金毘羅

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金毘羅(こんぴら)は、水運の神で、天竺霊鷲山の鬼神で、薬師如来十二神将の筆頭である。金比羅禁毘羅とも書く。宮毘羅(くびら)ともいう。梵語ではクンビーラ Kumbhīra。十二神将としては宮比羅大将金毘羅童子ともいう。神仏習合では香川県琴平町の象頭山に鎮座する金毘羅大権現とされ、神仏分離廃仏毀釈が行われる以前は、讃岐国象頭山金毘羅大権現/松尾寺金光院(現在の香川県琴平町の金刀比羅宮)を総本宮とする日本全国の金毘羅宮で祀られていた。

目次

[編集] 由来

ヒンドゥー教ガンジス川の神クンビーラが仏教に取り入れられ宮比羅大将となった。薬師瑠璃光如来本願功徳経の中で、「爾時衆中有十二薬叉大将俱在会坐。所謂宮比羅大将...」と薬師如来十二神将の筆頭に挙げられ、「此十二薬叉大将。一一各有七千薬叉以為眷属。」「若有流布此経或復受持薬師琉璃光如来名号恭敬供養者。我等眷属衛護是人。皆使解脱一切苦難。諸有願求悉令満足。」と説かれる。

宮比羅大将は弥勒菩薩本地仏とする。

なお、クンビーラは同じくヒンドゥー教の神で毘沙門天の前身であるクベーラと名前が似るためよく混同されるが両者は全くの別物である。

[編集] 神仏習合

象頭山松尾寺[1]の縁起によれば、大宝年間に修験道役小角(神変大菩薩)が象頭山に登った際に天竺毘比羅霊鷲山(象頭山)に住する護法善神金毘羅の神験に遭ったのが開山の由来との伝承から、これが金毘羅大権現になったとされる。象頭山金毘羅大権現は、十一面観音菩薩を本地仏とした。

クンビーラ(マカラ)は元来、ガンジス川に棲むを神格化した水神で、日本では型とされる。クンビーラ(マカラ)はガンジス川を司る女神ガンガーヴァーハナ(乗り物)でもあることから、金毘羅大権現は海上交通の守り神として信仰されてきた。特に舟乗りから信仰され、一般に大きな港を見下ろす山の上で金毘羅宮は建てられ、金毘羅大権現は祀られていた。

修験道が盛んになると金毘羅大権現の眷属天狗とされた。

[編集] 崇徳天皇の合祀

長寛元年(1163年崇徳天皇が象頭山金毘羅大権現/松尾寺金光院に参籠した[2]ことから、修験道御霊信仰の影響で永万元年(1165年)から崇徳天皇も象頭山金毘羅大権現/松尾寺金光院に合祀された[3]

[編集] 廃仏毀釈後の金毘羅信仰

明治元年(1868年)3月の神仏分離令によって象頭山金毘羅大権現/松尾寺金光院は廃寺に追い込まれ[4]、当時の国家神道の琴平神社(同年7月に金刀比羅宮と改称)に強制的に改組されて、主祭神の名は大物主神と定められた。また金刀比羅宮の相殿に崇徳天皇を祀っている。

全国の金毘羅宮の多くは、大物主神を主祭神とする神道金刀比羅神社・琴平神社・金比羅神社になっている。

[編集] 金毘羅大権現を祀る寺院

金毘羅大権現は完全には消失しておらず、少数ではあるが廃仏毀釈を免れた真言宗寺院で祀られている。

[編集] 金毘羅参り

江戸時代後期には、象頭山金毘羅大権現/松尾寺金光院に詣でる金毘羅参りが盛んであった。これに伴って四国には、丸亀街道、多度津街道、高松街道、阿波街道、伊予土佐街道の金毘羅五街道が整備された。神仏分離以降は香川県琴平町の金刀比羅宮が全国に約600社あるの金刀比羅神社(ことひらじんじゃ)の総本宮となっている。縁日は毎月10日である。

詳細は「金刀比羅宮」を参照

[編集] 真言

オン クビラヤ ソワカ

[編集] 脚注

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

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