下田市

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しもだし
下田市
Shimoda 2007-02-24.jpg
下田港と下田市街地
Flag of Shimoda, Shizuoka.svg
Shimoda Shizuoka chapter.JPG
下田市旗 下田市章
日本の旗 日本
地方 中部地方東海地方
都道府県 静岡県
団体コード 22219-4
面積 104.71km²
総人口 23,449
推計人口、2014年7月1日)
人口密度 224人/km²
隣接自治体 賀茂郡南伊豆町河津町松崎町
市の木 オオシマザクラ
市の花 アジサイ
下田市役所
市長 楠山俊介
所在地 415-8501
静岡県下田市東本郷一丁目5番18号
北緯34度40分46.3秒東経138度56分43.1秒
外部リンク 下田市

下田市位置図

― 政令指定都市 / ― 市 / ― 町

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下田市(しもだし)は、伊豆半島南部に位置する都市。明治以前は旧伊豆国賀茂郡

概要[編集]

江戸時代には、江戸大坂間、あるいは西廻海運の風待ち湊として栄え、「伊豆の下田に長居はおよし、縞の財布が空になる」(下田ぶし1番)と唄われた。東海道三島宿から伊豆半島中央部を南北に縦断する下田街道の終点。僧行基発見とされる蓮台寺温泉などがあり、総称して下田温泉と称している。

1854年(嘉永7年)、日米和親条約が締結されると、箱館とともに開港(下田は即時開港)。吉田松陰の米渡航失敗、ロシア使節プチャーチン提督乗船のディアナ号遭難、米国領事タウンゼント・ハリス唐人お吉、商業写真の祖下岡蓮杖など、数々のエピソードを生んだ。

1928年(昭和3年)、十一谷義三郎唐人お吉』や川端康成伊豆の踊子』の小説発表などが下田観光の火付け役となり、1933年(昭和8年)の東京湾汽船(現・東海汽船)の客船就航、伊豆循環道路東海岸線伊東-下田線の完成により、観光客が多数訪れるようになった。さらに、1961年(昭和36年)12月の伊豆急行線(伊東-下田間)開通により、観光客が急増。観光業が産業の中心となり、1967年(昭和42年)には、観光客が500万人を超えた。その後も、地震や水害などの起きた時期を除いて、毎年、多くの観光客を迎え入れていたが、バブル経済崩壊後は減少に転じ、平成16年度は、観光客が約332万人と低迷。また、下田船渠解散、企業の営業所・寮の統廃合や流通業の変化による消費の分散傾向が、下田を初めとする賀茂郡の中心であった市内経済に打撃を与え、海水浴やイベント中心型観光都市からの脱皮を模索している。

2011年(平成23年)、東日本大震災に伴う計画停電、電車の運休、観光自粛ムードにより、観光客が激減。ホテル、旅館、その他観光関連産業の事業所を中心として、従業員、パート・アルバイトの大量解雇が発生。ハローワーク下田は、空前の人数の求職者、雇用保険手続きの失業者であふれた。観光産業に過度に偏った下田市の弱点があらためて露呈した。

地勢[編集]

上空から見た下田市街地
上記俯瞰写真範囲の垂直空中写真。
1976年撮影の6枚を合成作成。国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成。

稲生沢川下流の沖積地に中心市街が広がる。市の面積の83%は山林・原野。天城山系から続く急峻な山々と多くの砂浜や入り江を含んだ約47kmに及ぶ海岸線は、美しい景観をみせる。 また、年平均気温は約17℃と温暖で、降水量も年間1900mm余りと豊富。 このような気候と急峻な地形条件により、亜熱帯系から亜寒帯系までの幅広い植生を有している。 このため、四季を通して様々な草花や果実が生育し、黒潮の流れる太平洋が育む豊富な海産物とあわせて、魅力のひとつとなっている。下田港9km沖合いの神子元島は、静岡県最南端。 蓮台寺、河内、横川、北湯ヶ野などに古くから温泉がある。

