平野神社

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平野神社
Hirano-jinja (Kyoto, Kyoto) keidai.JPG
右に拝殿(京都府指定文化財)・左奥に本殿(重要文化財
所在地 京都府京都市北区平野宮本町1
位置 北緯35度1分57.39秒
東経135度43分55.00秒
座標: 北緯35度1分57.39秒 東経135度43分55.00秒
主祭神 今木皇大神
久度大神
古開大神
比売大神
社格 式内社名神大4社)
二十二社(上七社)
官幣大社
別表神社
創建 延暦13年(794年
本殿の様式 比翼春日造(平野造)2棟
札所等 神仏霊場巡拝の道94番(京都14番)
例祭 4月2日平野祭
主な神事 桜祭(4月10日
地図
平野神社の位置(京都市内)
平野神社
平野神社
平野神社 (京都市)
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大鳥居

「平野皇大神」の扁額を掲げる。

神紋

平野神社(ひらのじんじゃ)は、京都府京都市北区にある神社式内社名神大社)で、二十二社(上七社)の一社。旧社格官幣大社で、現在は神社本庁別表神社神紋は「」。

概要[編集]

京都市北部、大内裏(平安宮)北方の平野の地に鎮座する。古くは桓武天皇(第50代)の生母・高野新笠の祖廟として平城宮で祀られ、桓武天皇による平安京遷都に伴って大内裏近くに移し祀られたとされる[1]。当社は皇太子守護の性格を持つ神社で[1]平安時代には例祭「平野祭」には皇太子自らによって奉幣が行われた。また、多くの臣籍降下氏族から氏神としても崇敬される神社であった。

現在の本殿は4殿2棟から成るが、「平野造」とも称される独特の形式の造りであり国の重要文化財に指定されている。また境内は桜の名所として知られ、「平野の夜桜」とも称されている。

祭神[編集]

現在の祭神は次の4柱で、一番北の第一殿から順に1殿1柱ずつ祀られている[2]

  • 第一殿:今木皇大神 (いまきのすめおおかみ、今木神)
  • 第二殿:久度大神 (くどのおおかみ、久度神)
  • 第三殿:古開大神 (ふるあきのおおかみ、古開神)
  • 第四殿:比売大神 (ひめのおおかみ、比売神/比咩神)

貞観式』(『本朝月令』所引)[原 1]によれば、平野社の祭神は当初は今木神・久度神・古開神の3柱であり、のちに相殿に比売神が加えられて4柱とされた[3]。また「平野神」の呼称は元々主神の今木神を指すが、祭神4柱の総称でもあった[3]

平野社の祭神は皇太子守護の性格を持ったほか[1]源氏平氏高階氏大江氏のほか中原氏清原氏菅原氏秋篠氏らから氏神として崇敬され、「八姓の祖神」とも称されたという[4]。祭神に関しては古来諸説があり、大別すると桓武天皇の生母・高野新笠の祖神とする説、竈神とする説、今木・久度・古開・比売神をそれぞれ源氏・平氏・高階氏・大江氏の祖神とする説がある[5]。詳しくは「考証」節を参照。

歴史[編集]

創建[編集]

一代要記』によれば、当社の創建は平安京遷都が行われた延暦13年(794年)であるという[3]。元々は桓武天皇の生母・高野新笠の祖神として大和国に祀られていた神々で、天皇による遷都に伴い平安宮近くに移し祀られたことに始まると考えられている[5]

別説として、『諸神記』では創建年代を延暦4年(785年)、『江家次第』では延暦年中とする[6]。公式の文献としては、貞観14年(872年)の太政官符[原 2]では延暦年中の創建の記載が、次いで延暦20年(801年)の官符[原 3]では平野祭の記載があり、延暦頃の創建が確認される[5]。平野社創建以前の各神の経緯については「考証」節を参照。

概史[編集]

