金刀比羅宮

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
金刀比羅宮
本宮拝殿
本宮拝殿
所在地 香川県仲多度郡琴平町字川西892番地1
位置 北緯34度11分2.2秒
東経133度48分34.0秒
座標: 北緯34度11分2.2秒 東経133度48分34.0秒
主祭神 大物主命
(相殿)崇徳天皇
社格 国幣中社・別表神社
札所等 さぬき十五社13番
主な神事 10月10日
地図
金刀比羅宮の位置(香川県内)
金刀比羅宮
金刀比羅宮
テンプレートを表示

金刀比羅宮(ことひらぐう)は、香川県仲多度郡琴平町象頭山中腹に鎮座する神社こんぴらさんと呼ばれて親しまれており、金毘羅宮、まれに琴平宮とも書かれる。明治維新神仏分離廃仏毀釈が実施される以前は真言宗の象頭山松尾寺金光院であり[1]神仏習合で象頭山金毘羅大権現と呼ばれた。現在は神社本庁包括に属する別表神社宗教法人金刀比羅本教の総本部。全国の金刀比羅神社・琴平神社・金比羅神社の総本宮でもある。

概要[編集]

海上交通の守り神として信仰されており、漁師船員など海事関係者の崇敬を集める。時代を超えた海上武人の信仰も篤く、戦前の大日本帝国海軍の慰霊祭だけではなく、戦後の朝鮮戦争における海上保安庁掃海殉職者慰霊祭も毎年、金刀比羅宮で開かれる。境内の絵馬殿には航海の安全を祈願した多くの絵馬が見られる。金毘羅講に代表されるように古くから参拝者を広く集め、参道には当時を偲ばせる燈篭などが今も多く残る。

長く続く参道の石段が有名で、奥社まで登ると1368段にもなる。例大祭に合わせて毎年、これをメインに「こんぴら石段マラソン」が開かれている。

かつては、金刀比羅宮と倉敷市にある由加山蓮台寺由加神社本宮)の両方を参拝する両参りという習慣があったといわれている。

祭神[編集]

歴史[編集]

由緒[編集]

金刀比羅宮の由緒については二つの説がある。一つは、大物主命が象頭山に行宮を営んだ跡を祭った琴平神社から始まり、中世以降に本地垂迹説により仏教金毘羅と習合して金毘羅大権現と称したとするものである[2]。もう一つは、もともと象頭山にあった真言宗の松尾寺[3]に金毘羅が鎮守神として祀られており、大宝年間に修験道役小角(神変大菩薩)が象頭山に登った際に天竺毘比羅霊鷲山(象頭山)に住する護法善神金毘羅の神験に遭ったのが開山の縁起との伝承から、これが金毘羅大権現になったとする[4]

なお、別の説として、『生駒記讃陽綱目』の金刀比羅宮の條によれば、延喜式神名帳に名が見える讃岐国多度郡雲気神社が金刀比羅宮という記述がある。

いずれにせよ神仏習合寺社であった。海上交通の守り神とされるのは、古代には象頭山の麓まで入江が入り込んでいたことに関係があるとされるとの説があるが、縄文海進での海面上昇は5m程度であり、大物主命が「海の彼方から波間を照らして現れた神」であったことに由来すると考えるほうが妥当である。

長寛元年(1163年)に崇徳上皇が象頭山松尾寺金光院に参籠した[2]ことから、修験道の御霊信仰の影響で永万元年(1165年)には、讃岐国に流されたまま崩御した崇徳天皇も象頭山松尾寺金光院に合祀した[5]

戦国時代には荒廃していたが、別当となった象頭山松尾寺の宥盛が信仰を広め境内を整備した。宥盛は死の直前には神体を守るために天狗に身を変えたとの伝説もあり、死後は本堂付近に祀られる。

江戸時代[編集]

江戸時代初期には、別当の象頭山松尾寺の宥光が参拝の土産物として○に金の印を入れたうちわを作ることを思いつき、大和国より技術者を招いたといわれ、この頃には信仰が次第に広がりを見せていたと推察される。