歴史[編集]

古代[編集]

  • 縄文時代:多くの遺跡により、早い時期から人が住んでいたことが分かる。
    • 縄文時代早期:須崎爪木崎遺跡、田牛上の原遺跡など、海岸に隣接する海岸段丘上に存在することが多い。
    • 縄文時代中期:吉佐美田京山遺跡、柿崎上ノ山遺跡群、河内湯原遺跡、椎原宮の前遺跡など遺跡数が多く、また、大きな集落が営まれていたことが推定される。
  • 古墳時代
    • 4世紀頃:吉佐美広畑遺跡。
    • 5世紀頃:祭祀遺跡-白浜三穂ヶ崎遺跡、須崎夷島遺跡、吉佐美洗田遺跡。

律令時代[編集]

  • 680年駿河国二郡が分離され、伊豆国が誕生する。
  • 686年大津皇子の謀反事件に連座した帳内礦杵道作が市内箕作に流されたといわれる。
  • 701年:伊豆国に、田方、那賀、賀茂の3郡が置かれる。賀茂郡家が南伊豆町下賀茂辺に設置され、賀茂、築間、色日、稲梓、川津、三島などのがあった。
  • 735年:伊豆国賀茂郡稲梓郷稲梓里の占部石麻呂が調の麁堅魚を貢納する(平城京出土木簡)。
  • 9世紀中頃:稲梓郷は大社郷に改称。
  • 10世紀:色日郷は月間郷と合併。
  • 10-11世紀:金山遺跡-砂鉄木炭を原料にタタラ製鉄が行われた跡。

鎌倉時代から室町時代まで[編集]

戦国時代から江戸時代まで[編集]

幕末[編集]

下田での上陸『ペリー提督・日本遠征記
ペリー軍隊分列式の図・了仙寺『ペリー提督・日本遠征記』
ペリー来航記念碑

明治期[編集]

