土佐国
| 土佐国 | |
|---|---|
■-土佐国 ■-南海道 |
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| 別称 | 土州(どしゅう) |
| 所属 | 南海道 |
| 相当領域 | 高知県 |
| 諸元 | |
| 国力 | 中国 |
| 距離 | 遠国 |
| 郡・郷数 | 7郡43郷 |
| 国内主要施設 | |
| 土佐国府 | (推定)高知県南国市(土佐国衙跡) |
| 土佐国分寺 | 高知県南国市(土佐国分寺跡) |
| 土佐国分尼寺 | (未詳) |
| 一宮 | 土佐神社(高知県高知市) |
土佐国(とさのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。南海道に属する。
目次 |
「土佐」の名称[編集]
古くは「都佐」と書かれた。また、平安時代までしばしば「土左」とも書かれた。
沿革[編集]
歴史[編集]
「土佐」(土左)の記述は『日本書紀』に見え、天武4年3月(675年)の条項に「土左大神以神刀一口、進于天皇」とある。また天武13年(684年)には「土左国田苑五十余万頃、没為海」、「土左国司言、大潮高騰、海水飄蕩、由是運調船多放失焉」と白鳳地震における地変や津波により調を運ぶ船が流失したことを国司が報告する記事があり、律令制が敷かれ国司が派遣されていたことを示すものである[1]。
古くは流刑地の一つであった。『日本書紀』の天武5年9月(676年)の条項に「筑紫大宰三位屋垣王、有罪、流于土左」と見える。平安時代末期、源義朝の五男で頼朝の同母弟 希義が流されて、兄の挙兵の折に自らも立ち、鎮圧されている。またこの他にも紀夏井や藤原師長、土御門天皇、尊良親王が流人として土佐の土を踏んでいる。鎌倉時代に入ると摂関家一条家が幡多郡に幡多荘を置き、戦国時代まで同家の支配が続くことになる。
室町時代は細川氏が守護を務め、後には室町幕府管領を輩出した京兆家の当主が守護を兼ねる国となったが、戦国期には土佐七雄(土佐七豪族とも)である本山氏や安芸氏、一条氏、吉良氏、津野氏、長宗我部氏、香宗我部氏などの勢力が拮抗したが、長宗我部元親が土佐を統一し、やがて四国の大半を支配下に治める。その後、長宗我部氏は豊臣秀吉の四国征伐によって土佐一国のみを安堵される。
元親の四男盛親は関ヶ原の戦いで西軍に与したことから改易され、山内一豊の入部以降、江戸時代を通じて山内氏が土佐一国を支配した。主に在地武士は郷士として遇されたものの、旧来の山内家臣で構成される上士階級との対立が長く続き、この構造は明治維新までしこりを残した。幕末期には、四賢侯の一人と賞された藩主山内容堂をはじめ、土佐勤王党で知られる武市半平太や坂本龍馬、中岡慎太郎、望月亀弥太、岡田以蔵等の志士を輩出している。明治後、高知県となった。
国内の施設[編集]
国府[編集]
長岡郡に所在した。現在の南国市比江で遺跡が発掘されている。紀貫之が国司を勤め、『土佐日記』において在任期間の事柄が記されている。
土佐国府については、1977年(昭和52年)~1990年(平成2年)間に、計25次の発掘調査が行われたが、まだ国府中心部の様相や全体的な官衙配置を確定するまでには至っていない。南国市比江付近にあったことは間違いないと見られている。
国分寺・国分尼寺[編集]
- 元々の国分寺は、現在四国八十八カ所第29番霊場になっている国分寺(真言宗智山派)と同じ場所にあった。東大寺式伽藍配置であったと推定されている。推定規模は一辺約150メートルと考えられている。国分寺の下層から郡司などの豪族館などの古い施設が発掘されている。平安時代後半に金堂などが焼失し、その後は衰退した。
神社[編集]
安国寺利生塔[編集]
- 利生塔 - 最御崎寺(室戸市室戸岬町)。安国寺も最御崎寺であったとする説がある
地域[編集]
郡[編集]
- 安藝郡
- 香美郡
- 長岡郡
- 土佐郡
- 1889年(明治22年)4月1日、高知に市制を施行する。土佐郡から離れて高知市となる。
- 吾川郡
- 高岡郡
- 承和8年8月23日(841年9月11日)、吾川郡8郷のうち4郷を分けて郡を置く。
- 幡多郡
江戸時代の藩[編集]
人物[編集]
国司[編集]
土佐守[編集]
- 大伴古慈斐:天平勝宝8年(756年)任官(左遷)
- 紀船守:780年頃
- 坂上浄野:天長2年(825年)頃任官(権守、左遷)
- 文室笠科:承和6年(839年)任官
- 清原遠賀:承和10年(843年)任官
- 御輔真男:承和10年(843年)任官
- 路永名:承和12年(845年)任官
- 小野千株:承和12年(845年)任官
- 藤原真岑:嘉祥2年(849年)任官
- 小野千株:嘉祥3年(850年)任官(再任)
- 橘時枝:仁寿2年(852年)任官
- 橘高宗:斉衡2年(855年)任官
- 紀貫之:延長8年(930年)- 承平5年(935年)
- 島田公鑑:承平5年(935年)任官
- 橘則光:寛弘3年(1006年)任官。清少納言の夫
- 源長季:平安時代後期
- 藤原定実:1100年頃(権守)
- 藤原信頼:久安4年(1148年)任官
- 藤原隆季:久寿2年(1155年)任官
- 源国基:鎌倉時代初期
土佐介[編集]
守護[編集]
鎌倉幕府[編集]
- 1185年~1186年 - 梶原朝景
- 1192年~1200年 - 佐々木経高
- 1201年~1203年 - 豊島朝経
- 1203年~1239年 - 三浦義村
- 1239年~1247年 - 三浦氏
- 1323年~1333年 - 北条氏
室町幕府[編集]
- 1337年 - 細川顕氏
- 1339年~1340年 - 細川氏
- 1350年~? - 高定信
- 1352年 - 細川顕氏
- 1352年~1359年 - 細川繁氏
- 1362年~1379年 - 細川頼之
- 1363年 - 吉川経秋
- 1385年~1392年 - 細川頼之
- 1392年~1397年 - 細川頼元
- 1397年~1400年 - 細川満元
- 1400年~1402年 - 細川頼長・細川基之
- 1403年~1426年 - 細川満元
- 1426年~1429年 - 細川持元
- 1429年~1442年 - 細川持之
- 1442年~1473年 - 細川勝元
- 1473年~1507年 - 細川政元
- 1507年 - 細川澄之
- 1507年~1508年 - 細川澄元
- 1508年~? - 細川高国
戦国大名[編集]
武家官位としての土佐守[編集]
江戸期以前[編集]
江戸時代[編集]
土佐国の合戦[編集]
- 1560年:長浜の戦い。長宗我部氏(長宗我部国親、長宗我部元親) x 本山氏(本山茂辰)
- 1569年:八流の戦い。長宗我部元親 x 安芸氏(安芸国虎)
- 1575年:四万十川の戦い。長宗我部元親 x 土佐一条氏(一条兼定)
- 1585年:秀吉の四国攻め(土佐国内での合戦は無し)。羽柴秀吉(羽柴秀長、宇喜多秀家、小早川隆景など) x 長宗我部元親
参考文献[編集]
- ^ 高知市 『高知市史 上巻第一篇 古代・中世』 1958年
関連項目[編集]
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