熱田神宮
| 熱田神宮 | |
|---|---|
本宮 |
|
| 所在地 | 愛知県名古屋市熱田区神宮1-1-1 |
| 位置 | 北緯35度07分38.59秒 東経136度54分31.22秒 |
| 主祭神 | 熱田大神 |
| 神体 | 草薙神剣(草薙剣) |
| 社格等 | 式内社(名神大) 尾張国三宮 旧官幣大社 勅祭社 別表神社 |
| 創建 | (伝)景行天皇43年 |
| 本殿の様式 | 神明造 |
| 例祭 | 6月5日(熱田祭) |
| 主な神事 | 歩射神事 御煤納神事 |
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熱田神宮(あつたじんぐう)は、愛知県名古屋市熱田区にある神社。式内社(名神大社)、尾張国三宮。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。宮中の四方拝で遥拝される一社。神紋は「五七桐竹紋」。
目次 |
概要 [編集]
名古屋市南部、熱田台地の南端に鎮座する。古くは伊勢湾に突出した岬上に位置していたが、周辺の干拓が進んだ現在はその面影は見られない[1]。
三種の神器の1つ・草薙剣(くさなぎのつるぎ、天叢雲剣)を祀る神社である。ただし、剣は壇ノ浦の戦いで遺失したとも熱田神宮に保管されたままともいわれている(「天叢雲剣」を参照)。
景行天皇43年創建とされる。景行天皇43年は西暦に換算した場合に113年とされることから、2013年(平成25年)に創祀1900年を迎えるとされ、同年5月8日に「創祀千九百年大祭」が行われた[2]。
建物は伊勢神宮と同じ神明造であるが、1893年(明治26年)までは尾張造と呼ばれる独特の建築様式だった(氷上姉子神社に尾張造の建築様式が残っている)。
『東海道名所図会』に「熱田大神宮」と記載される。『海道記』に「熱田の宮の御前を過ぐれば」とある。
『東關紀行』に「尾張の國熱田の宮に到りぬ」とある。また、
或人の曰く、「この宮は素盞嗚尊(すさのをのみこと)なり、初めは出雲の國に宮造りありけり。八雲立つ〔(*「)八雲たつ出雲八重垣妻籠に八重垣つくる其の八重垣を(*」)(古事記)〕と云へる大和言葉も、これより始まりけり。その後、景行天皇の御代に、この砌(みぎり)に跡を垂れ給へり。」と云へり。又曰く、「この宮の本體は、草薙と號し奉る神劒なり。景行の御子、日本武尊と申す、夷(えみし)を平げて歸りたまふ時、尊は白鳥となりて去り給ふ、劒(つるぎ)は熱田に止り給ふ。」とも云へり。
— 國民圖書株式會社, 東關紀行(校註日本文學大系 3)
と記載されている。
祭神 [編集]
- 主祭神
- 相殿神
熱田大神とは草薙剣の神霊のこととされるが、明治以降の熱田神宮や明治政府の見解では、熱田大神は草薙剣を御霊代・御神体としてよらせられる天照大神のことであるとしている。しかし、創建の経緯などからすると日本武尊と非常にかかわりの深い神社であり、熱田大神は日本武尊のことであるとする説も根強い。
相殿には、天照大神、素盞嗚尊、日本武尊、宮簀媛命、建稲種命と草薙剣に縁のある神が祀られている。素盞嗚尊は、ヤマタノオロチ退治の際に、ヤマタノオロチの尾の中から天叢雲剣を発見し、天照大神に献上した。天照大神は、その天叢雲剣を天孫降臨の際に迩迩芸命(ににぎのみこと)に授けた。日本武尊は、天叢雲剣(草薙剣)を持って蝦夷征伐を行い活躍したあと、妃の宮簀媛命のもとに預けた。宮簀媛命は、熱田の地を卜定して草薙剣を祀った。建稲種命は宮簀媛命の兄で、日本武尊の蝦夷征伐に副将として従軍した。
歴史 [編集]
概史 [編集]
第12代景行天皇の時代、日本武尊が東国平定の帰路に尾張へ滞在した際に、尾張国造乎止与命(おとよのみこと)の娘・宮簀媛命と結婚し、草薙剣を妃の手許へ留め置いた。日本武尊が伊勢国能褒野(のぼの)で亡くなると、宮簀媛命は熱田に社地を定め、剣を奉斎鎮守したのが始まりと言われる。そのため、三種の神器のうち草薙剣は熱田に置かれ、伊勢神宮に次いで権威ある神社として栄えることとなった。