江戸時代中期に入ると全国の庶民の間へと信仰は広がり、各地で金毘羅講が組織され、金毘羅参りが盛んに行われる様になる。この頃、金毘羅参りは伊勢神宮へのお陰参りに次ぐ庶民の憧れだったといわれ[6]、その様子は、浮世絵東海道五十三次の一つである「沼津」に描かれた金毘羅参りの後姿や、滑稽本東海道中膝栗毛に書かれた主人公の弥次さんと金毘羅参りの格好をした男との饅頭の食べ比べの話などからも、うかがうことが出来る。

江戸時代末期には「こんぴら船々 追風(おいて)に帆かけて シュラシュシュシュ まわれば 四国は 讃州那珂の郡 象頭山 金毘羅大権現 一度まわれば」との民謡が歌われ始める。

明治以降[編集]

明治元年(1868年)の神仏分離令金刀比羅宮と改称して神道の神社になり、主祭神の名は大物主神と定められ、相殿(あいどの)に崇徳天皇を祀った。9月13日に勅祭神社とされた[7]。象頭山松尾寺金光院は廃されて、祀られていた宥盛は厳魂彦命と名を変え、明治38年(1905年)には現在の奥社へと遷座される。それまで金毘羅大権現の本地仏として祀られていた本尊十一面観音像は信仰の対象から外されたが、社宝として現在も観音堂に納められている。不動明王毘沙門天の2体の脇侍仏は破却の危機に直面したが象頭山松尾寺の末寺である万福院住職宥明によって救い出された。その後、所在は転々としたが、明治15年(1882年)、裸祭で知られる岡山市真言宗寺院、西大寺の住職光阿によって同寺に勧請され、あらためて金毘羅大権現の本地仏として祀られ現在に至る[8]松尾寺は、塔頭であった普門院が再興し、法灯を継承している。

近代社格制度のもと、明治4年(1871年)に国幣小社に列格し、明治18年(1885年)に国幣中社に昇格した。

古くから信仰を集め、こんぴら講に代表される金毘羅信仰を後世に伝えるため、昭和44年(1969年)8月5日、宗教法人金刀比羅本教の設立認可を受け、金刀比羅本教の総本宮となった。総本部は金刀比羅宮の大門近くにある。金刀比羅本教は神社本庁に属さない独立した包括宗教法人であるが、金刀比羅宮自体は神社本庁の被包括法人であり、別表神社に指定されている。

境内[編集]

象頭山の中腹に鎮座し、参道の石段は本宮までは785段、奥社まで登ると1368段にもなる。

本宮[編集]

  • 本殿 - 1878年再建。桧皮葺・大社関棟造り - 大物主神崇徳天皇を祭る。
  • 幣殿 - 桧皮葺・大社関棟造り
  • 拝殿 - 桧皮葺・大社関棟造り
  • 神饌殿 - 入母屋造・檜皮葺
  • 北渡殿
  • 直所
  • 神楽殿
  • 神札授与所
  • 南渡殿
  • 三穂津姫社 - 御別宮。祭神は三穂津姫神。1876年造営。
    • 本殿 - 檜皮葺・王子造
    • 中殿 - 檜皮葺
    • 拝殿 - 檜皮葺・大社関棟造
    • 神饌殿
    • 直所
  • 祓除殿
  • 御炊舎 - 1874年建立
  • 神庫
  • 神輿庫
  • 睦魂神社 - 王子造・銅葺
  • 厳島神社 - 入母屋造平入・檜皮葺
  • 絵馬殿 - 航海の安全を祈願した多くの絵馬が見られ、安全祈願をした漁船タンカーの写真やソユーズに搭乗した秋山豊寛の絵もある。
  • 緑黛殿 - 2004年5月竣工、建物は村野藤吾賞および日本芸術院賞受賞

本宮外[編集]

