吉備津彦神社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
吉備津彦神社
Kibitsuhiko-jinja tourou and haiden.JPG
大燈籠と拝殿
所在地 岡山県岡山市北区一宮1043
位置 北緯34度40分36.31秒
東経133度51分49.87秒
主祭神 大吉備津彦命
社格 備前国一宮
国幣小社
別表神社
創建 不詳
本殿の様式 三間社流造
別名 朝日の宮
例祭 10月第3土曜・日曜
主な神事 御田植祭8月2日3日
流鏑馬神事(10月第3土曜・日曜)
テンプレートを表示
神体山とする吉備の中山(西方向より。左が竜王山、右が茶臼山)
鳥居

吉備津彦神社(きびつひこじんじゃ)は、岡山県岡山市北区一宮にある神社備前国一宮旧社格国幣小社で、現在は神社本庁別表神社

近年、「朝日の宮」(あさひのみや)の別称がある。

概要[編集]

岡山市西部、備前国と備中国の境に立つ吉備の中山(標高175m)の北東麓に東面して鎮座する。吉備の中山は古来より神体山として信仰されており、北西麓には備中国一宮・吉備津神社が鎮座する。当社と吉備津神社とも、当地を治めたとされる大吉備津彦命を主祭神に祀り、命の関係一族を配祀する。

大化改新を経て吉備国が備前・備中・備後に分割されたのち、備前国一宮として崇敬された。中世以後は、宇喜多氏小早川秀秋池田氏など歴代領主の崇敬を受けた。

祭神[編集]

祭神は以下の12柱[1]

主祭神
第7代孝霊天皇の皇子。大吉備津日子命とも記し、別名を比古伊佐勢理比古命とも。崇神天皇10年、四道将軍の一人として山陽道に派遣され、若日子建吉備津彦命と協力して吉備を平定した。その子孫が吉備の国造となり、古代豪族・吉備臣へと発展したとされる。
相殿神

 


歴史[編集]

社伝では推古天皇の時代に創建されたとするが、初見の記事は平安後期である。神体山と仰がれる吉備の中山の裾の、大吉備津彦命の住居跡に社殿が創建されたのが起源と考えられている。

延喜5年(905年)から延長5年(927年)にかけて編纂された『延喜式神名帳』には、備前国の名神大社として安仁神社が記載されているが当社の記載はない。しかしながら、一宮制が確立し名神大社制が消えると、備前国一宮は吉備津彦神社となったとされている。これは天慶2年(939年)における天慶の乱藤原純友の乱)の際、安仁神社が純友に味方したことに起因する。一方で吉備津彦神社の本宮にあたる吉備津神社が、朝廷による藤原純友の乱平定の祈願の御神意著しかったとして940年に一品の神階を授かった。それに伴い安仁神社は一宮としての地位を失い、備前の吉備津彦神社にその地位を譲る事となったとされる。

戦国時代には、日蓮宗を信奉する金川城主・松田元成による焼き討ちに遭い社殿を焼失した。松田氏滅亡後、宇喜多直家が崇敬し、高松城水攻めの際には羽柴秀吉も武運を祈願したと伝えられている。

江戸時代になると姫路藩主で岡山城主の池田利隆が本社を造営した。利隆は光政の誕生を期に子安神社を造築した。その後、岡山藩池田忠雄により本社・拝殿が造営された。池田綱政が社領300石を寄進したほか本殿を造営し、本殿・渡殿・釣殿・祭文殿・拝殿と連なった社殿が完成した(元禄10年(1697年)に完成)。

明治5年(1872年)、近代社格制度において県社に列し、昭和3年(1928年国幣小社に昇格した。

昭和5年(1930年)12月、失火により本殿と随神門以外の社殿・回廊を焼失した。現在見られる社殿は昭和11年(1936年)に完成したものである。

境内[編集]

本社[編集]

