中山神社
| 中山神社 | |
|---|---|
拝殿と本殿 |
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| 所在地 | 岡山県津山市一宮695 |
| 位置 | 北緯35度6分0.61秒 東経133度59分40.76秒 |
| 主祭神 | 鏡作神 天糠戸神 石凝姥神 |
| 社格等 | 式内社(名神大)・美作国一宮・国幣中社・別表神社 |
| 創建 | 慶雲4年(707年) |
| 本殿の様式 | 中山造 |
| 例祭 | 4月29日(御田植祭) |
| 主な神事 | 御注連祭 |
中山神社(なかやまじんじゃ)は、岡山県津山市一宮にある神社である。式内社(名神大社)、美作国一宮で、旧社格は国幣中社。
社名は、現在は「なかやま」と読むが、かつては「ちゅうぜん」「ちゅうざん」と音読みしていた。別名 仲山大明神、南宮。
目次 |
[編集] 祭神
鏡作神を主祭神とし、相殿に天糠戸神(あめのぬかどのかみ)・石凝姥神(いしこりどめのかみ)を祀る。これは『中山神社縁由』に基づくものである。
『延喜式頭注』には大己貴命、『作陽誌』には吉備武彦命、『大日本史』『神祇志料』には吉備津彦命と記されている。他に金山彦命とする説もある。『今昔物語集』や『宇治拾遺物語』では、当社の祭神は猿神であるとされている。
[編集] 歴史
社伝(『中山神社縁由』)では慶雲4年(707年)4月3日の創建としているが、実際には和銅6年(713年)、美作国が備前国から分立した時に吉備中山から勧請を受けて創建されたものとみられる。貞観6年(864年)に官社となった。延喜式神名帳では美作国唯一の名神大社に列し、美作国一宮として崇敬を受けた。
天文2年(1533年)、尼子晴久の美作攻めの際、境内に陣を置く敵を攻略するために火が放たれ、社殿が焼失した。美作平定後の永禄2年(1559年)、晴久自身によって再建された。
明治4年に国幣中社に列格し、第二次大戦後は神社本庁の別表神社となった。
[編集] 建造物
現存の社殿は永禄2年に尼子晴久によって再建されたときのもので、入母屋造妻入の他地方には例を見ない「中山造」と呼ばれる構造となっており、大正3年(1914年)に国の重要文化財に指定されている。境内正面入口の鳥居も「中山鳥居」と呼ばれる独特の構造である。
摂末社はかつては112社あったが、尼子晴久の美作攻略の際に焼失し、現在は5社のみが残る。
[編集] 文化財
- 本殿:国の重要文化財(大正3年(1914年)指定)、中山造、永禄2年(1559年)尼子晴久により建造
- 神門:津山市指定重要文化財(昭和48年(1973年)指定)、津山城二の丸にあった四脚薬医門を明治初頭に移築
- 戦国武将文書:津山市指定重要文化財(昭和50年(1975年)指定)、美作を支配した戦国武将の戦勝祈願・奉納の文書で、尼子晴久判物、毛利元就判物、毛利元就書状、吉川元春外三名連署書状、浦上宗景判物の計5通を津山藩家老長尾勝明が元禄3年(1690年)に一巻にまとめたもの。
[編集] 祭事
12月に行われる御注連祭(おんしめまつり)は、鎌倉時代の蒙古襲来のときに当社を含め各地の社寺で行われた異国降伏祈願に由来するもので、かつては鉾祭・鉾立祭と呼んでいた。
[編集] 交通アクセス
- 津山駅より中鉄北部バス 西田辺方面行、中山神社前下車すぐ(1日2本のみ)
- 津山駅より中鉄北部バス 上横野行・一宮局前行、一宮局前下車、徒歩10分
- 津山駅より中鉄北部バス 東一宮車庫行、一宮小学校前下車、徒歩15分
- 津山駅より中鉄北部バス スポーツセンター行、グリーンヒルズ入口下車、徒歩20分
[編集] 参考文献
- 岡山県高等学校教育研究会社会科部会歴史分科会/編 『新版 岡山県の歴史散歩』 山川出版社 1991年 197-198ページ
- 現地説明板
[編集] 外部リンク
- 中山神社(玄松子)