  • 1868年(明治1年):伊豆韮山県と一部菊間藩などの支配となる。
  • 1869年(明治2年):稲生沢、下田、稲梓に打ちこわし事件が起こる。
  • 1870年(明治3年):神子元島灯台完成。※現存する日本最古の現役灯台(国の史跡に指定)。
  • 1871年(明治4年):韮山県廃止により伊豆足柄県の管轄となる。
  • 1872年(明治5年):7月、下田郵便局設置される。。
  • 1873年(明治6年):新民学校など、小学校が各地に創立される。
  • 1874年(明治7年):上大賀茂村と下大賀茂村が合併。大賀茂村となる。7月、下田警察署創置される。
  • 1875年(明治8年):岡方村、下田町に吸収合併。上大沢村と下大沢村合併、大沢村に。
  • 1876年(明治9年):足柄県廃止、伊豆国静岡県に編入、静岡県第九大区とす。須郷深山入会地をめぐり、9か村の争論起こる。「馬場七騒動」(~明治15)。
  • 1877年(明治10年):本須郷村、新須郷村、芽原野村、北の沢村が合併、須原村となる。
  • 1878年(明治11年):賀茂郡所属の伊豆諸島は、東京府管轄となる。稲生沢橋(下田橋)が初めて架けられた。タウンゼント・ハリスニューヨークで死去。
  • 1879年(明治12年):大小区制廃止、郡制施行。賀茂那賀郡役所設置(宝福寺が仮庁舎)。私立豆陽学校創立(現在の静岡県立下田高等学校)。治安裁判所創置。
  • 1883年(明治16年):稲生沢川河口浚渫工事が始められた。
  • 1884年(明治17年):数村を合して戸長役場を置くこととなり、下田、柿崎、須崎、白浜の一町三村の役場を下田に置いた。下田沖に漂着したアメリカ船の船員により、「こっくりさん」が日本に伝えられたといわれる。
  • 1888年(明治21年)4月:下田銀行設立。
  • 1889年(明治22年):市町村制施行、自治制が定められた(今までの戸長、人民惣代、什長等の制度を廃して町長、助役、収入役、書記を置いた)。下田町稲梓村稲生沢村浜崎村朝日村となる。
  • 1890年(明治23年):斎藤きち(唐人お吉)、稲生沢川門栗で溺死(享年50)。稲生沢橋を改造し、下田橋と称す。
  • 1892年(明治25年):新民学校を下田尋常高等小学校と改称。
  • 1894年(明治27年):下田消防組設置。
  • 1895年(明治28年):下田町役場新築。
  • 1896年(明治29年):浜崎村より白浜村分立。那賀・賀茂郡廃止。新賀茂郡は、城東村宇久須村以南に郡域変更。
  • 1897年(明治30年)6月:下田信用組合設立。
  • 1898年(明治31年):9月22日、下田船渠合資会社設立。
  • 1899年(明治32年):3月13日、下田倶楽部、下田町の青年有志により発会。郡立中学豆陽学校設置。
  • 1901年(明治34年):城山公園を開く。武ヶ浜に防風林として松を植栽。神子元島を下田町に払下げ。
  • 1902年(明治35年)11月11日:下田船渠㈱設立。
  • 1904年(明治37年):下田伝染病舎竣工。
  • 1905年(明治38年):天城新道完成。東京湾汽船豆州共同汽船会社を吸収し、伊豆から東京への航路を独占。5月、町立女子技芸学校設立。
  • 1906年(明治39年):下田橋改修。
  • 1907年(明治40年)6月:岩崎吉太郎、南豆電氣㈱設立。
  • 1908年(明治41年):河津川水力発電㈱創立。吉田松陰五十年祭、下田八幡神社で開催。下田町役場主催の開港五十年祭(五十回忌大法会)、玉泉寺で開催。
  • 1911年(明治44年)1月1日:河津川水力発電㈱開業。4月5日、賀茂郡役所新築。都新聞に「洋妾(らしゃめん)物語」(作者:信田葛葉)連載。※唐人お吉について最初の発表。
  • 1912年(明治45年):6月17日、下田橋洪水で流失。城山御料林の払下げを受け下田町有林となった。(同時に狼煙崎、赤根島、犬走島、みさご島の払下げを受ける)。足立鍬太郎、賀茂郡立豆陽学校長に着任。

大正期から第二次大戦まで[編集]

