柞原八幡宮

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柞原八幡宮
本殿および申殿
本殿および申殿
所在地 大分県大分市大字八幡987
位置 北緯33度14分18.23秒
東経131度33分3.63秒
座標: 北緯33度14分18.23秒 東経131度33分3.63秒
主祭神 仲哀天皇
応神天皇
神功皇后
社格 豊後国一宮
国幣小社
別表神社
創建 (伝)天長7年(830年
本殿の様式 八幡造
例祭 3月15日(初卯祭)
主な神事 夏越祭
武内大神渡御祭
仲秋祭(放生会
地図
柞原八幡宮の位置
柞原八幡宮
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柞原八幡宮(ゆすはらはちまんぐう)は、大分県大分市にある神社豊後国一宮旧社格国幣小社で、現在は神社本庁別表神社

「いすはら」・「ゆすばる」とも読み、由原八幡宮とも表記する。

祭神[編集]

歴史[編集]

鎌倉時代に書かれた社伝には、創建の由来が以下のように記されている。

天長4年(827年)、延暦寺の僧・金亀(こんき)が宇佐八幡に千日間籠り、「天長7年3月3日に八幡神が豊前国に垂迹する」との神託を得た。天長7年7月7日、大分郡賀来郷に白幡が飛び渡った。金亀はこのことを朝廷に奉上し、承和3年(836年)、仁明天皇の命により豊後国司・大江宇久が社殿を造営した。

上記の内容の全てが史実であるかどうかはわからないが、当社が宇佐八幡の豊後国における分祀であるのは間違いなく、宇佐八幡の別宮の一つとして崇敬を受けた。長徳4年(998年)からは宇佐八幡と同様に33年ごとの社殿の造営(式年遷宮)が行われるようになった。

金亀の法統を継ぐ者は宮師(みやし)と呼ばれ、当社の実質的な支配者であった。国府に近いことから特に国司の崇敬を受けた。

中世以降は大友氏ほか歴代の領主の崇敬を受けた。また、豊後国一宮を称するようになり、それ以前から一宮を称していた西寒多神社との間で近世まで論争があった。当社を一宮と称した最初のものは、嘉応3年(1171年)3月の『宮師僧定清(じょうせい)解』にある、「右、大菩薩は、是れ日本鎮守、百王守護の神霊なり、(中略)豊州の中心に垂迹して、当国の一の宮となる」というものである。

戦国時代には領主・大友義鎮(宗麟)がキリスト教を信仰したことから排撃を受けたが、江戸時代には歴代府内藩主の厚い保護を受けた。

境内[編集]

大分市街地西方の二葉山(八幡柞原山とも)山麓に鎮座する。

境内10棟が2011年、国の重要文化財に指定された。

文化財[編集]

重要文化財(国指定)[編集]

  • 本殿
  • 申殿(もうしでん)
  • 拝殿
  • 楼門
  • 東宝殿
  • 西宝殿
  • 東回廊
  • 西回廊
  • 西門
  • 南大門
  • 銅造如来立像(重文指定名称は「銅造仏像」)
  • 太刀(銘 源国:以下1字並びに年号不明)
  • 太刀(銘 国宗)
  • 薙刀直シ刀(銘 国重八幡大菩薩天満大自在天神)
  • 白檀塗浅葱糸威腹巻(びゃくだんぬりあさぎいとおどしはらまき)兜・大袖・小具足付
  • 柞原八幡宮文書 17巻(216通)

天然記念物(国指定)[編集]

大分県指定有形文化財[編集]

  • 柞原八幡宮絵図
  • 八幡宇佐宮御託宣集(附 裏書)
  • 木造不動明王立像
  • 木造女神形坐像
  • 木造菩薩形坐像
  • 木造祖師形坐像
  • 板彫多聞天立像
  • 板彫不動明王立像
  • 紙本著色由原八幡宮縁起絵巻(附 極書二通)
  • 紺紙金泥増壱阿含経
  • 山水蒔絵縁起絵巻納箱

現地情報[編集]

所在地
交通アクセス
  • 最寄駅:JR九州日豊本線 西大分駅から
    • 徒歩:約60分
    • バス:大分交通バス(柞原行き)で、「柞原」バス停(終点)下車 (乗車時間約10分、下車後徒歩約5分)
  • JR九州日豊本線ほか 大分駅から
    • バス:大分交通バス(柞原行き)で、「柞原」バス停(終点)下車 (乗車時間約35分、下車後徒歩約5分)

参考文献[編集]

  • 安津素彦・梅田義彦編集兼監修者『神道辞典』神社新報社、1968年、64頁
  • 白井永二・土岐昌訓編集『神社辞典』東京堂出版、1979年、348頁
  • 全国一の宮会 編 公式ガイドブック『全国一の宮めぐり』 全国一の宮会 2008年12月

関連項目[編集]

外部リンク[編集]