神泉苑
| 神泉苑 | |
|---|---|
法成就池 |
|
| 所在地 | 京都府京都市中京区御池通神泉苑町東入ル門前町166 |
| 位置 | 北緯35度0分40.97秒 東経135度44分54.14秒 |
| 宗派 | 東寺真言宗 |
| 本尊 | 聖観音 |
| 創建年 | 天長元年(824年) |
| 開基 | 空海 |
| 別称 | ひでんさん |
| 札所等 | 通称寺の会 |
| 文化財 | 木造不動明王坐像(重要文化財) 史跡 |
神泉苑(しんせんえん)は、京都市中京区にある東寺真言宗の寺院。本尊は聖観音・不動明王・弘法大師。二条城の南に位置し、元は平安京大内裏に接して造営された禁苑(天皇のための庭園)であった。境内に「大歳神:歳徳神(さいとくじん)」を祀るが毎年大晦日の晩に恵方に祠の向きを変える点が他の神社仏閣と異なる(日本国内で毎年向きを変える「大歳神」は唯一ここだけに見られる祀り方であると伝えられる)。
目次 |
歴史[編集]
延暦13年(794年)の平安京遷都とほぼ同時期に、当時の大内裏の南に接する地に造営された禁苑であった。当初の敷地は二条通りから三条通りまで、南北約500メートル、東西約240メートルに及び、池を中心とした大庭園であった。
史料に初めてその名が見られるのは「日本紀略」の記事であり、延暦19年(800年)7月19日(旧暦)、桓武天皇が行幸したという内容である。延暦21年(802年)には雅宴が催されたとあり、この頃から神泉苑は天皇や廷臣の宴遊の場となったとみられる。
神泉苑には竜神(善女竜王)が住むといわれ、天長元年(824年)に西寺の守敏と東寺の空海が祈雨の法を競い、空海が勝ったことから以後東寺の支配下に入るようになったという。
貞観5年(863年)に都に疫病が流行り、神泉苑で御霊会が行われた。貞観11年(869)には神泉苑の南端(現在の八坂神社三条御供社の位置)に66本の鉾を立てて祇園社から神輿を出し、現在の祇園祭の元になったと言われている。
中世以降は荒廃し、慶長8年(1603年)、徳川家康が二条城を造営した際には神泉苑の敷地の大部分が城内に取り込まれて著しく規模を縮小した。
1783年(天明8年)の天明の大火で、堂塔社殿を焼失した。
伝承では源義経と静御前が出会った場と言われ、京都市の東西に伸びる通りの一つ「御池通」の名前の由来であるとの説もある(異説あり)。二条城の南(押小路堀川東入ル)には昔の神泉苑の東端を示す石碑がある。これは京都市営地下鉄東西線に関わる工事の際に判明したものである。
京都新聞は戦時中、1面コラムの名前を「神泉」としていた。おそらく神泉苑に由来すると思われる。
境内[編集]
- 本堂
- 方丈
- 善女竜王社
- 恵方社
- 弁天堂
- 鎮守稲荷社
- 鐘楼
- 法成就池、法成橋
- 平安殿
文化財[編集]
年中行事[編集]
- 2月2日に星祭り、3日に節分祭が行われる。
- 5月3日に神泉苑祭が行われる。前後して5月1日から5月4日にかけて、苑内の狂言堂で大念仏狂言が催される。京都では、壬生寺、清凉寺、引接寺(千本閻魔堂)と並ぶ念仏狂言の寺である。
- 7月24日の祇園祭・還幸祭では夕方18時30分頃に中御座の御神輿が渡御し迎え太鼓が奉納される。
※現在の狂言堂のある場所は昭和中期まで「神泉幼稚園」として幼稚園の教室があったが都市中心部の子供の減少に伴い廃園となった。
アクセス[編集]
- JR西日本山陰本線(嵯峨野線)・京都市営地下鉄東西線二条駅より東へ徒歩で約10分
- 京都市営地下鉄東西線二条城前駅下車、西へ徒歩で約2分
- 阪急電鉄京都線大宮駅、又は京福電気鉄道嵐山本線四条大宮駅から北へ徒歩で約10分
外部サイト[編集]
- 神泉苑の公式ホームページ
- 祇園神泉苑平八 - 神泉苑境内にある料亭