国史では、今木神が平城京の田村後宮(田村第[注 1]での祭祀時代に従四位上の神階を奉叙された記事が初見で、以後各神への神階奉叙の記事が散見される[3]。最終的な神階として、貞観5年(863年)に久度・古開神は正三位、比売神は従四位上に昇り、貞観6年(864年)に今木神は正一位の極位に達した[3]。以上の記事のうちでは、平野社を「平野神宮」とする表現[原 4]も見える[2]。また『新抄格勅符抄大同元年(806年)牒[原 5]には「平野 十戸 <山城国>」として、同年における神封の存在が記されている[7]

延長5年(927年)成立の『延喜式神名帳では、山城国葛野郡に「平野祭神四社 並名神大 月次新嘗」として、名神大社に列するとともに月次祭新嘗祭幣帛に預かった旨が記載されている[3]。『二十二社註式』によれば、平安時代中期には二十二社の1つとして上七社の5番目に列している[6]。また当社の例祭である平野祭では皇太子奉幣を受けるという特別な地位にあったほか、当社の臨時祭も勅祭に預かっていた[3]

当社は古くは平氏源氏高階氏清原氏中原氏大江氏菅原氏秋篠氏といった臣籍降下氏族・土師氏系氏族から氏神として崇敬され[3]、平氏とは特に強い結びつきにあったという[4]。その後天元4年(981年[原 6]には円融天皇の行幸があり、以後も天皇の行幸が度々行われた[3]。なおこの円融天皇行幸の記事によると、平野社の神宮寺としては「施無畏寺」があったという[3]

中世以降は荒廃したが[7]近世には社領100石が与えられ、寛永年間(1624年-1644年)に現在の本殿が造営された[3]

明治維新後、明治1871年)5月に近代社格制度において官幣大社に列した[5]。戦後は神社本庁別表神社に列している。

神階[編集]

平野神社各神の神階[8]
今木神 久度神 古開神 合殿比咩神
782年 従四位上
836年 従四位上
→正四位上
従五位下
→従五位上
従五位下
→従五位上
848年 従三位 従五位上
→正五位下
従五位上
→正五位下
無位
→従五位下
851年 正三位
→従二位
正五位上
→従四位下
正五位上
→従四位下
正五位下
859年 正二位 従四位下
→従四位上
従四位下
→従四位上
正五位下
→正五位上
正二位
→従一位
従四位上
→従三位
従四位上
→従三位
正五位下ママ
→従四位下
863年 従三位
→正三位
従三位
→正三位
従四位下
→従四位上
864年 従一位
→正一位

社殿造営[編集]

現在の社殿は「比翼春日造」とも「平野造」とも称される独特の形式であるが、この形式は寛永年間(1624年-1644年)の再建以来である。かつての本殿はこの形式ではなく、中門も現在の4殿共有の状態ではなかったとされている[9]。文書・絵図から推定されるかつての形式は次の通り[9]

平野神社の推定社殿形式[9]
時期 本殿 中門
平安時代末期 
 - 鎌倉時代初期
第一・第二殿連結
第三・第四殿連結
(2殿ずつ2棟)
2棟
- 慶長6年(1601年 第一・第二・第三・第四殿独立
(4棟)
不明
慶長6年(1601年) 
 - 寛永5年(1628年
第一・第二殿連結
第三・第四殿は独立
(3棟)
3棟
寛永5年(1628年)  
- 現在
第一・第二殿連結
第三・第四殿連結
(2殿ずつ2棟)
1棟

境内[編集]

「平野造」の本殿(重要文化財)
(右から)第一殿・第二殿

(右から)第三殿・第四殿

本殿は4殿2棟からなり、江戸時代前期の寛永年間(1624年-1644年)の西洞院時慶による再建になる。春日造檜皮葺の4殿には、それぞれ今木神(第一殿)、久度神(第二殿)、古開神(第三殿)、比売神(第四殿)が祀られている。第一殿と第二殿、第三殿と第四殿はそれぞれ空殿を挟んで連結する形式を採っており、この当社独特の形式は「比翼春日造(ひよくかすがづくり)」または社名から「平野造(ひらのづくり)」と称される。うち第一・第二殿は寛永3年(1626年)、第三・第四殿は寛永9年(1632年)の造営になる。本殿2棟に並んで南側には摂社・縣神社1棟が鎮座しており、これら3棟の社殿は玉垣で囲まれ、祝詞舎・中門を共有する。また、中門の左右には回廊が接続している。これらの社殿のうち、特に本殿2棟は国の重要文化財に指定され、縣神社・中門は京都府の登録文化財に登録されている。[10][3][4][9][6]