大宮司職は代々尾張国造の子孫である尾張氏が務めていたが、平安時代後期に尾張員職の外孫で藤原南家の藤原季範にその職が譲られた。以降は子孫の藤原氏・千秋氏が大宮司、尾張氏は権宮司を務める。なお、この季範の娘は源頼朝の母(由良御前)である。
南北朝時代には、後醍醐天皇によって国家の宗祀とされ、しかも北朝を支持する足利氏の崇敬を受けるという、きわめて高い地位に置かれた[4]。
戦国時代、織田信長は桶狭間合戦の前に戦勝を祈願して見事に勝利を収め、以後、戦いの神として名を高める[4]。
1868年(明治元年)6月に神宮号を宣下されて熱田神社から熱田神宮に改め、1871年7月1日(明治4年5月14日)の近代社格制度の制定により、熱田神宮は官幣大社に列格した。熱田神宮には「三種の神器の一つを祀っているから、伊勢神宮と同格であるべきだ」という主張があり、同年7月には大宮司・千秋季福が伊勢神宮に準じた待遇にするよう政府に請願したものの、この請願は却下されている。次いで大宮司となった角田忠行も同様の請願を続け、1889年(明治22年)までに伊勢神宮に準じた神璽勅封・権宮司設置などが認められた。
それまで熱田神宮は尾張造という尾張地方特有の建築様式で建てられていたが、1889年(明治22年)、伊勢神宮と同じ神明造による社殿の造営が計画された。また、熱田神宮の国への働きかけにより、1890年(明治23年)9月、社格を離脱して伊勢神宮と同格にする旨の勅令案が閣議に提出された(案の段階では熱田神宮を「尾張神宮」に改称する事項も含まれていたが、これは外された)。しかし、この勅令案は否決され、熱田神宮の社格の件は従前の通りとすることとなった。その背景には伊勢神宮の反対があったという。神明造による社殿の造営は進められ、1893年(明治26年)に竣工したが、この社殿は太平洋戦争の空襲により焼失した。
1945年(昭和20年)の終戦直前、神体である草薙剣を守るために飛騨一宮水無神社への一時的な遷座が計画されたが、同年8月15日の終戦により一時中止された。しかし、今度は上陸したアメリカ軍に神体が奪われるおそれがあるとして、同年8月21日、陸軍の協力を得て計画通り神体が水無神社に遷された。同年9月19日に熱田神宮に戻されたが、そのときにはすでに陸軍は解散していたため、神職が鉄道で移動した。社殿は伊勢神宮の式年遷宮の際の古用材を譲り受け、1955年(昭和30年)10月に再建された。新しい建物のため、文化財に指定されていない。
神階 [編集]
- 822年(弘仁13年)6月21日:従四位下 (『日本紀略』) - 表記は「熱田神」
- 833年(天長10年)6月27日:従三位から正三位 (『続日本後紀』) - 表記は「熱田大神」
- 859年(貞観元年)正月27日:従二位 (『日本三代実録』) - 表記は「熱田神」
- 859年(貞観元年)2月17日:正二位 (『日本三代実録』) - 表記は「熱田神」
年表 [編集]
<>は関連事項
- (伝)景行天皇43年:日本武尊が能褒野で薨去する。草薙剣を熱田の地に祀る。
- (伝)仲哀天皇4年:火上姉子神社が創建される。
- 668年(天智天皇7年):草薙剣が新羅の僧道行により盗み出される(日本書紀)(草薙剣盗難事件)。
- 686年(朱鳥元年):草薙剣が熱田神宮へ戻される(日本書紀)。
- 708年(和銅元年)9月9日:八剣宮が創建される。
- 712年(和銅5年)1月28日:<「古事記」完成>
- 720年(養老4年):<「日本書紀」完成>
- 907年(延喜7年):延喜式名神大社に列せられる。
- 927年(延長5年)12月26日:<延喜式完成>
- 967年(康保4年)7月9日:<延喜式施行>
- 1160年(平治2年):源義朝、太刀奉納(但氷上社)(後栄祈願)。
- 1190年(建久元年):源頼朝、御剣奉納(上洛途上社参奉幣)。
- 1194年(建久5年):源頼朝、御剣奉納(使大江広元進献)。
- 1195年(建久6年):源頼朝、御剣奉納(上京帰路奉幣)。
- 1335年(建武2年):足利尊氏、剣奉納(上洛途上参詣)。
