林業

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伐採した木をハーベスターで処理する様子

林業(りんぎょう、英語: forestry)とは、森林に入り、主として樹木を伐採することにより木材を生産する産業第一次産業の一つ。

世界農林業センサスの定義によると、林業事業体のうち、1ha以上を所有する世帯を林家(りんか)と呼ぶ。日本の場合、林家以外の林業事業体として、会社、社寺、共同、各種団体・組合、財産区、慣行共有、市区町村、地方公共団体の組合、都道府県、国及び特殊法人がある。林業事業体が必ずしも施業を行っているとは限らない(森林組合に作業を委託するなど)。

森林による生産物は木材のほか、木炭椎茸などの特用林産物なども含む。また、その産業活動に付随して、森林資源を育成したり、森林の持つ公益的機能を保持する役割も担っている。

歴史[編集]

古くから人間は林産資源や動物資源を求めて森林を利用してきたが、継続的に管理し利用するようになったのは12世紀頃からであると考えられている。

日本の林業史[編集]

日本では古代から木造建築をはじめ日用品の隅々に到るまで木製品が使われており、必要な用材を確保するため林業は古くから行われていたと考えられているが、中世には寺社造営などに際して木材伐採を命じた文書が存在し、当該期には確実に山林資源の管理が行われていたと考えられている。

戦国期には戦国大名の大名領国の成立に伴い材木伐採や林産資源の採取、炭焼きの採取、鉱山経営、狩猟など山における諸職人が領主権力に掌握され組織化し、戦国大名の本拠では居館を中心に城下町が形成され、城郭の普請や寺社の造営などこの時期には木材需要が増加し、山の民は領主権力から用益権を保証され、領主の必要とする資源や技術を提供した。なお、材木伐採や製材に関わる職人の呼称は「山造」など地域によって様々なものがある。

現在の鳥取県八頭郡智頭町には慶長年間(1596年〜1615年)に造林されたというスギ人工林が存在する。

江戸時代に入ると、江戸幕府によって御林が設定された。御林は明治維新後に新政府に引き継がれ、現在の国有林の原型となった。

戦時中には乱伐により山林が荒廃し、戦後は復旧造林が行われた。昭和30年代には高度経済成長に伴い林業が振興され、燃料消費構造の変革により利用価値の小さくなった薪炭林や老齢過熟の天然林が生産性の高いスギヒノキなどの人工林に転換される拡大造林や、奥地林の開発が行われた。1956年昭和31年)には森林開発公団が発足し、1964年(昭和39年)には林業生産の増大を定めた森林・林業基本法が制定されている。

また、チェーンソーや集運材機など高性能な林業機械、林地除草剤の普及による技術革新伐採集材、地ごしらえや下草刈りなどの省力化が図られ素材生産量は飛躍的に増大し、優良樹を選別して育成する品種改良も行われた。1950年代には燃料消費の変化で木炭消費量が減少し、原木から製炭を行う山村の過疎化を招いたが、一方で同じ原木から生産するきのこ栽培が普及した。

外材の輸入はそれまで国産材の不足分を補うための位置づけであったが、昭和40年代には石油に次ぐ輸入量となり、安い外材の増加による木材価格の低迷に加え、山村の過疎・高齢化、労賃の高騰などの影響を受け、日本の林業は打撃を受けた。

一方で昭和40年代には都市環境の過密化や公害問題の発生から森林の公益的機能への関心が高まり、環境保全運動が流行した。昭和40年代後半には土地ブームでゴルフ場開発なども多発し、自然保護団体の反対運動なども行われた。

日本の林業[編集]

林業で行われる森林の育成や管理は施業(せぎょう)とよばれ、経営と森林に対する行為とが一体のものとして扱われる。これは、森林に対する伐採や植栽などの行為を、いつ、どれだけ、どのように行うかにより、将来収穫される木材の量や質(=収入)が決定されることに由来する。

日本は一人当たりの森林蓄積量が世界平均の約9分の1である。日本の林業は国際競争の激化による木材価格の低下から競争力を失い、森林の手入れも充分ではなくなっているために、森林の保全が叫ばれている。日本森林の荒廃は、水源涵養機能や表面侵食防止機能などの公益的機能を低下させ、その損害は周辺の住民全体が被ることになる。

生産性[編集]

日本の木材自給率は27.8%(2009年)と、他国比では非常に低い。主因は主要生産国比の森林生産性が低いことである。ただし、環境規制の強化や需給逼迫により国際的な木材価格は高騰しており、日本の林業生産性は相対的に上昇しつつあるといえる。

林業労働力[編集]

総務省国勢調査によれば、1960年には約44万人存在した林業労働者は、2005年には約5万人規模となっている。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]