中門前に立つ拝殿は、江戸時代前期の慶安3年(1650年)に東福門院(徳川和子)によって寄進されたものといい、「接木の拝殿」の呼称で知られる[5]。方五間で、屋根は檜皮葺。拝殿内部に飾られた「三十六歌仙絵」は、寛文年間(1661年-1672年)に関白・近衛基煕の書、海北友雪の画で作られたものである。この拝殿は京都府指定文化財に指定されている。[2][4][10]

また、南門は慶安4年(1651年)に御所の旧門を下賜されたものという。この門は古くは現在の大鳥居の位置にあったが、昭和18年(1943年)に南門として移築されたといい、京都府指定文化財に指定されている。[10][2]

そのほか、境内に広がる桜苑は花山天皇寛和元年(985年)に手植えして以来桜の名所であり、江戸時代には「平野の夜桜」として知られた[5]。現在も春には桜祭が行われる。

摂末社[編集]

摂社[編集]

縣神社(京都府登録文化財)

  • 縣神社 (あがたじんじゃ、県神社)
    玉垣内の本殿と並び、その南に鎮座する[2]。社殿は寛永8年(1631年)の造営で[4]、京都府登録文化財に登録されている[10]

末社[編集]

  • 八幡神社
  • 4社併祀社
    • 春日神社
    • 住吉神社
    • 蛭子神社
    • 鈿女神社
  • 出世導引稲荷神社
  • 猿田彦神社

祭事[編集]

年間祭事[編集]

  • 歳旦祭 (1月1日)[11]
  • 節分 (2月上旬)
  • 紀元祭 (2月11日)
  • 祈年祭 (2月17日)
  • 例大祭 (4月2日)
  • 桜祭神幸祭 (4月10日)
  • 天長祭 (4月29日)
  • 大祓 (6月30日)
  • 御鎮座記念祭 (9月14日) - 平野での鎮座伝承日。
  • 文化祭 (11月3日)
  • 新穀感謝祭(新嘗祭) (11月23日)
  • 大祓・除夜祭 (12月31日)

平野祭[編集]

桜祭

平野神社の例祭は、古来「平野祭(ひらののまつり)」として知られる。祭は古くは1年に2度、4月と11月の上の申日に行われたといい[12]、『延喜式』[原 15]では小祀とする[12]。祭は皇太子が奉幣する決まりであり[3]、皇太子が諸親王・諸王を率いて参詣して祝詞を奏上、次いで特に久度神・古開神の前に山・海の幸を献じて朝野の守護を祈願したという[12]。その様子は『江家次第』に詳述されている[6]。現在では11月の祭は廃れ、例祭は4月2日の年1回のみ行われている[12]

また寛和元年(985年)4月10日[原 16]には初めて臨時祭が行われたが[6]、この臨時祭も勅祭であった[3]。この祭は現在「桜祭」として伝わっており、祭では平野社の桜にまつわる花山天皇の陵の参詣が行われたのち、神幸祭が行われる[13][6]

文化財[編集]

重要文化財(国指定)[編集]

  • 本殿 2棟(附 棟札2枚)(建造物) - 大正11年4月13日指定[14][15]

京都府指定有形文化財[編集]

  • 平野神社 2棟(建造物) - 平成26年3月24日指定[10]
    • 拝殿
    • 南門

京都府登録文化財[編集]

  • 平野神社 2棟(建造物) - 平成26年3月24日登録[10]
    • 縣社
    • 中門

考証[編集]

前述のように平野社の祭神に関しては古来諸説があり、桓武天皇の生母・高野新笠の祖神とする説、竈神とする説、今木・久度・古開・比売神をそれぞれ源氏・平氏・高階氏・大江氏の祖神とする説等がある[5]。今日の文献では、特に1番目の高野新笠の父方・母方の両祖神とする説が多く取り上げられる[4][3][7][6][5][1]。祭神の経緯を考えると、3番目の氏神説は後世になってからの比定とされる[6]。個々の神々に関する考証は次の通り。

