溝口健二

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みぞぐち けんじ
溝口 健二
溝口 健二
1950年代頃
生年月日 1898年5月16日
没年月日 1956年8月24日(満58歳没)
出生地 日本の旗 日本東京市浅草区
(現:東京都台東区
死没地 日本の旗 日本京都府京都市上京区
職業 映画監督

溝口 健二(みぞぐち けんじ、1898年5月16日 - 1956年8月24日)は、東京都出身の映画監督。女性を主人公に据えた情緒的な作品が多い。黒澤明小津安二郎成瀬巳喜男らと共に日本映画の巨匠の一人にあげられる。

来歴[編集]

東京市浅草区(現在の東京都台東区浅草)に父・溝口善太郎の長男(三姉弟の2番目)生まれる。父が日露戦争時に軍隊用雨合羽の製造をやって失敗、そのため健二は幼少時から非常な辛酸を嘗める。

父は決して悪い人間ではなかったのだが、生活力がなく酒好きであまり働くのが好きではない人間だったという。そのため、監督作品などを通しても、溝口の父親に対しての憎しみが描かれており、父親というものを好意的に描いたものは一つもなく、死別するまで和解には至らなかった。これらの経験から作品の情けない男性像というものに反映される。監督作品の『浪華悲歌』の竹川誠一演じる主人公・アヤ子の父である準造は、溝口の父がモデルであるとされている。

旧制小学校卒業後、台東区立石浜小学校へ入学。そこで後年に共に仕事をする事になる作家川口松太郎と出会う。小学校を卒業後、盛岡にある薬剤師の親戚に預けられるが、すぐに舞い戻る。浴衣の図案家に奉公し、姉の援助を受けて黒田清輝主催の東京葵橋洋画研究所に学ぶ。1918年(大正7年)に神戸又新日報社に広告図案係として就職したが僅か1年で退職。姉の家に居候しながら映画やオペラ、文学にひたり、日活の俳優であった富岡正の知遇を得、1920年(大正9年)に日活向島撮影所に入社。監督助手として小口忠田中栄三らについたのを経て、1923年(大正12年)2月、先輩監督の若山治のオリジナル脚本による『愛に甦る日』で24歳にして映画監督デビューを果たしたが、貧乏生活の描写が余りにも写実的過ぎて検閲で大幅にカットされ、やむなくつなぎで琵琶劇を入れて公開したという。同年は一年のうちに10作を製作するなど多作なところを見せ、その内容も探偵劇から表現主義風まで様々で、『敗残の唄は悲し』で新進監督として認められた。同年9月1日の関東大震災のため京都日活大将軍撮影所に移り、『峠の唄』 『大地は微笑む』などの佳作を手がけたが、1925年(大正14年)『赤い夕日に照らされて』を撮影中に痴話喧嘩のもつれから、恋人であり同棲中の雇女(別れた後、貧しさのため娼婦となる)に背中を剃刀で斬られるという事件を起こし、しばらく謹慎処分となる。以後女性をテーマにした作品に独特の感覚を発揮するようになる。

復帰後の1926年(大正15年)に下町の情緒を下敷きにした女性劇の佳作『紙人形 春の囁き』 『狂恋の女師匠』を発表してからは女性を描く独特の感性にさらに磨きをかけ、1930年(昭和5年)『唐人お吉』などが好評を博した。この間、昭和初期の左翼思想の高揚に乗じて『都会交響楽』 『しかも彼等は行く』などの傾向映画も監督してリアリズム追求に邁進したが、溝口自身は左翼思想の持ち主でもなく、プロレタリア運動が退潮後の7年には新興キネマに招かれて国策映画『満蒙建国の黎明』を撮り、変わり身の早いところも見せている。

1933年(昭和8年)、日活を辞め入江たか子入江ぷろだくしょんで仕事をするようになり、泉鏡花原作の情緒の世界を入江たか子主演で描いた『瀧の白糸』が大ヒットし、キネマ旬報ベスト2位に入った。1934年(昭和9年)、永田雅一が設立した第一映画社に参加し、山田五十鈴出演で泉鏡花原作の『折鶴お千』、脚本家依田義賢とはじめて組んだ『浪華悲歌』、京都の祇園を舞台にした『祇園の姉妹』を発表した。

同社が経営悪化のため解散した後は新興キネマを経て、松竹下加茂撮影所に移り、村松梢風原作の『残菊物語』、初めて田中絹代を自作に迎えた『浪花女』、旧制小学校時代からの旧友・川口松太郎原作の『芸道一代男』など作品を発表したが、1941年(昭和16年)から1942年にかけて長い撮影期間と破格の費用をかけて真山青果の『元禄忠臣蔵』前後編を手がけた。同作は、文部大臣特別賞を受けたものの、興行的には大失敗するという苦汁を嘗める。