- 1377年(永和3年):『日本書紀』(熱田本)奉納。
- 1382年(永徳3年):火上姉子神社で火災。地名を火高(ほだか)火上から大高氷上へと改める。
- 1560年(永禄3年):織田信長が築地塀を奉納(信長塀)。
- 1839年(天保10年)1月19日:八剣宮の御神体を妖僧が盗み出すも未遂に終わる。
- 1868年(明治元年)3月:<神仏分離令>
- 同年6月:神宮号を宣下される。
- 1871年(明治4年)5月14日:近代社格制度制定に伴い、官幣大社に列格される。
- 1893年(明治26年):尾張造から神明造に建て直される。
- 1914年(大正3年)4月7日:「日本武尊千八百年祭」が行われる。
- 1945年(昭和20年):5月17日:空襲による被害を受ける。各種社殿、国宝海上門を焼失。
- 1955年(昭和30年)10月:再建される。
- 1963年(昭和38年):高座結御子神社が再建される。
- 2007年(平成19年)10月22日:本殿の改修に伴い、神体を仮殿に移す「仮殿遷座祭」を行う。
- 2009年(平成21年)10月10日:神体を本殿に移す「本殿遷座祭」を行う。
- 2013年(平成25年)5月8日:「創祀千九百年大祭」が行われる。
近年の皇族の参拝 [編集]
- 1868年(明治元年)9月27日:明治天皇
- 1878年(明治11年):明治天皇
- 1906年(明治39年):皇太子嘉仁親王(大正天皇)
- 1916年(大正5年):大正天皇
- 1946年(昭和21年):昭和天皇
- 1991年(平成3年):今上天皇・皇后
- 2005年(平成17年)7月12日:今上天皇・皇后(2005年日本国際博覧会行幸啓の折)
摂末社 [編集]
別宮 [編集]
摂社 [編集]
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末社 [編集]
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祭事 [編集]
6月5日の例祭(「熱田まつり」・「尚武祭(しょうぶさい)」とも称される)を最大規模の祭事とし、年間を通して以下の祭事が行われている。
文化財 [編集]
国宝 [編集]
- 短刀 銘来国俊 正和五年十一月日
重要文化財(国指定) [編集]
- 紙本著色法華経涌出品
- 木造舞楽面 12面(陵王1、納曽利2、還城楽1、崑崙八仙4、二ノ舞2、抜頭2、貴徳1)
- 菊蒔絵手筥
- 鏡及鏡箱
- 松竹双鶴文円鏡・桐鳳凰蒔絵鏡箱
- 松竹双鶴文八稜鏡・蓬莱蒔絵鏡箱
- 松竹双鶴文八稜鏡・蓬莱蒔絵鏡箱
- 古神宝類一括(明細は後出)
- 金銅装唐鞍(附 黒漆鞍2背 飾鞍図1巻)
- 金銅兵庫鎖太刀
- 太刀 銘国友
- 太刀 銘則国
- 剣 銘吉光
- 太刀 銘了戒嘉元三年三月日 山城国住人九郎左(以下切)
- 脇指 銘長谷部国信
- 短刀 銘長谷部国信 (切付銘)藤原友吉
- 短刀 銘国光 徳治三年(以下切)
- 太刀 銘宗吉作(1911年重文指定)
- 太刀 銘宗吉作(1912年重文指定)
- 剣 銘為清 身ニ熱田太神宮宗久ト切付アリ
- 太刀 銘長光
- 太刀 銘備州長船兼光
- 太刀 銘備州長船重光
- 太刀 銘元弘三年六月一日実阿作 鎬地ニ文祿四年守勝ノ寄進銘アリ
- 剱 銘□利(包利)
- 太刀 銘真行 身ノ表ニ元亀二年辛未八月八日大久保与九郎、裏ニ熱田大名神奉寄進之在銘
- 太刀 無銘(伝真長)
- 脇指 銘指表ニ奉納尾州熱田大明神、指裏ニ両御所様被召出於武州江戸御劔作御紋康之字被下罷上刻籠越前康継トアリ
- 日本書紀(紙背和歌懐紙)(附 永和三年霜月四日寄進状1巻)
- 後花園天皇宸翰御消息 永享五年十二月十二日(附 足利義教内書)
他に旧国宝建造物の海上門と鎮皇門があったが、第二次大戦時に焼失している。
古神宝類
- 表着(うわぎ) 萌黄小葵地桐竹鳳凰文二重織 2領
- 重袿(かさねうちき) 白桐竹鳳凰唐草文固綾織 10襲2領
- 単(ひとえ) 萌黄繁菱文固綾織 1領
- 裳 白三重襷文羅織 2腰
- 彩絵檜扇 3握