今木神
4柱のうちの主神。国史での初見は延暦元年(782年[原 7]で、当時は平城京の田村後宮(田村第)にあった。平野社の祭神としての初見は承和3年(836年[原 8]
この今木神は上記のように延暦元年当時は平城京にあったが、それ以前の出自については諸説がある。特に知られるのは、神名の「今木」とは「今来」すなわち「新しく来た渡来人」の意味であるとして、大和国高市郡(今来郡)において渡来人によって祀られた渡来神であったとする説である[3][注 2][注 3]。田村後宮における祭祀者は高野新笠と山部親王(桓武天皇)と見られ、高野新笠の父・和乙継の出自である和氏(やまとうじ)の祖神として祀られていたといわれる[3][6]
続日本紀[原 17]ではこの和氏の出自を百済武寧王の子・純陀太子と記すことから、この今木神を特に百済系の渡来神とする説もある[6]。また平安時代末期の『袋草紙』の歌には
白壁の みこのみおやの おほちこそ 平野の神の ひひこなりけれ
(白壁王(光仁天皇)の皇子(桓武天皇)の御母(高野新笠)の祖父(和某)は平野神の曾孫である)

—『袋草紙

とも歌われている[3]。この今木神が平野に祀られるに至った背景として、『愛宕郡某郷計帳』に見える平野居住の渡来人との関係の指摘もある[3]
なお、今日の諸文献では今木神を渡来神と見る説が挙げられるが、平野神社側ではこの説には否定的な見解を示している[2]
久度神
国史での初見は延暦2年(783年)で、「平群郡久度神」とある[6]。平野社の祭神としての初見は承和3年(836年)[原 8]
この久度神は、神名の「くど(竈;かまど)」に見えるように竈の神であるといわれ[4]、『延喜式』[原 18]に見える「竈神」はこの神を指すと見る説もある[3]。高野新笠の母方の土師氏(はじうじ、のち大枝氏/大江氏)によって祀られた祖神であるとも、東アジアに見られる「竈王神」と見て渡来神であるともいわれる[3][6][5]。この久度神は、元々は『延喜式神名帳大和国平群郡の式内社として記載されている久度神社奈良県北葛城郡王寺町位置)の祭神とされる[5]
なお、『延喜式』祝詞[原 19]では今木神と久度・古開神は別祝詞になっていることから、両神は今木神に次いで祀られたと見られている[5]
古開神(古関神)
諸史料では「古関神」とも見えるが、「古開」「古関」のいずれが正しいかは不詳[5]。国史での初見は承和3年(836年)[原 8]
この古開神は平野社関係記事にしか見えない神である[6]。文献では「久度・古開」と一対として扱われていることから、渡来神であり久度神とともに久度神社に祀られたとする説や、久度神と元は同一であったとする説がある[6][5]
比売神(比咩神)
承和3年(836年)の今木・久度・古開神の神階昇叙の記事では見えず、初見は嘉祥元年(848年)まで下る[原 9][6]。史料には「合殿比咩神」と見える。承和10年(843年[原 14]では梅宮大社の酒解子神(梅宮4柱の末神)とともに名神に預かった神として「平野社一前」と見えるが、これは平野社末神の比売神を指すと見て、承和3年から10年頃の合祀とされる[6]
この比売神に関しては、高野新笠の母方の祖神を祀ったとする説や、高野新笠を指すとする説がある[6][5]

現地情報[編集]

所在地

交通アクセス

  • 京都市営バスで「衣笠校前」バス停下車 (下車後北へ徒歩3分)
    • 急行バスの場合は「衣笠校前」を通過するため、「わら天神前」で下車 (下車後南へ徒歩4分)

周辺

脚注[編集]

