倭迹迹日百襲媛命

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倭迹迹日百襲媛命
(やまとととひももそひめのみこと)
夜麻登登母母曽毘売命
(やまと・とも・もそ・ひめのみこと)
続柄 孝霊天皇皇女
身位 皇女
出生 不明(紀元前92年以前:災害がつづく理由を占う)
死去 不明(紀元前88年以降:武埴安彦命の反乱を予言)
埋葬 不明
大和国箸墓古墳
父親 孝霊天皇(第 7代天皇
母親 倭国香媛
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倭迹迹日百襲媛命(やまとととひももそひめのみこと、生没年不詳(生年:紀元前92年以前) - (没年:紀元前88年以降))は、孝霊天皇紀元前342年 - 紀元前215年)の皇女


家系[編集]

天皇略系図(初代 - 第10代) SVGで表示(対応ブラウザのみ)

『日本書紀』では、母は、倭国香媛(やまとのくにかひめ)。同母兄弟に、倭迹迹稚屋姫命彦五十狭芹彦命らが、異母兄弟に孝元天皇がいる。

『古事記』では夜麻登登母母曾毘売命(やまととももそひめのみこと)。母は、意富夜麻登玖邇阿禮比賣命(おおやまとくにあれひめのみこと)、別名蠅伊呂泥(はえいろね)、同母兄弟に日子刺肩別命比古伊佐勢理毘古命倭飛羽矢若屋比売がいる。

巫女としての神話[編集]

巫女的な性格をもつ。崇神七年に崇神天皇に頼まれて、災害がつづく理由を占うと、三輪山大物主神が神懸かりして、我を祀れば国は治まるといった。そこで崇神は、神の娘大田田根子大神神社の神主にすると、平和になったという。崇神十年には、四道将軍の一人、大彦命がきいた童歌から武埴安彦命の反乱を予言したうえ、彼の妻吾田媛と二手に分かれて攻めてくるとも予言し、的中させている[1]

名前の解釈[編集]

研究者によると、ヤマト(大和)のトトビ(飛び)に基づく神祀りに仕える巫女と解釈されている。名の意味は、霊魂が身体から離脱して空中の鳥のように飛んでゆく、離魂型の巫女名と捉えられている[2]

箸墓伝説[編集]

崇神紀十年の条に有名な箸墓伝説が記されている。倭迹迹日百襲媛命は大物主神の妻となるが、大物主の本体がであることを知って驚き、倒れこみ、が陰部に刺さって死んだ。箸墓古墳は、彼女の墓と伝わる。

卑弥呼に比定する説[編集]

倭迹迹日百襲媛命を邪馬台国を治めた卑弥呼に比定する説がある[3]

関連項目[編集]

  • 倭国造(倭氏、大和(倭)神社を氏神とする氏族)

出典[編集]

  1. ^ 日本書紀卷第五
  2. ^ 上田正昭 『神婚伝承の展開 ―三輪の神をめぐって―』 昭和51年
  3. ^ 肥後和男『邪馬台国は大和である』秋田書店、など