蘭渓道隆

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蘭溪道隆
1213年 - 1278年
諡号 大覚禅師
生地 西蜀(四川省
没地 鎌倉建長寺
宗派 臨済宗大覚派
寺院 円覚寺、泉涌寺来迎院、寿福寺、建長寺修禅寺、禅興寺、東光寺
無準師範、北礀居簡、無明慧性
弟子 南浦紹明

蘭溪道隆(らんけい どうりゅう、建保元年(1213年) - 弘安元年7月24日1278年8月13日))は、鎌倉時代中期の南宋から渡来した禅僧・大覚派の祖。

諱は道隆、道号は蘭渓。南宋の西蜀(現:中国四川省)の人。諡号は大覚禅師

13歳で出家し、無準師範、北礀居簡に学んだ後、松源崇岳の法嗣である無明慧性の法を嗣ぐ。1246年(寛元4年)33歳で、入宋した泉涌寺僧、月翁智鏡との縁により、弟子とともに来日。

筑前円覚寺・京都泉涌寺の来迎院・鎌倉寿福寺などに寓居。宋風の本格的な臨済宗を広める。また執権北条時頼の帰依を受ける。

1253年建長5年)北条時頼によって建長寺が創建されると招かれて開山となる。

一時期からの密偵の疑いをかけられ伊豆に逃れ、その時修禅寺の改宗を行う。

のち京都建仁寺・寿福寺・鎌倉禅興寺などの住持となり、一時、讒言により甲斐国(現:山梨県)に配流され、東光寺などを再興。再び建長寺に帰り同寺で没した。

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