- 表袴(うえのはかま) 白窠霰文二重織 3腰
- 襪(しとうず) 白繁菱文固綾織 2双
- 錦包挿鞋(そうかい) 3双
- 黒漆根古志形鏡台 5基
- 黒漆菊亀甲蒔絵冠箱 1合
- 入帷(いりかたびら) 紫小葵地浮線綾二重織 2領
- 朱漆弓 3張
- 黒漆平胡籙(ひらやなぐい) 1腰
- 朱塗唐櫃 2合
- 附:入帷残欠
その他 [編集]
- 算額 文化3年(1806年)5月 日下誠門人江原政教奉納(復元)
- 算額 天保12年(1841年)11月 御粥安本門人三輪恒徳奉納(復元)
- 算額 天保15年(1844年)2月 竹内修敬門人松岡愿奉納(復元)
備考 [編集]
- 平安時代後期に定められた一宮において、尾張国の一宮は真清田神社、熱田神宮は三宮とされた。これについては諸説があり、井上寛司は熱田神宮は当初別格として扱われていたこと[5]や真清田神社側の積極的な働きかけがあったことが原因になったとする説[6]を、上島享は当初は一宮の格式を持っていたものの、後に国衙と熱田神宮の対立が影響して一宮の交替が起きたとする説[7]を出している。いずれにしても、平安時代末期(12世紀後期)に一宮を中心とした国内の神社の秩序が確立される中で、熱田神宮は三宮として位置づけられることになり、熱田神宮は「鎮守三社」[8]などの表現を用いて自らを三宮と称するのを避けたという。
- 西行法師が腰をかけて休んだという伝承がある「二十五丁橋」[9]は、尾張名所図会や名古屋甚句に登場し、名古屋では最古の石橋とされる。
- 永禄3年(1560年)5月19日、織田信長とその手勢が桶狭間の戦いに赴く際に立ち寄り、戦勝祈願を行った。
合戦後、信長が勝利した御礼として築いたとされる塀(信長塀)の一部が現存し、「日本三大土塀」の一つとされる。 - 11月に開催される全日本大学駅伝対校選手権大会では西門鳥居前(国道19号)がスタート地点として使われる。
- 1936年のベルリンオリンピックで、水泳女子の前畑秀子がレース直前、熱田神宮のお守りを数点飲み込んで胃に収め、見事金メダルを獲得した。
現地情報 [編集]
- 交通アクセス
- バス
- 名古屋市営バス:「神宮東門」・「熱田伝馬町」・「熱田駅西」・「熱田区役所」・「名鉄神宮前」バス停下車 (いずれも下車後徒歩すぐ)
- 車
- 駐車場:有り(正月三が日は関係者のみ)
- 付属施設
そのほか、熱田神宮文化殿(宝物館、熱田文庫)、熱田神宮会館、龍影閣があり、敷地内には愛知県神社庁、神職養成機関の熱田神宮学院がある。社務所に当たる組織は「熱田神宮宮庁」と呼ばれる。
- 周辺
脚注 [編集]
- ^ 『愛知県の地名』熱田神宮項。
- ^ 熱田神宮1900年祝い大祭 草薙の剣祭った由来、47ニュース、2013年5月8日
- ^ 「草薙神剣」:熱田神宮における公称。
- ^ a b 深見東州 『全国の開運神社案内 並装版』 たちばな出版(原著1999年6月30日)、初版。ISBN 9784813311393。
- ^ 永万元年六月日神祇官諸社注文(『平安遺文』3358号)には「尾張国 一宮 二宮 熱田社」と記され、熱田社は三宮とはみなされていなかった。
- ^ 井上寛司『日本中世国家と諸国一宮制』岩田書院、2009年、P95-98。
- ^ 上島享『日本中世社会の形成と王権』名古屋大学出版会、2010年、P269-272。
- ^ 嘉禄元年付尾張国司庁宣案(『鎌倉遺文』3401号)
- ^ 25枚の板石から成る。
参考文献 [編集]
- 『日本歴史地名大系 愛知県の地名』(平凡社)熱田区 熱田神宮項
- 『熱田神宮名宝図録』(宝物館開館20周年記念、昭和63年、熱田神宮)
- 『熱田神宮の宝刀』(鑑賞のしおり、平成19年、熱田神宮神社庁)
- 深見東州 『全国の開運神社案内 並装版』 たちばな出版(原著1999年6月30日)、初版。ISBN 9784813311393。
関連項目 [編集]
外部リンク [編集]
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