足利義持

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足利義持
足利義持肖像
時代 室町時代
生誕 南朝元中3年/北朝至徳3年2月12日
ユリウス暦1386年3月12日
死没 応永35年1月18日(ユリウス暦1428年2月3日
戒名 勝定院殿顕山道詮大禅門
墓所 相国寺勝定院
官位 正五位下左近衛中将征夷大将軍
従四位下美作権守、正四位下参議
従三位権中納言
正三位
従二位権大納言
正二位
従一位右近衛大将右馬寮御監
内大臣淳和奨学院両院別当
太政大臣
幕府 室町幕府征夷大将軍(在位1394年 - 1422年)
氏族 清和源氏足利氏
父母 父:足利義満、母:安芸法眼の娘藤原慶子
兄弟 足利義教足利義嗣大覚寺義昭ほか
正室:日野資康の娘日野栄子
義量

足利 義持(あしかが よしもち)は室町幕府4代将軍である。本姓源氏家系清和源氏の一家系 河内源氏棟梁 鎮守府将軍八幡太郎源義家の子 義国を祖とする足利氏嫡流 足利将軍家。父は足利義満、母は安芸法眼の娘藤原慶子(ふじわらのよしこ)。兄弟に足利義教足利義嗣ほか。正室は日野資康の娘日野栄子。子は足利義量

目次

[編集] 生涯

義満との父子関係は険悪であったとされ、1394年応永元年)に9歳で義満より将軍職を譲られるが、太政大臣となった義満の在世中は実権がなかった。幕府の評定も義満の居住する北山第で開催されて義持が参画する事はなかった。1406年(応永13年)には側近の山科兄弟の事で叱責された記録が残っており、1408年(応永15年)、義満死去直前に後小松天皇が「北山第」に御成した際も、義満が寵愛した異母弟の義嗣は天皇に謁見したが、義持自身は京都警備番をさせられる等、偏愛にも苦しんでいたようである。

1408年(応永15年)の義満死後は一時的に花の御所(室町第、京都市上京区)に住むが、翌年には2代将軍足利義詮の住んでいた三条坊門邸(京都市中京区)へ移っている。また、義満が造成した政務中枢「北山第」は鹿苑寺(金閣)をのぞいて全て取り壊した。政治は、管領を務め宿老として影響力を持っていた斯波義将らに補佐され、幕政を守旧的なものに改める。これによって一度は失われた室町幕府の「武家政権」色を復活させようとしたと言われている。義満が庇護していた世阿弥を遠ざけ(ただし、これは義持個人の趣味の問題とする説もある)、朝廷からの父義満に対する太上天皇の追号を辞退し、1411年(応永18年)には朝貢形式に対して反発の声もあった日明貿易(勘合貿易)を取り止めるなどした。

1410年(応永17年)には南朝最後の天皇だった後亀山上皇吉野へ出奔。(1416年に帰京)1414年(応永21年)にこれに呼応した北畠満雅が1412年(応永19年)の称光天皇即位を不服とし、両統迭立の約束を守る事を要求する為に反乱を起こしたが、まもなく和解した。同年には斯波義将の嫡子、斯波義重が義持の不興を買い、高野山に隠退した事件も起こっている。1416年(応永23)には関東地方上杉禅秀の乱が起こり、これに関与していた弟の義嗣を相国寺等に幽閉、2年後の1418年(応永25年)に殺害している。更にその過程で義持側近の富樫満成細川満元や斯波義重が義嗣に加担していたと告発、一説にはこの告発は義持の意向を受けたもので、これを機に一気に有力守護の発言力を削いで義持主導の幕政を確立を目指したものともいわれているが、逆に細川らの逆告発によって最終的には富樫が追放されるという事件が起こっている。これら一連の事件を処理した後の1423年(応永30年)に子の義量に将軍職を譲り、翌年6月に等持院で出家(実権は握り続けた)し、寺社参詣などを行いはじめるが、息子義量は1425年に早世する。応永34年11月(1427年)には赤松義則死後の赤松氏の相続の際、所領を近習赤松持貞に預けようとすると、赤松満祐が京を出奔して領国の播磨国へ下国する事件なども起こっている。

応永35年1月(1428年)、浴室で尻の傷を掻きむしって感染症にかかり、重態に陥った。群臣が後継者を定めるように懇願するが、義持は拒否し、群臣達が評議して定めるよう命じた。評議の結果、義持の弟4人から一人を籤引きで定めることが決まり、義持もこれを了承した。1月18日、義持は死去した。享年43。義持の死後、籤によって将軍職は義教が継ぐことになる。

[編集] 評価

義持の治世は懐良親王が制圧していた九州を有力大名の大友氏大内氏菊池氏が引き継いで統治していたり、関東地方鎌倉公方は半独立国状態となるなど、不安定要素はいくつも存在したが、政治的には小康状態が続き、室町時代の中では比較的安定した時代であった。

義持は父・義満とは不仲であったといわれたが、実際の基本政策では義満の路線を踏襲した政治を行っていた。だが、義持自身が斯波義将ら有力守護に推されて政権を獲得し、有力守護に対抗するために形成した側近集団の富樫満成や赤松持貞が有力守護たちによって逆に失脚させられるなど、義満のような絶対的な将軍権威を確立する事は遂に成功しなかった。

[編集] 官職位階履歴

※日付=旧暦

法号:勝定院殿顕山道詮大禅門

肖像画:京都市右京区神護寺所蔵

[編集] 義持の偏諱を受けた人物

[編集] 登場作品

小説
  • 山田風太郎『室町の大予言』(文藝春秋/文春文庫『室町少年倶楽部』収録、1995年)
  • 鯨統一郎『とんち探偵一休さん 金閣寺に密室』(祥伝社、2000年)
漫画


先代:
足利義満
足利宗家(足利将軍家)
1394年 - 1422年
次代:
足利義量