過疎

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過疎(かそ)とは、人口が急激かつ大幅に減少したため、地域社会の機能が低下し、住民が一定の生活水準を維持することが困難になった状態をいう。

単に人口(密度)が極度に少ない(低い)状態をいう場合もあるが、これは正しい使い方ではない(後述)。対義語は過密

特に政令指定都市県庁所在地から距離の離れ、かつ交通の便に劣る村落離島などのへき地において過疎が発生しやすい。

過疎と言う語源は島根県益田市匹見町(旧:美濃郡匹見町)の大谷武嘉町長が昭和40年代に国会にて、過疎と言う言葉を使用し津々浦々と切実に町の現状を訴えたのが始まり。昭和38年の豪雪で匹見町では最大で4.4m以上の積雪、7月まで雪が残り、孤立した集落が1ヶ月以上の音信不通となった事を教訓に、世策として昭和45年には広見集落・虫ヶ谷集落・小平集落が昭和50年には赤谷集落が町の指示で集落事に積極的移転し消滅した集落は多く、昭和初期の段階で消滅している集落も多い。現在も消滅集落は増え、燃料革命が起こった昭和40年代には、たった3年で集落の人口が半減する事態もたた起こった。(昭和30~40年代:10年間の町人口:7550人→3800人→現在1300人)この事があいなって産業が衰退し皮肉にも清流・高津川の水質が日本一となった。

人口が減少して過疎の状態になりつつある状態、あるいは過疎がさらに進行する状態を過疎化(かそか)という。過疎化が進行し、地域社会(コミュニティ)としての機能を失った集落を限界集落と呼ぶこともある。これは、大野晃が「『過疎化』では集落の深刻な現状を表現するのに不十分である」と考え、考案した用語である。

現象[編集]

過疎は、政令指定都市・県庁所在地を中心とした都市部への人口移動や、少子高齢化などが原因となって起こる。過疎化が進行すると、生活道路農業用水など地域資本の管理、農業植え・刈りなど)や茅葺き屋根の葺き替え時の助け合いといった互助機能、冠婚葬祭や消防団など地域社会の機能を維持することが困難になるとともに、利用者減少と自家用自動車利用の増加による公共交通網の崩壊(鉄道路線バス廃線・撤退や大幅な減便など)、商店街の衰退、医療機関の機能縮小、学校廃校などといった社会資本(インフラ)の喪失が同時に進行する。

また、地方自治体(市町村)の地方税税収が落ち込み、独自財源を失うことによる財政規模の縮減や財政再建団体への転落、これに伴う住民の負担増がますます深刻化し、十分な行政サービスを提供できなくなる、地域産業の衰退を招くことで過疎化に拍車がかかるなどの問題を引き起こす。この上に、民間事業者が撤退した路線バスを引き継ぐ廃止代替バスの運行や公営診療所の維持といった新たな行政負担も発生することになる。特に過疎地域における医療サービスの確保は深刻な課題となっている。

日本の過疎[編集]

背景[編集]

日本では、明治以降続く中央集権政策で、政治経済・文化が首都たる東京都区部道府県庁所在地といった都市部への一極集中が進行し、首都偏重の発展が続いた。

1960年代の高度経済成長期には、急速な工業化に伴って、農村から都会、特に太平洋ベルト地帯への労働力としての人口移動が起こり、工業基盤を持たない地域は労働力の供給基地となり、過疎化が見られるようになった。また、炭鉱の閉山、山間部におけるダム建設に伴う挙家離村といった要因で過疎化が起きる場合もあった。

その後、日本の産業は第二次産業中心からサービス業など第三次産業中心へと移行したものの、政治・経済の中央集権的傾向も改められずに人口の偏りは続き、中央政府が景気対策として実施した公共事業により地域産業の中央依存傾向が強まることで、地域の自立性が失われていった。過疎地域の市町村が求めた高速道路などの交通網の整備は「利便性の向上により、都市部への人口流失に拍車がかかる」という循環を生じさせている(ストロー効果を参照)。

さらに、1990年代以降はバブル景気崩壊の余波を被り、その後の景気回復は立ち遅れ、ますます過疎地域の拡大を招くこととなった。特に核となる基幹工業に乏しく、農林業、鉱業、零細漁業に依存していた中山間地区、半島などで顕著であり、北海道、秋田県、島根県、高知県、長崎県などは人口減が著しく、近年は首都圏など一部都市圏を除いてほぼ全国的に過疎化が進行している。

また、1999年頃からの平成の大合併により、周辺部の過疎化の一層の進行や行政サービスの低下が懸念されているが、 一方で、人口の拡大期に人為的に拡大された居住区域からの人間の撤退=自然の回復という側面もあり、またコンパクトで効率的な都市部に人口を集中させることによって社会の持続性が保たれると考えて過疎を肯定的に捉える考え方もある[要出典]

一般的な定義[編集]

「過疎」という語は、1966年に経済審議会の地域部会中間報告で初めて公式に登場した。翌年まとめられた同部会の報告は次のように述べている。

「人口減少地域における問題を『過密問題』に対する意味で『過疎問題』と呼び、過疎を人口減少のために一定の生活水準を維持することが困難になった状態、たとえば防災、教育、保健などの地域社会の基礎的条件の維持が困難になり、それとともに資源の合理的利用が困難となって地域の生産機能が著しく低下することと理解すれば、人口減少の結果、人口密度が低下し、年齢構成の老齢化が進み、従来の生活パターンの維持が困難となりつつある地域では、過疎問題が生じ、また生じつつあると思われる。」

近年においても、交通機関の発達によって都市部への移動が容易になったことや、青年の農業離れ・漁業離れ、工場の海外移転などによる産業の空洞化、経済の東京一極集中の加速などによって、全国各地で過疎が進行している。

特に離島などの地域では、所得の大半を農業漁業に依存する構造となっており、過疎問題が深刻化している。

過疎対策関連法[編集]

過疎対策関連法として以下の法律が規定されている。

過疎地域自立促進特別措置法により「過疎地域」が規定された。

関連項目[編集]

地理的関連、発生する現象と問題
社会対応等の関連
関連学問
言葉としての関連


外部リンク[編集]