  • 1913年大正2年):下田橋を架設。信田葛葉「薔薇娘」刊行。※「洋妾物語」の単行本化。
  • 1914年(大正3年):3月3日、下岡蓮杖死去。6月19日、「伊豆鏡」刊。7月28日、「南豆風土誌」刊。
  • 1915年(大正4年):2月28日、下田自動車㈱、開業(静岡県史年表)。4月29日、下田町町會で下田町の紋章を決議。
  • 1916年(大正5年):2月20日下田自動車㈱設立。3月23日、下田-大仁間路線運行開始(静岡県史年表)。
  • 1917年(大正6年):蓮台寺に、久原鉱業㈱河津鉱業所を開設。12月、須崎町より出火し武ヶ浜類焼する。焼失家屋82。
  • 1918年(大正7年):9月18日、南豆馬車鉄道㈱設立(蓮台寺-武ヶ浜間)※静岡県史年表。下田町青年団創立。
  • 1919年(大正8年):東洋練乳設立(その後、森永乳業)。豆陽中学校、県立移管
  • 1920年(大正9年):3月1日、蓮台寺鉱山鉱夫スト。全国鉱夫同盟会蓮台寺支部発会。4月、郡立賀茂高等女学校開校(現在の静岡県立下田高等学校)。
  • 1922年(大正11年):5月27日、下田港、国指定港湾となる。11月、東京湾汽船、清水-下田間航路開設(静岡県史年表)。郡立賀茂高等女学校が県立移管、県立下田高等女学校となる。
  • 1923年(大正12年):9月1日、関東大震災。激震15分後、津波3度あり浸水家屋300戸。
  • 1924年(大正13年):10月1日、雑誌「黒船」創刊。
  • 1925年(大正14年):開国70年。3月、下田神津島間無線電信局開局。4月16日、バンクロフト米大使が下田訪問。村松春水、雑誌「黒船」に唐人お吉について発表。下田幼稚園開園。
  • 1926年(大正15年・昭和1年):3月10日、「下田之友」創刊。9月、仏クローデル大使来訪。
  • 1927年(昭和2年):9月、下田公園循環道路が和歌の浦まで完成。10月、玉泉寺にハリス記念碑建立、除幕式。下田町、武ヶ浜塵芥捨場に衛生上の問題が多く、芥焼場を敷根に設置。昭和自動車設立(のちの伊豆下田バス)。昭和金融恐慌
  • 1928年(昭和3年):十一谷義三郎、「唐人お吉」発表。川端康成、「伊豆の踊子」出版。下岡蓮杖碑除幕。
  • 1929年(昭和4年):十一谷義三郎、「時の敗者唐人お吉」を東京朝日新聞に連載。7月13日、田方・賀茂郡町村長会、河津川水力電気㈱電灯料値下げ第1回交渉を元賀茂郡役所で開始。8月、真山青果「唐人お吉」が歌舞伎座市川松蔦のお吉で初演。循環道路第2期工事(赤根島まで)完成。10月、下田婦人会創立。10月2日、下田町役場新庁舎落成式。10月24日、世界恐慌始まる。11月3日、第1回町民体育大会開催。11月17日、東京航空輸送社、東京-下田間の定期航空路開設。
  • 1930年(昭和5年):5月21日、武山閣開設。11月、下田町で初めての水道給水開始(毎日数時間、共用栓27箇所)。11月26日、豆相大震災強震。
  • 1931年(昭和6年)4月1日:東京航空輸送㈱、東京-下田-清水間の定期航空路開設。7月16日、東京湾汽船貨物船次郎丸、大工町河岸にて爆破。焼死者2名。
  • 1932年(昭和7年)3月:伊豆銀行、下田銀行を合併。9月11日、了仙寺境内に綿吉当主、元下田町長、鈴木吉兵衛の銅像建立。11/11、下田自動車東海自動車に吸収合併。
  • 1933年(昭和8年)3月:森永練乳㈱下田工場設立。東京湾汽船葵丸」、東京-大島-下田航路に就航。伊豆循環道路東海岸線伊東-下田間完成。下田銀行、伊豆銀行に吸収合併。4月21日、三井海洋生物学研究所落成。6月11日、鍋田海岸に、東京文理科大学(現筑波大学)附属下田臨海実験所開設。南豆馬車鉄道、旅客営業休止。
  • 1934年(昭和9年)4月20日 - 5月3日:開港80周年記念、第1回「黒船祭」挙行。グルー米大使参加。下田幼稚園、町に移管。
  • 1935年(昭和10年):東京湾汽船「橘丸」、東京-大島-下田航路に就航。下田温泉㈱、河内から下田に引湯。
  • 1937年(昭和12年):8月、豆陽中学校プール竣工。8月9日、県、満州農業移民対策協議会開催。下田港新岸壁完成。
  • 1938年(昭和13年)9月18日:賀茂青年団員約40人、ヒトラーユーゲント派遣団一行と伊豆大島三原山頂で交歓会。
  • 1939年(昭和14年):4月、第6回黒船祭に米軍艦アストリア号乗組員80余名特別参加。7月12日、河津鉱山で朝鮮人労働者が争議。
  • 1941年(昭和16年):黒船祭中止。伊豆地方豪雨により、下田町浸水250戸、須崎鉱山浸水で閉鉱。
  • 1942年(昭和17年):賀茂教育会、柿崎に吉田松陰像建立(保田龍門作)。
  • 1943年(昭和18年):県下で米英思想撃滅運動。黒船やお吉にちなんだ絵葉書、掲示、歌集などの禁止。
  • 1944年(昭和19年):雑誌「黒船」廃刊。※黒船が敵性用語として紙の配給停止。
  • 1945年(昭和20年)3月:海軍第16突撃隊(16嵐部隊)、陸軍潜水輸送隊が下田に配属。4月 下田町空襲、その後も数回。7月 第57震洋隊が和歌の浦配備。8月 陸軍潜水輸送隊8号艇が空襲で撃沈。第6海龍隊が下田配備。

