大中臣兼興

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大中臣兼興
時代 平安時代中期
生誕 天禄3年(972年
死没 永承2年9月9日1047年9月30日
官位 従四位下斎宮頭
主君 三条天皇後一条天皇後朱雀天皇
氏族 大中臣氏
父母 父:大中臣理平
兼任、兼国
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大中臣 兼興(おおなかとみ の かねき)は、平安時代中期の貴族伊勢神宮祭主伊勢介・大中臣時用の孫で、春日神主・大中臣理平の長男。官位従四位下斎宮頭

経歴[編集]

三条朝長和3年(1013年斎宮助に任ぜられる。叙爵後、後一条朝寛仁2年(1018年)に神祇権少副に任官。治安3年(1023年従五位上に進み、長元4年(1031年)神祇大副に転じる。長元7年(1034年)には正五位下に昇叙されている。

後朱雀朝長暦3年(1039年)6月に伊勢神宮祭主に補任されるが、8月7日に伊勢神宮の託宣および中臣氏二門の氏人の愁訴によって祭主の職を追われ、若狭守に遷任された。のち、従四位下に叙せられ、長久4年(1043年)に若狭守の任期が終わると共に斎宮頭に任ぜられている。

後冷泉朝永承2年(1047年)9月9日に卒去。享年76。

官歴[編集]

注釈のないものは「中臣氏系図」(『群書類従』巻第62所収)による。

系譜[編集]

「中臣氏系図」(『群書類従』巻第62所収)による。

  • 父:大中臣理平
  • 母:不詳
  • 生母不明の子女
    • 男子:大中臣兼任
    • 男子:大中臣兼国

脚注[編集]

  1. ^ 祭主補任集』「祭主次第」
  2. ^ 『扶桑略記』『百錬抄』
  3. ^ 『太神宮諸雑事記』

参考文献[編集]