橿原神宮
| 橿原神宮 | |
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外拝殿と畝傍山
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| 所在地 | 奈良県橿原市久米町934番地 |
| 位置 | 北緯34度29分18秒 東経135度47分10秒 |
| 主祭神 | 神武天皇 |
| 社格等 | 官幣大社・勅祭社・別表神社 |
| 創建 | 明治23年(1890年) |
| 札所等 | 神仏霊場巡拝の道33番(奈良20番) |
| 例祭 | 2月11日(紀元祭) |
橿原神宮(かしはらじんぐう)は、奈良県橿原市の畝傍山の東麓、久米町に所在する神社である。
目次 |
[編集] 概要
記紀において初代天皇とされている神武天皇を祀るため、神武天皇の宮(畝傍橿原宮)があったとされるこの地に、橿原神宮創建の民間有志の請願に感銘を受けた明治天皇により、明治23年(1890年)4月2日に官幣大社として創建された。
昭和15年(1940年)には昭和天皇が同神社に行幸し、秋には日本各地で紀元2600年奉祝式典が挙行された。この年の参拝者は約1000万人に達したという。現在でも皇族の参拝がある。
近代の創建ではあるものの、奈良県内では春日大社と並んで初詣の参拝者数が多い神社である。他にも、勅使参向のもと紀元祭が行われる2月11日(建国記念の日)や、神武天皇祭および奉祝行事「春の神武祭」が行われる4月3日にも多くの参拝者が訪れる。
橿原神宮を含む一帯は南北に長い橿原公苑として整備されており、北側が神武天皇御陵、南側が橿原神宮となっている。県道を隔てた東側には陸上競技場と野球場があり、スポーツ競技の奈良県予選決勝の舞台として頻繁に利用されている。なお、公苑に隣接する施設として奈良県立橿原考古学研究所及び付属博物館がある。また、公苑の付近は多数の陵墓が存在する。社務所に当たる組織は橿原神宮庁と呼ぶ。
[編集] 歴史
[編集] 橿原神宮と部落問題
この地域の開発が進んだ際、元々周辺に存在していた村や被差別部落(洞部落)が「負傷醜ろうナル家屋ノ見下スコト」(奈良県行政文書『神苑会関係書類』)の不都合により、奈良県によって移転させられたという(高木博志『近代天皇制と古都』に詳しい)。
しかし、移転後の部落に生まれ育った辻本正教(後の部落解放同盟中央執行委員)の反証によれば、県による強制執行は行われておらず、洞村の人々が陵墓への畏怖心などから自主的に移転を決めたともいわれている。
[編集] 橿原神宮を描く切手
前述のように紀元二千六百年記念行事が大々的に行われたが、当時の逓信省(現在の日本郵便)は「紀元二千六百年記念」切手として同年の11月10日に20銭切手を発行した。この額面は当時の国際郵便書状基本料金のための高額切手であった。
[編集] 主な年中行事
- 1月1日 歳旦祭
- 1月3日 元始祭
- 1月7日 昭和天皇祭遥拝式
- 2月11日 紀元祭(例祭):神武天皇の橿原宮での即位を偲ぶ祭り
- 2月17日 祈年祭
- 4月3日 神武天皇祭
- 4月29日 奉賛祭
- 8月8日 献燈祭
- 11月23日 新嘗祭
- 12月23日 天長祭
- 12月31日 大祓式
2月11日には周辺に街宣右翼が多数押し寄せるため、街宣車による喧騒問題が生じており、警察が騒音測定車を出して取締りを行っている。このため、地元橿原市民などは2月11日を敬遠する傾向にあり、4月3日に周辺を車両通行止めにしてパレード形式の祭を楽しんでいる。
[編集] 文化財
- 本殿 - 安政2年(1855年)建立の京都御所賢所(内侍所)を創建に際して移建したもの。
- 文華殿 - 天保15年(1844年)建立の柳本陣屋表向御殿を昭和42年(1967年)に移築したもの。重要文化財指定名称は「旧織田屋形大書院・玄関」。
他に、安政2年(1855年)建立の京都御所神嘉殿を創建に際して移建した神楽殿(御饌殿)も重要文化財に指定されていたが、平成5年(1993年)2月4日の火災で焼失した。
[編集] 交通
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 橿原神宮(公式サイト)
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