建造物
本殿(県指定文化財)
拝殿
神社内拝殿

社殿は、夏至の日に正面鳥居から日が差し込んで祭文殿の鏡に当たる造りになっている。当社の「朝日の宮」の別称はこれに因んでいる。

  • 主要社殿
    • 本殿 - 元禄10年(1697年)の岡山藩主・池田綱政による再建時のもの。桁行三間、梁間二間の流造檜皮葺。岡山県指定文化財[3]
    • 渡殿
    • 祭文殿
    • 拝殿
  • 石造大燈籠
  • 随身門
その他
  • 平安杉
  • 神池 - 靏島(鶴島)・亀島・五色島が浮かぶ。五色島には古代祭祀場の環状列石が残っている

吉備の中山[編集]

中山茶臼山古墳
(大吉備津彦命墓)

境内後方に立つ吉備の中山には多くの古墳や古代祭祀遺跡が残り、古くより神体山としての信仰がなされていたと考えられている。最高峰の北峰・竜王山(標高175m)山頂には当社の元宮磐座や摂末社の龍神社が鎮座し、中央の茶臼山(160m)山頂には大吉備津彦命の墓とされる古墳が残っている[4]

  • 元宮磐座 - 古代に祭祀が行われていたとされる
  • 奥宮磐座 - 「八畳岩」ほかの磐座が残る。岩周辺の土中からは、多くの土師器の破片が発掘された
  • 環状神籬
  • 中山茶臼山古墳 - 全長120mの前方後円墳。「大吉備津彦命墓」として宮内庁により管理
  • 尾上車山古墳
  • 石舟古墳
  • 藤原成親遺跡
  • 吉備考古館

摂末社[編集]

子安神社 拝殿

摂社[編集]

岡山藩主・池田氏の崇敬が篤かったことから摂社になったとされる。社殿は岡山市の文化財に指定。

末社[編集]

本殿周辺

楽御崎神社2社・尺御崎神社2社は本殿の周囲四隅に鎮座する。祀られる4神は大吉備津彦命の平定に従ったと伝えられる。

  • 楽御崎神社 (らくおんざき)
    • 祭神:楽々森彦命(ささもりひこ)
    • 例祭:4月19日。本殿向かって右手前に鎮座
  • 楽御崎神社
    • 祭神:楽々与理彦命(ささよりひこ)
    • 例祭:4月19日。本殿向かって左手前に鎮座
  • 尺御崎神社 (しゃくおんざき)
    • 祭神:夜目山主命(やめやまぬし)
    • 例祭:4月19日。本殿向かって右奥に鎮座
  • 尺御崎神社
    • 祭神:夜目麿命(やめまろ)
    • 例祭:4月19日。本殿向かって左奥に鎮座
  • 岩山神社
    • 祭神:建日方別命(中山主神とも) - 伊邪那岐命・伊邪那美命の子(国産みでの吉備児島)
    • 例祭:9月24日。本殿向かって左手の石祠に祀られている
境内北方
北方の末社群
境内南方
稲荷神社
温羅神社
神池周辺
吉備の中山
  • 龍神社(八大竜王) - 祭神:龍王神


主な祭事[編集]

年間祭事[編集]


御田植祭[編集]

御田植祭は、毎年8月2日及び3日に行われる神事および、それに伴う祭事。

古くは平安時代より執り行われてきたとされる「五穀豊穣」を祈願する神事で、岡山県の無形民俗文化財に指定されている。

なお、この祭りが執り行われている間(特に2日の夜)は国道180号に接続している参道および岡山県道243号一宮備前一宮停車場線が自転車を除いて全面車両通行禁止となり、周辺の幾つかの道路も一方通行の規制がかかる。

御田植祭の流れ[編集]

