真田幸道

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真田 幸道(さなだ ゆきみち、1657年4月5日明暦3年2月22日) - 1727年7月15日享保12年5月27日))は信濃松代藩の第3代藩主。

第2代藩主・真田信政の6男(5男とも)。母は高橋氏(松寿院)。正室は伊達宗利の娘豊姫。子に源次郎、養子に信弘。官位は従四位下伊豆守。初名は信房、後に幸道。

生まれた翌年に父が死去したため、僅か2歳で家督を継ぐ。しかし従兄の沼田藩主・真田信利がこれに不満を抱いて家督争いが起こった。これは祖父の真田信之が幸道の後見人となることで鎮めたが、信之も同年のうちに死去したため、内藤忠興が彼の後見人となった。藩主としては江戸城普請、領内の検地、朝鮮通信使の饗応役など、様々なところにおいて活躍している。しかし相次ぐ出費のために、藩財政が悪化した。

武に優れ、自らは関口流柔術神道流剣術の使い手であった。また、その武道を蔵書にしてまとめている(代表作は『松代侯詩集』)。また、松城を松代と改めた。享保12年(1727年)5月27日、江戸で死去。享年71。

幸道には源次郎という実子がいたが、早世していたため、甥で兄・真田信就の7男・信弘を養嗣子として迎え、後を継がせた。法号は真常院殿全山一提大居士。 幸道と兄の信就は仲が良かったとされる。

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