吉備津彦神社

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吉備津彦神社
Kibitsuhiko-jinja.jpg
拝殿
所在地 岡山県岡山市北区一宮1043
位置 北緯34度40分36.0秒
東経133度51分49.3秒
主祭神 大吉備津彦命
社格 備前国一宮・旧国幣小社・別表神社
創建 伝推古天皇朝(6世紀末 - 7世紀初)
本殿の様式 備前流造
別名 朝日の宮
例祭 10月第3土曜日・日曜日
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吉備津彦神社(きびつひこじんじゃ)は、岡山県岡山市北区一宮にある神社である。備前国一宮で、旧社格国幣小社。「朝日の宮」(あさひのみや)の別名がある。

備前国と備中国の境にある吉備中山の北東麓に東面して鎮座する。吉備中山の北西麓には同じ祭神を祀る備中国一宮の吉備津神社がある。

目次

[編集] 祭神

大吉備津彦命を主祭神とし、相殿に以下の神を祀る。

  • 吉備津彦命(若日子建吉備津彦命、稚武彦命) - 大吉備津彦命の子[1]
  • 孝霊天皇 - 大吉備津彦命の父
  • 孝元天皇 - 大吉備津彦命の兄弟
  • 開化天皇 - 孝元天皇の子
  • 崇神天皇 - 開化天皇の子
  • 彦刺肩別命(ひこさしかたわけのみこと) - 大吉備津彦命の実兄
  • 天足彦国押人命(あまたらしひこくにおしひとのみこと) - 孝昭天皇の子
  • 大倭迹々日百襲比売命(おおやまとととひももそひめのみこと) - 大吉備津彦命の姉
  • 大倭迹々日稚屋比売命(おおやまとととひわかやひめのみこと) - 大吉備津彦命の妹
  • 金山彦大神
  • 大山咋大神

[編集] 概要・歴史

大化改新の後吉備国が備前・備中・備後に分割された後に、備前の国一宮として崇敬される。社伝では推古天皇の時代に創建されたとしており、神体山と仰がれる吉備の中山の裾の、命の住居跡に社殿が創建されたのが起源らしい。朝廷より篤く崇敬され、承和7年(840年)には一品(いっぽん)の神階を受けている。中世以後は、宇喜多氏小早川秀秋池田氏など歴代領主の崇敬を受けた。

また、延喜5年(905年)から延長5年(927年)にかけて編纂された延喜式延喜式神名帳)には、備前国の名神大社安仁神社とある。しかし一宮制が確立し名神大社制が消えると備前国の一宮は吉備津彦神社であるとされている。これは吉備津彦神社が朝廷から一品宮の称号を授かったことで、安仁神社にあった一宮としての地位が当神社に移ったからとされている。

これは天慶2年(939年)における天慶の乱において、藤原純友が反乱を起こした際に安仁神社は純友に味方し、一方で吉備津彦神社の本宮にあたる吉備津神社は官軍(朝廷)に味方したためという説がある。結果、純友は敗北。安仁神社は一宮としての地位を失い、吉備津彦神社にその地位を譲る事となったとされる。

戦国時代には、日蓮宗を信奉する金川城主・松田元成による焼き討ちに遭い社殿を焼失した。松田氏滅亡後、宇喜多直家が崇敬し、高松城水攻めの際には羽柴秀吉も武運を祈願したと伝えられている。

江戸時代になると姫路藩主で岡山城主の池田利隆が本社を造営した。利隆は光政の誕生を期に子安神社を造築した。その後、岡山藩池田忠雄により本社・拝殿が造営された。池田綱政が社領300石を寄進し、本殿(岡山県指定重要文化財)を造営し、本殿・渡殿・釣殿・祭文殿・拝殿と連なり回廊が巡らされた社殿が完成した(元禄10年(1697年)に完成)。

明治5年(1872年県社に列せられた。昭和3年(1928年)国幣小社となった。昭和5年(1930年)12月、失火により本殿と随神門以外の社殿・回廊を焼失した。現在見られる社殿は昭和11年(1936年)に完成したものである。

[編集] 祭事

[編集] 御田植祭

御田植祭は、毎年8月2日及び3日に行われる神事および、それに伴う祭事。

古くは平安時代より執り行われてきたとされる「五穀豊穣」を祈願する神事で、岡山県指定無形民俗文化財である。

なお、この祭りが執り行われている間(特に2日の夜)は国道180号に接続している参道および岡山県道243号一宮備前一宮停車場線が自転車を除いて全面車両通行禁止となり、周辺の幾つかの道路も一方通行の規制がかかる。なお、この規制の所管は岡山西警察署が担当しており、実際に道路の入り口には「通行禁止」の看板と制服警官が配備される。

[編集] 御田植祭の流れ

2日
  • 神事
    • 厄神祭(芽の輪くぐり)…午後6時から開始。境内門に設えられた「芽の輪」という大きな注連縄の輪をくぐる神事。この輪が、くぐった者の諸災罪穢を祓うと言われる。
    • 本殿祭…午後9時から開始。本殿にて五穀豊穣を願う祝詞が上げられ、地元の小学生による舞(田舞)が奉納される。
    • 御斗代祭…本殿祭終了後、午後10時頃から開始。氏子が行列となり、宮前にある池(神池)の2つの島にあるそれぞれの斎場(お棚)で御斗代(稲苗もしくはそれに見立てた玉串)を立てる。
  • 夏祭り(神事に並行して開催)
    • 縁日…厄神祭とほぼ同時に開店。様々な屋台が立ち並ぶ。
    • 踊り…午後8時ごろから開始。境内に設えられた櫓を中心にして輪となり、地元の音頭である「備前一宮音頭」「備前一宮桃太郎音頭」などを踊る。参加者は地区の婦人会や子ども会が中心。
    • 花火大会…打ち上げ花火。規模としては平均300発程度。午後8時から。
3日
  • 本殿祭…午前10時から。内容は2日と同じ。
  • 御旗献納祭…午後4時ごろから。氏子が行列となり、御旗を運ぶ。途中、正面鳥居から門へと至る表参道で御旗に付けられた装飾物を奪い合う習慣となっており、奪った装飾物を田に立てたり家に持ち帰って飾ったりすると、豊作や福を得られるとされる。

[編集] 社殿

社殿
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[編集] 補足

吉備津神社も古来は、吉備津彦神社とも呼ばれていた。延喜式神名帳には、備中国大社として「吉備津彦神社」と記載されている。現在は、それぞれ正式名称を吉備津神社(備中国・備後国)、吉備津彦神社(備前国)と定めている。

[編集] 脚注

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  1. ^ 一般的に若日子建吉備津彦命は大吉備津彦命の弟とされているが、吉備津彦神社公式サイトでは子供としている。誤記か、社伝によるものかは不明。

[編集] 参考文献

  • 『吉備津彦神社略記』 国幣小社吉備津彦神社社務所/著・発行、1936年(1999年復刻)

[編集] 交通

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

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