  • 旭社(重要文化財) - 天保8年(1837年)に建立された銅瓦葺の二層入母屋造の建物で、全体に多くの美しい彫刻がなされている。神仏分離以前の松尾寺の金堂であり、そのあまりの豪華さに江戸時代に参拝した森の石松本堂と誤り、ここへの参拝のみで帰ってしまったと伝えられる。
  • 廻廊 - 旭社の向かい。1854年建立、1901年改築。
  • 大山祇神社
  • 御年神社
  • 大門 - これより内が境内で、有栖川宮熾仁親王筆の「琴平山」の額が掲げられる。門をくぐると特別に境内での営業を許された五人百姓が加美代飴を売っている。
  • 宝物館(登録有形文化財) - 明治38年(1905年)に建てられた石造、二階の宝物館。
  • 高橋由一館 - 近代の洋画家高橋由一個人美術館
  • 御厩
  • 着見櫓
  • 書院
    • 社務所
    • 四脚門(重要文化財)
    • 表書院(重要文化財) - 万治2年(1659年)に建立された書院造りによる建物。内部は圓山應挙伊藤若冲岸岱らによる障壁画で飾られている。
    • 奥書院(重要文化財)
  • 祓戸社
  • 火雷社
  • 賢木門
  • 真須賀神社
  • 事知神社
  • 厳魂神社(いづたまじんじゃ) - 奥社と呼ばれ、1368段の石段を登りきった先に鎮座する。戦国時代の別当である宥盛を明治に入り厳魂彦命として祀った。
    • 本殿 - 檜皮葺・流造
    • 拝殿 - 檜皮葺・入母屋造
    • 御守所
    • 向唐門 - 檜皮葺
    • 威徳巖
  • 常磐神社
  • 白峰神社
    • 本殿 - 流造
    • 拝殿 - 入母屋造
    • 御守所
  • 菅原神社

境外[編集]

門前町の琴平町には多くの土産物屋が並ぶ。参道は江戸時代には金毘羅街道と呼ばれ多くの燈篭が備えられ、丸亀多度津の港は参道口として栄えた。

  • ふもとに駕籠タクシーが営業しており、大門まで有料で参詣客を送迎している。しかし大門から本殿までも相当な階梯であり高齢者や体力に自信のない者は慎重に参拝計画を立てなければ下山時にヘタりこんでしまうことになる。乳幼児連れの場合ベビーカーが利用できる余地はほとんど無いので抱きかかえて参詣する必要がある。門前町の土産物店の店頭では無料での杖の貸し出しがある。
  • 鼓楼(ころう) - 参道途中の大門傍にあり、中にある時太鼓は今も朝夕に打ち鳴らされる。
  • 旧金毘羅大芝居(重要文化財) - 金丸座とも呼ばれ、天保7年(1836年)参道近くに建てられた、現存する日本最古の芝居小屋で、今も毎年春に「四国こんぴら歌舞伎大芝居」として歌舞伎が公演される。
  • 鞘橋(登録有形文化財) - 門前の金倉川に架かる橋。銅葺唐破風の屋根がかかるアーチ式の木造橋で、の様に反った形から鞘橋と呼ばれる。洪水で何度も架け替えられ、現在の橋は明治2年(1869年)に阿波国鞘橋講中により寄進された。例大祭の時のみ用いられる。
  • 高燈篭 - 琴電琴平駅の隣に建つ。
  • 金毘羅講燈篭 - 江戸時代に江戸の商人が寄進した燈篭で、香川県丸亀市の港に一基が現存し、寄進者の名を冠し太助燈篭たすけどうろう)と呼ばれている。
  • 金陵の郷 - 琴平の酒蔵である金陵が参道に面し設けた日本酒の資料館で、江戸時代の酒造りに用いられた道具などを見ることができる。
  • 牛屋口(うしやぐち) - 金刀比羅宮の南の入口。象頭山南側にあり、鳥居や燈篭などがある。土佐・伊予と讃岐をつなぐ主要街道であった金毘羅街道(旧伊予土佐街道)は、幕末には坂本龍馬中岡慎太郎などの脱藩者、また高杉晋作などが、往来する際にこの道を使ったといわれる。そのため、この牛屋口には観光用として設置された坂本龍馬像がある。併設の「峠の茶屋」(藁葺き小屋)は現在使用されていない。また牛屋口付近からは、改修工事のために整備された道路(管理者も駐在し一般者は通行不可)があり、本宮や絵馬殿付近まで続いている。
  • 旧伊予土佐街道(金毘羅街道) - 土佐・伊予と讃岐をつなぐ旧主要街道。(牛屋口~参道間について)金毘羅さんへの街道として、また主要道路であった時期には繁栄しており、多く立てられている石燈篭にも大正末期頃まで明かりが灯っていた。しかし、国道などの他のルートが出来ると共に衰退し、石燈篭の一部を盗まれるなど、荒廃が進み、現在では鳥居や石燈篭を残すのみとなっている。参拝にこの道を使われることは、地元の人が正月にわずかに使用するのみである。この区間の街道途中にある広谷墓所には、代々の別当職が眠る墓が建てられている。