第二次大戦後[編集]

  • 1946年(昭和21年)8月:南豆馬車鉄道、貨物営業休止。
  • 1947年(昭和22年)7月:第8回黒船祭。
  • 1949年(昭和24年):下田中学校開校。
  • 1951年(昭和26年):下田保育所開所。
  • 1954年(昭和29年):縄地有料道路完成。
  • 1955年(昭和30年):3月31日、下田町、浜崎村、白浜村、稻梓村、稻生澤村及び朝日村の6か町村合併、下田町となる。
  • 1957年(昭和32年):新町役場完成(4/1より業務開始)。東伊豆道路の下田区間開通。
  • 1958年(昭和33年)6月5日、新下田橋完成。8月13日、羽田発名古屋行き全日空ダグラスDC-3が下田沖に墜落。乗客30人、乗員3人全員死亡。10月1日、下田町国民健康保険実施。
  • 1959年(昭和34年)3月31日:日本鉱業㈱河津鉱業所が操業停止。
  • 1961年(昭和36年)10月20日:伊豆急行の伊東-下田間全線完工、12/9、伊東駅で発車式、12/10、営業開始。下田ロープウェイ開業。
  • 1962年(昭和37年)1月:伊豆下田農協設立。8/24、三宅島が大爆発、8/29、島民、東海汽船で下田町へ避難。
  • 1964年(昭和39年):柿崎武山地先の公有水面埋め立て(昭和40年1月14日竣工認可。現・外ヶ岡。)。
  • 1966年(昭和41年)9月1日、下田テレビ協会開局。12月16日、下田船渠㈱武ガ浜工場に1,000トン船台完成。
  • 1967年(昭和42年):下田町消防署庁舎落成。9月15日、第1回日米関係民間会議下田会議)、反対派抗議。下田海中水族館開業。南豆衛生プラント落成。
  • 1968年(昭和43年):八百半デパート下田店開業。6月、じん芥処理場、現在地に移転。11月1日、第1次住居表示実施(一丁目、二丁目、三丁目の一部)。
  • 1969年(昭和44年)9月1日、第2次住居表示実施(三丁目の一部、五丁目、六丁目)。
  • 1970年(昭和45年)5月1日、第3次住居表示実施(柿崎、武ガ浜)。5月6日、落合浄水場竣工。下田町漁協設立。
  • 1971年(昭和46年)1月1日:市制施行。11/5、須崎御用邸完成。
  • 1972年(昭和47年):1月、下田船渠、大野造船、下田造船が合併。4月5日、武ガ浜-柿崎に渚ライン開通。10月、下田船渠㈱武ガ浜新工場完成(3,000トン船台。12月、4,300トン、昭和48年10月、5000トン、昭和49年10月、7,500トンに拡張)。11月15日、浜崎共同調理場完成。
  • 1973年(昭和48年):1月11日、観光キャッチフレーズ特選に「伊豆の太陽」が選ばれる。(一席「海と遊ぼう歴史と話そう」、五席「花と波とあなたと・・・」)。4月30日、本郷地区住居表示実施。(東本郷1-2丁目、西本郷1-3丁目、敷根、高馬)。
  • 1974年(昭和49年)5月9日:伊豆半島沖地震
  • 1976年(昭和51年)7月11日:豪雨により南豆の道路寸断、観光客は船で脱出。
  • 1977年(昭和52年)4月20日:伊豆急下田駅前に、伊豆急ショッピングセンター「サンプラーザ」(現、東急ストア下田店)開店。初日、1万5千人の人出。
  • 1978年(昭和53年)1月14日:伊豆大島近海の地震
  • 1979年(昭和54年)6月27日:カーター米大統領が来下。
