東海道中膝栗毛

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弥次さんと喜多さんの像
京都三条大橋

東海道中膝栗毛』(とうかいどうちゅうひざくりげ)は、1802年享和2年)から1814年文化11年)にかけて初刷りされた、十返舎一九滑稽本である。後続の『続膝栗毛』は、1810年(文化7年)から1822年文政5年)にかけて刊行された。大当たりして、今に至るまで読みつがれ、主人公の弥次郎兵衛と喜多八、繋げて『弥次喜多』は、派生する娯楽メディア類に、なお活躍している。

あらすじ[編集]

栗毛」は栗色の馬。「膝栗毛」とは、自分の膝を馬の代わりに使う徒歩旅行の意である。

江戸神田八丁堀の住人栃面屋弥次郎兵衛(とちめんや やじろべえ)と、居候の喜多八(きたはち)が、厄落としにお伊勢参りを思い立ち、東海道江戸から伊勢神宮へ、さらに京都大坂へとめぐる。道中の2人は、狂歌洒落・冗談をかわし合い、いたずらを働き失敗を繰り返し、行く先々で騒ぎを起こす。

登場人物[編集]

弥次郎兵衛(左)喜多八(右)
駿府城・2012年9月)
弥次郎兵衛(やじろべえ)
東海道の旅に出発当時数え歳50歳(満49歳)。屋号は「栃面屋」。肥っていて、作者によると「のらくら者」「ただのおやじ也」という。作中では下俗で軽薄な性格設定がされているが、一方で楽器を演奏し、古今の書籍に通暁し、狂歌や漢詩、また法律文書も自在に作成するなどきわめて教養程度の高い人物として描かれる。駿河国府中(現・静岡市)出身、実家は裕福な商家であったが遊蕩が過ぎて作った借金がもとで江戸に夜逃げし「借金は富士の山ほどある故に、そこで夜逃を駿河者かな」と身の上を詠んでいる。江戸では神田八丁堀の長屋で密陀絵などを製作して生活していたが妻と死別し、つまらぬ身の上に飽き果て旅に出ることを決意する。
喜多八(または北八・きたはち)
出発当時数えで30歳(満29歳)。弥次郎兵衛の居候。元々は弥次郎兵衛の馴染みの陰間であったが、弥次郎兵衛とともに江戸に夜逃げしてくる。ある商家に使用人として奉公するが、使い込みが露見したことと、女主人に言い寄ろうとして不興を買い解雇されて行き場を失い、弥次郎兵衛とともに旅立つ。

経緯[編集]

一九は1795年寛政7年)から、職業作家として多くの黄表紙ほかを出していたが、まだ大ヒットはなかった。この滑稽本の初編は、1802年享和2年)正月に、村田屋治郎兵衛が出版した。一九が、挿絵を描き、版下の清書もするという安直さに、乗ったらしい。

名所・名物紹介に終始していた従来の紀行物と違い、旅先での失敗談や庶民の生活・文化を描いた本書は絶大な人気を博し、翌年に続編を出した。書名はそれぞれ『浮世道中 膝栗毛』『道中膝栗毛 後篇 乾坤』で、『東海道中 膝栗毛』の外題になったのは、つぎの第3編からであった。そして、『東海道中』シリーズは、1809年文化6年)の第8編(大阪見物)で一段落したが、1814年(文化11年)に、旅立ちの発端(はじまり)の編が、追いかけて出された。序編が、最後に書かれたのである。

一九は、頻繁に取材の旅をしたが、京都は未見で、『名所図会』などによったのではと言われる。狂歌が多くはさまれている。狂言浄瑠璃歌舞伎浮世草子落語川柳などに関する彼の素養が、篇中に生かされている。長編としての一貫性がととのっているとは、言い難い。

一九はさらに『続膝栗毛』シリーズを書き、弥次喜多は、金比羅宮嶋木曾善光寺草津温泉中山道へと膝栗毛し、21年後にようやく完結した。さらに日光東照宮に向かう『続々膝栗毛』も書かれたが、こちらは作者の死去により未完に終わった。

出版の経年的なデータを、次節にまとめる。

版元は、第4編まで『通油町 村田屋治郎兵衛』であったが、第5 - 8編には、江戸の『本石町二丁目 西村源六』・『通油町 靏(鶴)屋喜右衛門』と、大阪の『心斎橋唐物町 河内屋太助』も加わり、後発の『発端』のそれは、『馬喰町二丁目角 西村屋與八』であった。『通油町』は、現在の中央区日本橋大伝馬町である。

