伊豆国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
令制国一覧 > 東海道 > 伊豆国
伊豆国
地図 令制国 伊豆国.svg
-伊豆国
-東海道
別称 豆州(ずしゅう)[1]
所属 東海道
相当領域 静岡県伊豆半島東京都伊豆諸島
諸元
国力 下国
距離 中国
3郡21郷
国内主要施設
伊豆国府 (推定)静岡県三島市
伊豆国分寺 静岡県三島市(伊豆国分寺塔跡
伊豆国分尼寺 静岡県三島市
一宮 三嶋大社(静岡県三島市)
テンプレートを表示

伊豆国(いずのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。東海道に属する。

沿革[編集]

扶桑略記』によれば、天武天皇9年(680年)7月に、駿河国から田方郡賀茂郡の二郡を分割して設けられたという。ただし、公式の歴史書に記載はない。大宝元年(701年)から和銅3年(710年)までの間に、仲郡(後の那賀郡)が成立し三郡となった。その後、八邦郡が加わった(『和名類聚抄』)。現在の駿河・伊豆・遠江の三国が成立したのは大宝元年(701年)頃である。

律令法においては遠流の対象地となった。これは伊豆諸島隠岐佐渡と並んで辺境の島であると考えられ、伊豆半島はその入り口とされた事が背景にあると言われている。戦国時代には堀越公方足利茶々丸を攻め滅ぼし、伊勢盛時(北条早雲)が伊豆の国主となる。江戸時代(文禄から元禄の間)に君沢郡が分けられ、四郡となった。中世、金の産出では東北地方と並んでいた。

近代以降の沿革[編集]

国内の施設[編集]

国府[編集]

国府は、田方郡にあった。現在の三島市三嶋大社の近くにあったとされるが、国府跡は発掘されていない。仁治3年(1242年)以後に成立した『東関紀行』には、「伊豆の國府(こふ)に到りぬれば、三島の社の…」とある[2]

国分寺・国分尼寺[編集]

塔跡は国の史跡。跡地上の最勝山国分寺(本尊:釈迦如来、位置)が法燈を伝承する。
未詳。三島市二日町の曹洞宗法華寺周辺の市ケ原廃寺、六ノ条廃寺などに比定される。法燈は、曹洞宗三島山法華寺(三島市東本町(位置)、本尊:阿弥陀如来)が受け継ぐ。

神社[編集]

延喜式内社

延喜式神名帳』には、大社5座5社・小社87座83社の計92座88社が記載されている(伊豆国の式内社一覧参照)。大社5社は以下に示すもので、全て名神大社である。

総社一宮以下

『中世諸国一宮制の基礎的研究』に基づく一宮以下の一覧[3]
  • 総社:三嶋大社 (三島市大宮町)
  • 一宮:三嶋大社
  • 二宮:二宮八幡宮 (三嶋大社境内摂社の若宮神社、位置
    三島市西若町付近からの遷座という。二宮八幡宮の遷座に伴い、浅間神社(三宮)の二宮格上げがあったとされる。
  • 三宮:浅間神社 (三島市芝本町、位置) - のち二宮。
  • 四宮:広瀬神社 (三島市一番町、位置

そのほか、三島市北田町の楊原神社を三宮とする説、三島市大社町の日隅神社を五宮とする説がある[4]

守護所[編集]

国府に重なるか近隣にあったと推定されるが未詳。

安国寺利生塔[編集]

地域[編集]

[編集]

人物[編集]

国司[編集]

伊豆守[編集]

※官位相当:従六位下※定員:1名 ※日付は旧暦のもの ※在任期間中、「」内は、史書で在任が確認できる最後の年月日を指す。

  • 御長仲継(大同元年〈806年〉2月10日 - )従五位下
  • 大伴人益(大同元年〈806年〉2月16日 - )従五位下
  • (権守)藤原真夏(弘仁元年〈810年〉9月10日 - 弘仁元年〈810年〉9月15日)正四位下
  • (権守)礒野王(弘仁元年〈810年〉9月15日 - )従五位上
  • 氷上河継(弘仁3年〈812年〉1月12日 - )従五位下
  • 上毛野清湍(天長11年〈834年〉1月12日 - )外従五位下
  • 飯高常比麻呂(承和7年〈840年〉1月30日 - )外従五位下
  • 高原王(承和7年〈840年〉3月5日 - )従五位下
  • 神服清継(承和12年〈845年〉1月11日 - )外従五位下
  • 高村武主(嘉祥2年〈849年〉2月27日 - )外従五位下
  • 高原王(仁寿2年〈852年〉11月7日 - )従五位上
  • 津良友(斉衡3年〈856年〉9月27日 - )従五位下
  • 善道継根(貞観3年〈861年〉1月13日 - )従五位下
  • 長峯恒範(貞観8年〈866年〉1月13日 - 866〈貞観8年〉1月23日)外従五位下
  • 善道根莚(貞観12年〈870年〉1月15日 - )外従五位下
  • 山口岑世(仁和3年〈887年〉2月2日 - )外従五位下
  • 源忠(延喜15年〈915年〉1月12日 - 延喜20年〈920年〉9月21日)従五位上
  • 内蔵連忠(天延2年〈974年〉4月10日 - )
  • (権守)高階信綱(長徳2年〈996年〉4月24日 - )
  • 惟宗茂経(永承8年〈1053年〉1月 - )
  • 橘則経(延久4年〈1072年〉 - )
  • 源国房(嘉保3年〈1096年〉1月23日 - )
  • 大江通国(康和6年〈1104年〉2月6日 - 「嘉承2年〈1107年〉1月19日」)
  • 中原宗政(嘉承3年〈1108年〉1月24日 - 「天仁2年〈1109年〉12月24日」)
  • 平祐俊(天永3年〈1112年〉1月27日 - )
  • 平経兼(永久4年〈1116年〉1月 - )従五位上
  • 源盛雅(保安5年〈1124年〉1月22日~大治2年〈1127年〉12月重任 - )
  • 藤原為兼(天承2年〈1132年〉1月22日 - )
  • 藤原信方(久安4年〈1148年〉1月28日 - 仁平元年〈1151年〉)
  • 藤原経房(仁平元年〈1151年〉7月24日 - 保元3年〈1158年〉11月26日)従五位下→従五位上
  • 平義範(保元3年〈1158年〉11月26日 - )従五位上
  • 源頼政(平治元年〈1159年〉12月10日 - )従五位上
  • 源仲綱
  • 源頼兼
  • 源頼貞
  • 源政義
  • 源氏兼
  • 源頼隆従五位下
  • 新田(山名)義範 (文治元年(1185年)8月任官 - 建久6年(1195年)10月7日以後不明)
  • 森頼定正五位下
  • 森氏清