  • 1986年(昭和61年)2月17日:県下田総合庁舎、新築落成。11月21日、伊豆大島三原山噴火、全島民避難。
  • 1987年(昭和62年)11日27月:下田船渠解散決議、138人の従業員全員解雇。11月30日、同労組が職場占拠。
  • 1988年(昭和63年)1月:下田船渠、労組が自主生産開始。9月16日、新下田ドック㈱設立。10月 営業開始。
  • 1989年(平成元年)4月26日:下田市民文化会館開館。
  • 1991年(平成3年)9月10日:伊豆半島南部集中豪雨。
  • 1993年(平成5年):8月31日、新下田ドック㈱、解散。12月、桧沢林道沿いの産業廃棄物処理施設からの公害被害が広がる。
  • 1995年(平成7年)9月:石廊崎沖で不審な台湾船発見。中国人密航者57人逮捕。10月 桧沢林道沿いの産廃埋立処分場で火災(翌月にも隣接する事業者の処分場で火災)。
  • 1996年(平成8年)5月:桧沢の産廃施設で火災。7月 産廃公害反対の住民運動「自然破壊と廃棄物公害を防止する住民連合会」始まる。
  • 1998年(平成10年)8月:桧沢の産廃焼却場上空、東電送電線の断線による南伊豆一帯の停電事故発生。9月 産廃埋立処分場の実質的経営者ら4人逮捕。無許可で産廃埋め立てた疑い。10月2日 下田市議会、市民グループから2,842人の署名により直接請求された「下田市における『外ヶ岡交流拠点』(リープロ施設)建設の是非を問う住民投票に関する条例の制定について」を反対多数で否決(賛成3、反対14)。
  • 1999年(平成11年)4月:桧沢の産廃焼却施設事業者の産廃収集運搬業・同処分業、特管産廃収集運搬業・同処分業の各許可取消。9月 下田港沖防波堤建設に伴い、特殊潜航艇海龍 が海中で発見される。
  • 2000年(平成12年)7月:三宅島噴火。9月 三宅島漁業関係者が下田市に避難。11月 ベイ・ステージ下田開館。「伊豆新世紀創造祭」が「チェンジ伊豆2000」を標語として開催。
  • 2003年(平成15年)12月:下田市河津町南伊豆町の法定合併協議会解散。
  • 2004年(平成16年)6月:南伊豆町議会、下田市南伊豆町合併協議会の設置議案否決。
  • 2006年(平成18年)10月:伊豆下田バス営業廃止。南伊豆東海バス・新東海バスに事業譲渡。
  • 2009年(平成21年)6月:松崎・南伊豆町両議会の合併議案否決により、賀茂地区合併破綻(下田市河津町南伊豆町松崎町)。
  • 2012年(平成23年)5月1日:下田メディカルセンター開院(共立湊病院が下田市に新築移転)。

人口[編集]

Demography22219.svg
下田市と全国の年齢別人口分布(2005年) 下田市の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 下田市
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性
下田市(に該当する地域)の人口の推移
1970年 30,318人
1975年 31,700人
1980年 31,007人
1985年 30,209人
1990年 30,081人
1995年 29,103人
2000年 27,798人
2005年 26,557人
2010年 25,013人
総務省統計局 国勢調査より
  • 静岡県内でもっとも人口が少ない市であり、人口減少の歯止めがかからない状況でもある。

行政[編集]

町長(旧六カ町村合併後の下田町)