挿絵は、『発端』の喜多川式麿のほかは、ほとんど一九の自画である。

1809年(文化6年)発行の第8編末の広告に、「版木が減ったので、初編を再板」する旨が、すでに記されている。ヒット作ゆえに、古版木を加工したり、版木を彫りなおしたりの異本は多く、1862年文久2年)の改版が知られ、その後も翻刻が重ねられて来た。

初刷本のデータ[編集]

東海道中膝栗毛[編集]

  • 1802年享和2年):『浮世道中 膝栗毛』(品川 - 箱根)
  • 1803年(享和3年):『道中膝栗毛 後篇 乾坤』(箱根 - 蒲原)(蒲原 - 岡部)
  • 1804年文化元年):『東海道中膝栗毛 三編 上下』(岡部 - 日坂)(日坂 - 新居)
  • 1805年(文化2年):『東海道中膝栗毛 四編 上下』(荒井 - 赤坂)(赤坂 - 桑名)
  • 1806年(文化3年):『東海道中膝栗毛 五編 上 下 追加』(桑名 - 追分)(追分 - 山田)(伊勢めぐり)、(歌川豊国の口絵)
  • 1807年(文化4年):『東海道中膝栗毛 六編 上下』(伏見 - 京都)(京都めぐり)、(歌川豊国の口絵)
  • 1808年(文化5年):『東海道中膝栗毛 七編 上下』(京都めぐり)(京都めぐり)、(勝川春亭の口絵)
  • 1809年(文化6年)『東海道中膝栗毛 八編 上中下』(大阪見物)(大阪見物)(生玉 - 住吉)、(喜多川式麿と北川美丸の口絵、喜多川月麿の挿絵、1葉ずつ、他は自画)
  • 1814年(文化11年):『東海道中膝栗毛 発端』(喜多川式麿画)

続膝栗毛[編集]

  • 1810年(文化7年):『金比羅参詣 続膝栗毛 初編 上下』(月麿・式麿画、自画)、村田屋治郎兵衛
  • 1811年(文化8年):『宮嶋参詣 続膝栗毛 二編 上下』(葛飾北斎口絵、自画)、村田屋治郎兵衛
  • 1812年(文化9年):『木曾街道 続膝栗毛 三編 上下』(月麿・式麿画)、西村屋與八
  • 1813年(文化10年):『木蘇街道 続膝栗毛 四編 上下』(月麿画)、西村屋與八
  • 1814年(文化11年):『木曾街道 続膝栗毛 五編 上下』(月麿・式麿画)、河内屋太助、森屋治兵衛、西村屋與八
  • 1815年(文化12年):『木曾街道 続膝栗毛 六編 上下』(式麿画)、鶴屋金助
  • 1816年(文化13年)
    • 『岐曾続膝栗毛 七編 上下』(二世喜多川歌麿の口絵)、鶴屋金助
    • 『従木曾路善光寺道 続膝栗毛 八編 上下』(二世歌麿の口絵)、鶴屋金助
  • 1819年文政2年):『続膝栗毛 九編 上下』(善光寺道中)(渓斎英泉の口絵)、伊藤與兵衛
  • 1820年(文政3年):『続膝栗毛 十編 上下』(上州草津温泉道中)(勝川春亭の口絵)、伊藤与兵衛
  • 1821年(文政4年):『続膝栗毛 十一編 上下』(中山道中)(春亭の口絵)、伊藤與兵衛
  • 1822年(文政5年):『続膝栗毛 十二編 上中下』(中山道中)(自画)、伊藤與兵衛

最近の出版[編集]

原著[編集]

現代語訳[編集]

  • 村松友視の東海道中膝栗毛:講談社(2001)、 ISBN 9784062545556
  • 谷真介訳:ポプラ社 21世紀によむ日本の古典18 東海道中膝栗毛(2002)、ISBN 9784591071434

膝栗毛物[編集]

『東海道中膝栗毛』からヒントを得た作品に、次などがある。

出典[編集]

ウェブ情報のほか、上記『最近の出版』、『原著』の項の、図書3冊。および、

  • 山崎麓編:日本文学大系25 日本小説書目年表、国民図書 (1929)
  • 田辺聖子:「東海道中膝栗毛」を旅しよう(講談社文庫 古典を歩く)

関連項目[編集]

外部リンク[編集]