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注釈

  1. ^ 田村後宮とは平城京にあった田村第を指すとし、左京四条二坊十一坪付近とされる (上田 平野神社)。
  2. ^ 関連して、『延喜式』祝詞 平野祭条(神道・神社史料集成参照)には「今木」から移し祀られたと記されている (平野神社(国史) 1990年)。
  3. ^ ただし今木の「木」は乙類、今来の「来」は甲類であることから、この主張には慎重な見解もある (上田 平野神社)。

原典

  1. ^ 『本朝月令』 4月上申平野祭事(神道・神社史料集成参照)。
  2. ^ 『類聚三代格』1 神社事 貞観14年(872年)12月15日官符(神道・神社史料集成参照)。
  3. ^ 『類聚三代格』1 科祓事 延暦20年(801年)5月14日官符(神道・神社史料集成参照)。
  4. ^ a b c d 『日本文徳天皇実録』仁寿元年(851年)10月乙卯(17日)条(神道・神社史料集成参照)。
  5. ^ 『新抄格勅符抄』10 神事諸家封戸 大同元年(806年)牒。
  6. ^ 『日本紀略』天元4年(981年)2月20日条。
  7. ^ a b 『続日本紀』延暦元年(782年)11月丁酉(19日)条(神道・神社史料集成参照)。
  8. ^ a b c d e 『続日本後紀』承和3年(836年)11月庚午(5日)条(神道・神社史料集成参照)。
  9. ^ a b c d 『続日本後紀』嘉祥元年(848年)7月壬午(25日)条(神道・神社史料集成参照)。
  10. ^ a b c 『日本三代実録』貞観元年(859年)正月27日条(神道・神社史料集成参照)。
  11. ^ a b c 『日本三代実録』貞観元年(859年)7月14日条(神道・神社史料集成参照)。
  12. ^ 『日本三代実録』貞観6年(864年)7月10日条(神道・神社史料集成参照)。
  13. ^ a b 『日本三代実録』貞観5年(863年)5月2日条(神道・神社史料集成参照)。
  14. ^ a b 『続日本後紀』承和10年(843年)10月壬申(17日)条(神道・神社史料集成参照)。
  15. ^ 『延喜式』1 四時祭上 大中小祀条(神道・神社史料集成参照)。
  16. ^ 『日本紀略』寛和元年(985年)4月10日条。
  17. ^ 『続日本紀』延暦8年(789年)12月乙未(28日)条。
  18. ^ 『延喜式』16 陰陽 竈神祭条に「平野竈神」、『延喜式』30 大蔵 忌火条・31 宮内 中宮御贖条に「平野御竃神」(神道・神社史料集成参照)。
  19. ^ 『延喜式』8 祝詞 平野祭条・久度古関条(神道・神社史料集成参照)。

出典

  1. ^ a b c d 平野神社(古代史) 2006年.
  2. ^ a b c d e f 神社由緒書。
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u 平野神社(平) 1979年.
  4. ^ a b c d e f g h 平野祭神四社(式内社) 1979年.
  5. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 平野神社(国史) 1990年.
  6. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r 平野神社(神々) 1986年.
  7. ^ a b c 平野神社(角) 1982年.
  8. ^ 神道・神社史料集成.
  9. ^ a b c d 建部 1979年.
  10. ^ a b c d e f 京都府指定・登録等文化財(京都府教育委員会)。
  11. ^ 年間祭事の記載は祭典の紹介(旧公式サイト)による。
  12. ^ a b c d 平野祭(国史) 1990年.
  13. ^ 祭典の紹介(旧公式サイト)。
  14. ^ 平野神社本殿(京都府生涯学習・スポーツ情報)。
  15. ^ 平野神社本殿(第一殿・第二殿) - 国指定文化財等データベース(文化庁)、平野神社本殿(第三殿・第四殿) - 国指定文化財等データベース(文化庁)。

参考文献・サイト[編集]

神社出版物・現地説明板

  • 神社由緒書「平野神社御由緒」
  • 境内説明板

書籍

サイト

関連文献[編集]

平野神社発行書籍

  • 上田正昭監修『平野神社史』平野神社社務所、1993年。

その他

関連項目[編集]

外部リンク[編集]