伊豆介[編集]

守護[編集]

鎌倉幕府[編集]

室町幕府[編集]

戦国時代[編集]

戦国大名[編集]

  • 後北条氏:1493年、初代北条早雲が伊豆に討ち入り、1497年には平定した。後に相模小田原に本拠を移し、関東8カ国250万石の大大名となるが、1590年豊臣秀吉に敗れ戦国大名としての北条家は滅亡

豊臣政権の大名[編集]

  • 徳川家康:1590年、北条氏の旧領を受け継ぎ、伊豆も家康の領国となった

武家官位としての伊豆守[編集]

  • 武田信政甲斐武田氏第六代当主。
  • 武田信武:甲斐武田氏の第十代当主。
  • 武田信春:甲斐武田氏の第十二代当主。
  • 荒川長実
  • 竹中重利
  • 真田信之(文禄2年〈1593年〉9月1日 - 万治元年〈1658年〉7月16日)従五位下→従四位下。上野国沼田藩藩主→信濃国松代藩藩主。
  • 松平信綱(元和9年〈1623年〉12月30日 - 寛文2年〈1662年〉3月16日)従五位下→従四位下。老中。武蔵国忍藩藩主→武蔵国川越藩主。知恵伊豆。
  • 真田幸道(寛文9年〈1669年〉12月25日 - 享保12年〈1727年〉5月27日)従五位下→従四位下。信濃国松代藩の第三代藩主。
  • 松平信輝(寛文12年〈1672年〉12月28日 - 宝永6年〈1709年〉6月18日)従五位下。武蔵国川越藩主→下総国古河藩主→遠江国浜松藩主。
  • 松平信祝(宝永6年〈1709年〉7月1日 - 延享元年〈1744年〉4月19日)従五位下→従四位下。老中。遠江国浜松藩主。
  • 永井直陳(1714年〈正徳4年〉12月28日 - )従五位下
  • 真田信弘(享保12年〈1727年〉7月19日 - 享保15年〈1730年〉7月22日)従五位下。信濃国松代藩の第四代藩主。
  • 松平信復(延享元年〈1744年〉6月10日 - 明和5年〈1768年〉9月22日)従五位下。三河国浜松藩主→三河国吉田藩主。
  • 真田信安(延享元年〈1744年〉6月18日 - 宝暦2年〈1752年〉4月29日)従五位下。信濃国松代藩の第五代藩主。
  • 真田幸弘(宝暦5年〈1755年〉12月18日 - 天明3年〈1783年〉4月18日)従五位下。信濃国松代藩の第六代藩主。
  • 松平信礼:(明和5年〈1768年〉12月17日 - 明和7年〈1769年〉6月20日)従五位下。奏者番。三河国吉田藩主。
  • 松平信明(安永6年〈1777年〉12月18日 - 文化14年〈1817年〉9月29日)従五位下→従四位下。老中。三河国吉田藩主。小知恵伊豆。
  • 真田幸専(文政6年〈1798年〉 - 天保8年〈1837年〉)信濃国松代藩の第七代藩主。
  • 市橋長発(1814年? - 1822年?)従五位下近江仁正寺藩第8代藩主。
  • 松平信順(文化14年〈1817年〉10月 - 天保13年〈1842年〉12月)従五位下→従四位下。老中。三河国吉田藩主。
  • 真田幸貫(文政6年〈1823年〉10月 - 天保8年〈1837年〉1月)従五位下。老中。信濃国松代藩の第八代藩主。
  • 松平信宝(天保13年〈1842年〉12月 - 天保15年〈1844年〉)従五位下。三河国吉田藩主。
  • 松平信璋(天保15年〈1844年〉12月 - 嘉永2年〈1849年〉)従五位下。三河国吉田藩主。
  • 真田幸教(嘉永2年〈1849年〉12月 - 嘉永5年〈1852年〉5月)従五位下。信濃国松代藩の第九代藩主。
  • 松平信古(嘉永2年〈1849年〉12月 - )従五位下→従四位下。大坂城代。三河国吉田藩主。

脚注[編集]

  1. ^ 伊勢国(勢州)や伊予国(予州)との重複を回避するため二文字目を用いる。「伊州」は伊賀国を指すが、伊東市のように伊豆国を指して「伊」と略す事例も稀に存在する。
  2. ^ [1]
  3. ^ 『中世諸国一宮制の基礎的研究』(岩田書院、2000年)pp. 160-162。
  4. ^ 現地説明板。

参考文献[編集]

関連項目[編集]