神坐像が国の重要文化財に指定されている。

交通アクセス[編集]

バス

※熊本市中心市街地に位置するため、このほかにも他の路線が利用できるバス停がいくつかある。

鉄道

参考文献[編集]

  • 安津素彦・梅田義彦編集兼監修者『神道辞典』神社新報社、1968年、52頁
  • 白井永二・土岐昌訓編集『神社辞典』東京堂出版、1979年、299-300頁
  • 鈴木喬『熊本の神社と寺院』熊本日日新聞社、1980年、18-19頁
  • 日本歴史地名大系44『熊本県の地名』平凡社、1985年、475頁
  • 角川日本地名大辞典編纂委員会編『角川日本地名大辞典43 熊本県』角川書店、1987年、957-958頁

脚注[編集]

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  1. ^ 石清水八幡宮の祭神とは中御前 - 誉田別命(ほんだわけのみこと・第15代応神天皇) 西御前 - 比咩大神(ひめおおかみ・宗像三女神) 東御前 - 息長帯姫命(おきながたらしひめのみこと・神功皇后)と一部異なっている。また、鈴木喬は当時の勢力や付随する社寺などにより宇佐八幡宮から分霊されたと考えている
  2. ^ 上下巻、補遺・索引 復刻大5年刊/後藤是山、青潮社刊などあり。
  3. ^ 『肥後学講座』 p182 熊日出版 2006 ISBN 978-4-87755-231-2
  4. ^ 鈴木喬「藤崎八幡宮の歴史」p.10

関連項目[編集]

外部リンク[編集]