飛騨国

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飛騨地方のデータ
日本
地方 中部地方
東海地方
面積 4,179.27km²
総人口 166,312
2005年平成17年)3月31日
位置
-飛騨国
-東山道

飛騨国(ひだのくに、正字: 飛驒國)は、かつて日本の地方行政区分だったの一つ。東山道に位置する。別称は飛州(ひしゅう)。領域は現在の岐阜県北部にあたる。『延喜式』での格は下国中国

目次

[編集] 概要

「飛騨」は飛騨山脈の北側一体を示す言葉で、現在は岐阜県北部に位置する 現在、名前を受け継ぐ飛騨市は北端の市町村だが、規模は飛騨地方中央の高山市の方が大きい。 混同をさけるためにも高山市は飛騨高山などと呼ばれることが多い。

山地が多く交通の便が悪いため、距離的に近い越中など日本海側との結びつきが伝統的に強い傾向がある。

[編集] 「飛騨」の名称と表記

古くは「斐太」や「斐陀」と書いた。この表記は現存しており「斐太高校」などに見られる。

続日本紀』に文武天皇の大宝2年(702年)夏4月8日、飛騨国が神馬を献じた記録があり、『万葉集』巻16には「ぬばたまの 斐太(ひだ)の大黒(おほぐろ) 見るごとに 巨勢(こせ)の小黒(をぐろ)し 思ほゆるかも」(3844)とある。この神馬(大黒)を瑞祥とし、天下に大赦を行った。これ以降「飛驒(飛騨)」と表記されるようになった。

[編集] 沿革

[編集] 律令時代

7世紀斐陀国造領域を中心にして成立した。飛驒は当時辺境地帯を除けば最も過疎地域であったため税制上の特例が認められた。すなわち、調を免除されるかわり大工(飛騨工)が徴発された。これは後世大工業が発達する一因ともなる。

[編集] 室町時代

京極氏が代々飛騨守護を勤め、京極の領国であったが、後に守護代の三木氏が台頭する。

[編集] 戦国時代から江戸時代まで

戦国時代には、姉小路氏に改称した三木氏が支配していた。本能寺の変以後は、金森長近羽柴秀吉と対立した姉小路頼綱を攻め、高山城を本拠地とした。

江戸時代になると、当初は高山藩が置かれていたが、後に天領となり高山代官所1777年飛騨郡代に昇格)が飛騨国を治める事となる。この時代には、飛騨国は林業地帯として発展し、「飛驒の匠」と呼ばれる大工を多く輩出した。以来、飛騨地方には、家具などの木工産業が多く立地している。

[編集] 明治時代以後

明治維新期には天領があるいはという行政単位となり、飛騨国は明治元年5月1868年)に飛騨県、続く6月にわずか1週間で高山県となった。明治2年(1869年)に、県知事梅村速水の急激な改革に対しての暴動(梅村騒動)が発生する。廃藩置県後の明治4年(1871年)に行われた府県合併により、近隣の県とともに筑摩県の一部となった。1876年(明治9年)に筑摩県が廃止されて以降は(当初旧美濃国のみで構成されていた)岐阜県に編入され、現在に至っている。

明治時代には、国家的な重要産業であった製糸業を担う労働力として、飛騨地方の村落から、山道を通って諏訪湖周辺に多くの女性が流出した(あゝ野麦峠)。

[編集] 国内の施設

[編集] 国府

国府は『和名抄』によると大野郡にあった。『拾芥抄』では、「大原(大野郡のこと)、府」とある。 現在の高山市国府町にあったと考えられているが、未だ発見されていない。

[編集] 国分寺・国分尼寺

[編集] 神社

延喜式内社
延喜式神名帳』には、以下に示す小社8座8社が記載されている。大社はない。
総社一宮

[編集] 地域

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[編集] 江戸時代の藩

飛騨国の藩の一覧
藩名 居城 藩主
飛騨高山藩 高山城

[編集] 人物

[編集] 国司

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[編集] 飛騨守

[編集] 守護

[編集] 鎌倉幕府

不明

[編集] 室町幕府

[編集] 戦国時代

[編集] 戦国大名

[編集] 豊臣政権の大名

  • 金森長近高山3万3千石、1585年 - 1600年(関ヶ原合戦後、美濃上有知2万石を加増)

[編集] 地理

山国なので、気候は飛騨地方全域内陸性気候を呈しており、それに併せて大部分は日本海側気候、一部地域は中央高地式気候、地域によっては豪雪地帯(一部特別豪雪地帯)で冬季雪が多い。また、スーパーカミオカンデを抱える地方でもある。

[編集] 現在の交通網

鉄道
道路

[編集] 関連項目

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