修禅寺
| 修禅寺 | |
|---|---|
| 所在地 | 静岡県伊豆市修善寺964 |
| 山号 | 福地山 |
| 宗派 | 曹洞宗 |
| 本尊 | 大日如来 |
| 創建年 | (伝)大同2年(807年) |
| 開基 | (伝)空海 |
修禅寺(しゅぜんじ)は、静岡県伊豆市修善寺にある曹洞宗の寺院。山号は福地山。正式名称は『福地山修禅萬安禅寺(ふくちざんしゅぜんばんなんぜんじ)』[1]だが、略して福地山修禅寺と呼んでいる。夏目漱石の「修善寺の大患」、岡本綺堂の「修善寺物語」でも名高い。
目次 |
[編集] 地名
修善寺温泉街の中心にあり、修善寺の地名の元になった。地名を修善寺(しゅぜんじ)、寺院を修禅寺(しゅうぜんじ)と呼ぶのが正しいと認識されていることが多いが、正確には両方とも「しゅぜんじ」と読む。
[編集] 歴史
807年(大同2年)に空海が創建したと伝えられ、その後の約470年間は真言宗に属していた。当時は周辺の地名が桂谷であったことから、桂谷山寺と言われ、『延喜式』には「伊豆国禅院一千束」と書かれる程の寺院であった。
その後、鎌倉時代初期に修禅寺の名称が定着し、寺領も修禅寺と呼ばれるようになった。また、源頼朝の弟の源範頼と、その息子で鎌倉幕府2代将軍の源頼家が当寺に幽閉され、その後この地で殺害されたとしても知られている。
建長年間(1249年 - 1255年)に元の密偵と疑われていた蘭渓道隆が避難のために来住し、それに伴って臨済宗に改宗された。蘭渓道隆は、南宋の理宗から「大宋勅賜大東福地肖盧山修禅寺」という額を賜り、大陸にまで修禅寺の名を広めた。しかし、この寺額は1863年(文久3年)の火災で焼失した。
その後、1361年康安(元年)の畠山国清と足利基氏の戦乱の被害を受け、更に1409年(応永9年)の大火災で伽藍が全焼し、荒廃した。
その後、伊豆一国を収めた伊勢新九郎長氏(北条早雲)が、彼の叔父の隆渓繁紹に曹洞宗の寺院として再興させた。
現在の本堂は1883年(明治16年)に再建したものである。2007年(平成19年)には開創1200年祭が行われた。
[編集] 文化財
- 重要文化財
- 木造大日如来坐像 - 像内から1210年(承元4年)に実慶が作ったと書かれた墨書が発見されている。
[編集] 年中行事
[編集] 所在地
静岡県伊豆市修善寺964