  • 初代 鈴木貞雄(1955年(昭和30年)4月13日〜1962年(昭和37年)2月26日 2期・辞任)
  • 2代 外岡文雄(1962年(昭和37年)4月10日〜1964年(昭和39年)6月1日 1期・辞任)
  • 3代 石井基(1964年(昭和39年)7月5日〜1976年(昭和51年)7月4日 3期・任期満了)※昭和46年1月1日、市制施行により市長となる。

市長(下田市制施行後)

  • 初代 石井基(1971年(昭和46年)1月1日〜1976年(昭和51年)7月4日 2期 ※町長・市長を通じ3期・任期満了)。
  • 2代 青木義男(1976年(昭和51年)7月5日〜1984年(昭和59年)7月4日 2期・任期満了)
  • 3代 池谷淳(1984年(昭和59年)7月5日〜2000年(平成12年)7月4日 4期・任期満了)
  • 4代 石井直樹2000年(平成12年)7月5日〜2012年(平成24年)7月4日 3期・任期満了)
  • 5代 楠山俊介2012年(平成24年)7月5日〜現職)

県の機関[編集]

姉妹都市[編集]

産業[編集]

海水浴温泉と自然、海産物が魅力となっている観光業関連がほとんどで、金目鯛下田S級サザエに代表される水産業も盛ん。農業は、柑橘類以外は自家用野菜が多い。工業は、下田船渠解散後、零細な食品製造業が大半である。特筆すべきものはない。商業は、大規模小売店舗法廃止に代表される各種の規制緩和、道路網の改善や通信販売の発達により、地盤沈下が著しい。

  • 下田市観光協会
  • 伊豆白浜観光協会
  • 下田商工会議所
  • 下田市漁業協同組合
  • 伊豆太陽農業協同組合

漁業[編集]

海水浴場[編集]

地域[編集]

学校[編集]

大学の付属機関[編集]

専門学校[編集]

高等学校[編集]

中学校[編集]

小学校[編集]

交通[編集]

鉄道[編集]

伊豆急行線
稲梓駅 - 蓮台寺駅 - 伊豆急下田駅

道路[編集]

高速道路

伊豆縦貫自動車道河津下田道路
須原IC(予定)、下田北IC(予定)、蓮台寺IC(予定)、敷根IC(予定)、下田IC(予定)
東名高速道路
最寄りのインターチェンジは沼津市にある、沼津IC
新東名高速道路
最寄りのインターチェンジは駿東郡長泉町にある、長泉沼津IC

国道

県道

港湾[編集]

空港[編集]

名所・旧跡・博物館・観光施設[編集]

下田海中水族館。
  • 弥冶川界隈(ペリーロード):平滑川河口から了仙寺に至る川沿いの道。かつては花柳街だった。なまこ壁や石造りの民家などがあり、風情あるたたずまいを見せる。
  • 下田公園:戦国時代に下田城があった場所。日本で1. 2を争うアジサイの名所。循環道路を歩くのも良い。県指定文化財
  • ハリスの小径:下田湾の柿崎にある遊歩道。特攻震洋の格納壕跡がある。
  • 爪木崎:須崎半島にある美しい岬。1月にスイセン祭が開かれる。
  • 白浜大浜:下田市最大の海水浴場。白砂が美しく、夏は若者でにぎわう。
  • 吉佐美大浜:7月中旬、隣接する大賀茂川河口では、ハマボウが美しい花を咲かせる。
  • 了仙寺:下田条約締結の地。5月には、アメリカジャスミン(ニオイバンマツリ)の紫と香りが境内いっぱいになる。国の史跡。
  • 玉泉寺:日本最初の米国領事館。国の史跡
  • 宝福寺:唐人お吉菩提寺
  • 吉田松陰寓寄所:米艦での密航を企てた吉田松陰が、宿泊した民家。県指定文化財
  • 安直楼:唐人お吉が経営した料亭跡。市指定文化財
  • 白浜神社(伊古奈比め命神社):伊豆最古の神社。県指定文化財。めは口+羊。
  • 神子元島灯台:明治3年竣工。下田港9km沖合いの神子元島にある、現存する日本最古の洋式灯台。国の史跡
  • 下田城:下田城址 後北条氏家臣、清水康英が城主。昭和48年6月12日下田市指定文化財。
  • 下田城:隕石などを展示した美術館を併設(休業中)。※歴史上の下田城とは、まったく無関係の娯楽施設。
  • 下田開国博物館:開国や下田の民俗を物語る品々を展示。
  • 下田海中水族館:世界初の水中に浮かぶ水族館イルカアシカのショーも行われる。
  • 上原近代美術館:ルノワールマティスピカソなど近代西洋絵画や日本画、彫刻など多数展示。
  • 上原仏教美術館:現代仏師の作になる百数十体の木彫仏像、平安時代十一面観音立像(重要美術品)、鎌倉時代阿弥陀如来立像、中国宋時代の菩薩立像などを常設展示。平山郁夫村上華岳らの日本画、平安後期の中尊寺経重要美術品)も所蔵。
  • 道の駅 開国下田みなと(ベイ・ステージ下田):下田の名産や歴史などの魅力が分かる情報館。