2日
  • 神事
    • 厄神祭(芽の輪くぐり) - 午後6時から開始。境内随神門に設えられた「芽の輪」という大きな輪をくぐる神事。この輪をくぐった者は諸災罪穢を祓われると言われる。
    • 本殿祭 - 午後9時から開始。本殿にて五穀豊穣を願う祝詞が上げられ、地元の小学生による舞(田舞)が奉納される。
    • 御斗代祭 - 本殿祭終了後、午後10時頃から開始。氏子が行列となり、宮前にある池(神池)の2つの島にあるそれぞれの斎場(お棚)で御斗代(稲苗もしくはそれに見立てた玉串)を立てる。
  • 夏祭り(神事に並行して開催)
    • 縁日 - 厄神祭とほぼ同時に開店。様々な屋台が立ち並ぶ。
    • 踊り - 午後8時ごろから開始。境内に設えられた櫓を中心にして輪となり、地元の音頭である「備前一宮音頭」「備前一宮桃太郎音頭」などを踊る。参加者は地区の婦人会や子ども会が中心。
    • 花火大会 - 打ち上げ花火。規模としては平均300発程度。午後8時から。
3日
  • 本殿祭 - 午前10時から。内容は2日と同じ。
  • 御旗献納祭 - 午後4時ごろから。氏子が行列となり、御旗を運ぶ。途中、正面鳥居から門へと至る表参道で御旗に付けられた装飾物を奪い合う習慣となっており、奪った装飾物を田に立てたり家に持ち帰って飾ったりすると、豊作や福を得られるとされる。

文化財[編集]

重要文化財(国指定)[編集]

延宝6年(1678年)に岡山藩主・池田綱政が奉納したもの。岡山県立博物館で保管。大正元年指定[8]

岡山県指定文化財[編集]

有形文化財
  • 本殿 - 昭和43年指定
  • 紙本淡彩神事絵巻
御田植祭の様子を記した絵巻。文明年間(1469年-1486年)のものとされる。岡山県立博物館で保管。昭和34年指定[9]
無形民俗文化財
  • 御田植祭 - 昭和39年指定

岡山市指定文化財[編集]

有形文化財
  • 子安神社社殿 - 昭和49年指定
  • 随神門・中門 - 平成10年指定
  • 石造大燈籠 - 平成16年指定
無形民俗文化財
  • 流鏑馬神事 - 昭和46年指定

現地情報[編集]

所在地
交通アクセス
周辺

脚注[編集]

  1. ^ 公式サイトに拠る。『吉備津彦神社略記』では、祭神は大吉備津彦命・孝霊天皇・孝元天皇・開化天皇・崇神天皇・彦刺肩別命・稚武彦命の7柱。
  2. ^ 一般的に若日子建吉備津彦命は大吉備津彦命の弟とされている。吉備津彦神社では、公式サイト・由緒書では子、『吉備津彦神社略記』では弟としている。誤記か社伝によるものかは不明。系図では弟とした。
  3. ^ 吉備津彦神社本殿(おかやまの文化財)。
  4. ^ 吉備の中山を守る会(外部リンク)参照。
  5. ^ 摂末社に関しては『吉備津彦神社略記』、吉備津彦神社に関する個人サイト(外部リンク)を参考に記載。
  6. ^ 子安神社は『吉備津彦神社略記』では末社と記すが公式サイトでは摂社としており、ここでは後者に従った。
  7. ^ 吉備海部直祖・山田日芸丸・和田叔奈麿・針間宇自可直・夜目山主・栗坂富玉臣・忍海直祖・片岡健・八枝麿・夜見丸の10柱。
  8. ^ 太刀 銘井上真改 附糸巻太刀拵(おかやまの文化財)。
  9. ^ 紙本淡彩神事絵巻(おかやまの文化財)。

参考文献[編集]

  • 『吉備津彦神社略記』 国幣小社吉備津彦神社社務所/著・発行、1936年(1999年復刻)
  • 谷川健一 編『日本の神々 -神社と聖地- 2 山陽 四国』(白水社)吉備津彦神社項
  • 『日本歴史地名大系 岡山県の地名』(平凡社)岡山市 吉備津彦神社項

関連項目[編集]

神社

外部リンク[編集]