文化財[編集]

重要文化財[編集]

建造物
  • 旭社
  • 四脚門
  • 表書院
  • 奥書院
美術工芸品
  • 絹本著色弁財天十五童子像
  • 紙本著色なよ竹物語絵巻
  • 紙本墨画竹林七賢図 16枚
円山応挙の筆による書院七賢の間の障壁画。
  • 紙本墨画遊虎図 24枚
応挙の筆による書院虎の間の障壁画。日本にはがいなかったため、虎の毛皮を見ながら描いたと伝わる。
  • 紙本墨画遊鶴図 17枚
応挙の筆による書院鶴の間の障壁画。
  • 紙本墨画瀑布及山水図 33枚
応挙の筆による書院鶴の間上段及二の間の障壁画。
  • 木造十一面観音立像
平安時代に作られた檜材の一木造の仏像。旧松尾寺の観音堂の本尊であった。
  • 太刀 銘長光
  • 太刀 銘備州長船(以下不明)明徳(不明)年(不明)月
師光による作と伝わる。
  • 短刀 銘筑州住国弘作
  • 伏見天皇宸翰御歌集

祭事[編集]

三大祭り[編集]

その他の主な祭り[編集]

交通[編集]

鉄道
自動車
境内は許可車両以外の乗り入れできないため、琴平町内の町営駐車場などを利用。

なお、かつては琴平参宮電鉄1963年まで)・琴平急行電鉄1944年まで)といった路線も琴平に発着しており、1930年~1944年には4つの路線がひしめき合っていた。

分社[編集]

正式な分社は6つのみである。

出雲市駅より車で20分
湊川公園駅 徒歩3分
神戸駅 徒歩10分
松山駅より車で15分
名鉄一宮駅下車
鳥羽駅より車で10分(徒歩20分)
水道橋駅下車 徒歩3-5分

脚注[編集]

  1. ^ 明治42年(1909年)象頭山松尾寺は建物・宝物の所有権と返還を求めて金刀比羅宮を相手に訴訟を起こしたが、明治43年(1910年)7月7日高松地方裁判所は原告の請求を棄却する判決を下した。
  2. ^ a b 金刀比羅宮 - 由緒
  3. ^ 新四国曼荼羅霊場ホームページ - 香川部会 - 第16番松尾寺
  4. ^ 象頭山松尾寺の略縁起
  5. ^ 金刀比羅宮 - 崇徳天皇
  6. ^ 金刀比羅宮 - こんぴら狗
  7. ^ 讃岐金刀比羅宮ヲ以勅祭神社ト為ス」、『太政類典』第1編(慶応3年~明治4年)、第122巻、3。
  8. ^ 金毘羅大権現 - 西大寺観音院(岡山県西大寺)

参考文献[編集]

  • 安津素彦・梅田義彦編集兼監修者『神道辞典』神社新報社、1968年、30頁
  • 白井永二・土岐昌訓編集『神社辞典』東京堂出版、1979年、144-146頁
  • 菅田正昭『日本の神社を知る「事典」』日本文芸社、1989年、210頁
  • 上山春平他『日本「神社」総覧』新人物往来社、1992年、250-251頁
  • 『神道の本』学研、1992年、210頁

関連事項[編集]

外部リンク[編集]