天然記念物[編集]

その他

出身者[編集]

  • 中根東里(1694-1765):陽明学者。
  • 篠田雲鳳(1810-1883):江戸後期から明治初期、江戸で名をはせた女性儒学者、教育者、詩人。書も能くした奇才で、絶世の美女だったという。
  • 下岡蓮杖(1823-1914):日本商業写真の祖。
  • 中村岳陵(1890-1969):日本画家。昭和37年(1962年)、下田町名誉町民。
  • 浦辺粂子(1902-1989):日活映画で最初の主演女優、戦後は老婆役で人気。
  • 加藤虎之助(1903-1934):医師。大阪府吹田市にあった「三島無産者診療所」初代所長。
  • 上原小枝(1909-1996):元大正製薬名誉会長。
  • 大久保婦久子(1919-2000):皮革工芸家。平成12年(2000年)、下田市名誉市民
  • 浦岡敬一(1930-2008):映画編集者。小林正樹監督の「人間の條件」など、多くの映画の編集を手がけた。日本映画・テレビ編集協会初代理事長。
  • 平野ますみ(1931- ):詩人、児童文学者。著書「もんぺはすてき」。
  • 栗原はるみ(1947- ):料理研究家。著書「ごちそうさまが、聞きたくて」がベストセラー。
  • 嶋津武仁(1949- ):福島大学教授。ベルリン国際作曲コンクール3位入選。
  • 秀男(1949- ):大相撲、副立呼出し。平成19年秋場所時点で呼出しの最高位。定年までまだ7年あるため結びの一番は当分秀男が呼び上げる。本名:山木秀人 桐山部屋所属
  • 松本路子(1950- ):写真家。『Portraits 女性アーティストの肖像』など、ポートレイトで著名。
  • 楠山俊介(1954- ):下田市長、歯科医師。
  • 鈴木由美子(1960- ):漫画家。「白鳥麗子でございます」で有名。
  • 鈴木みそ(1963- ):漫画家。フリーライターからデビュー。
  • 御法川修(1972- ):映画監督。映画 『世界はときどき美しい』 (第19回 東京国際映画祭 公式出品)
  • 鈴木將義(1976- ):文化人。マルチメディアクリエイター・デジタルメディア評論家。元サクラゲート取締役。
  • YASUNARI KIKUMA(1981- ):写真家。

下田を舞台にした作品[編集]

文学・記録・漫画[編集]

映画[編集]

音楽[編集]

アニメ[編集]

伊豆急下田駅、オモシロ駅長

関連項目[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ 夏色キセキ駅長|伊豆急「オモシロ駅長」情報! 伊豆急行公式サイト 2012年7月31日閲覧。

外部リンク[編集]