第二次世界大戦後の1946年(昭和21年)に絹代出演の民主主義的映画『女性の勝利』で復帰したが、『元禄忠臣蔵』での大失敗が尾を引いたのか不調が続いた。1949年(昭和24年)、戦争で夫を亡くし敗戦後の生活苦から娼婦に堕していく女性のシビアに描いた『夜の女たち』で長きスランプから復調。その後は舟橋聖一原作の『雪夫人絵図』、谷崎潤一郎原作の『お遊さま』、大岡昇平原作の『武蔵野夫人』といった文芸映画を作り、1952年(昭和27年)には井原西鶴の『好色一代女』を基に絹代出演で撮った『西鶴一代女』を製作。当初国内ではベストテン9位の評価だったが、ヴェネツィア国際映画祭に出品されるや海外の映画関係者から絶賛され、サンマルコ銀獅子賞を受賞。ここから国内でも溝口の評価が変わる。さらに1953年(昭和28年)には、上田秋成の原作を幽玄な美で表現した自信作『雨月物語』が同映画祭でサンマルコ銀獅子賞1位を獲得 (この年は金獅子賞の該当作がなく、本作が実質の最高位であった)。この頃から日本国外にも熱烈な溝口ファンが生まれ始め、1954年(昭和29年)にも森鴎外『山椒大夫』でも同映画祭サンマルコ銀獅子賞を受賞。3年連続の同映画祭の入賞を果たすという快挙を成し遂げ、一躍国際的に認知される映画監督となった。3年連続の同映画祭での入賞は、日本国内では他に類を見ない功績である。

1954年、『近松物語』で芸術選奨ブルーリボン賞監督賞を受賞。その後も『祇園囃子』 『噂の女』 『楊貴妃』 『新・平家物語』と優れた作品を生み出すが、1956年(昭和31年)売春防止法成立前の吉原の女たちを描いた『赤線地帯』が遺作となり、次回作『大阪物語』の準備中に体調を崩し、「ちょっと病院に行ってくる」と告げて病院に行くと白血病だとわかり急遽入院したが、その当時の医学では手の施しようがなく、そのまま回復に向かうことなくこの世を去った。享年58。

影響[編集]

ジャン=リュック・ゴダールをはじめ、フランソワ・トリュフォーエリック・ロメールベルナルド・ベルトルッチジャック・リヴェットピエル・パオロ・パゾリーニビクトル・エリセなどヌーヴェルヴァーグ世代のヨーロッパの映画作家に多大な影響を与えた。とりわけ溝口の墓参までしたゴダールの溝口への傾倒ぶりは有名で、「好きな監督を3人挙げると?」との問いに「ミゾグチ、ミゾグチ、ミゾグチ」と答えるほどだった。

没後50年にあたる2006年には、DVD BOXのリリースや名画座などでの回顧特集が組まれ、改めて注目を浴びた。

おもな監督作品[編集]

1953年(昭和28年)までの作品は著作権の保護期間が完全に終了した(公開後50年と監督死後38年の両方を満たす)と考えられている。このためいくつかの作品が現在格安版DVDで発売されている。

公開年 作品名 製作 / 配給 脚本、脚色 主な出演者 上映時間ほか
1923年 愛に甦へる日 日活向島撮影所 / 日活 若井治 山本嘉一森きよし小栗武雄小泉嘉輔上杉六郎 60分/白黒/無声
故郷 溝口健二 山本嘉一、吉田豊作、小栗武雄、南光明中村吉次 -分/白黒/無声
青春の夢路 吉村哲哉宮島啓夫酒井米子、上杉六郎、市川春衛 -分/白黒/無声
情炎の巷 南光明、森きよし、三桝豊、小栗武雄、中村米次 -分/白黒/無声
敗残の唄は悲し 吉田豊作、澤村春子、宮島啓夫、水木京子瀬川つる子 -分/白黒/無声
813 田中総一郎、溝口健二 南光明、星野弘喜、青山万里子、瀬川鶴子、吉田豊作 -分/白黒/無声
霧の港 田中総一郎 市川春衛、澤村春子、森英治郎、山本嘉一 -分/白黒/無声
溝口健二 葛木香一保瀬薫、酒井米子、稲垣浩五味国男 -分/白黒/無声
廃墟の中 澤村春子、葛木香一、小泉嘉輔、山本嘉一 -分/白黒/無声
血の霊 江口千代子、市川春衛、水島亮太郎、酒井米子、三桝豊 -分/白黒/無声
峠の唄 日活京都撮影所 / 日活 山本嘉一、澤村春子、三桝豊、堀富貴子、水島亮太郎 -分/白黒/無声
1924年 悲しき白痴 高島達郎 小泉嘉輔、酒井米子、葛木香一、若葉馨高木桝二郎 -分/白黒/無声
暁の死 日活京都撮影所第二部 伊藤松雄 小泉嘉輔、鈴木歌子、澤村春子、木藤茂、水島亮太郎 -分/白黒/無声
現代の女王 日活京都撮影所第二部 / 日活 村田実 酒井米子、南光明、三桝豊、千草香子、上杉六郎 -分/白黒/無声
女性は強し 日活文芸部 三桝豊、酒井米子、松本静枝宮部静子、木藤茂 -分/白黒/無声
塵境 田中総一郎 鈴木伝明高木永二浦辺粂子、水木京子、北村純一 -分/白黒/無声
七面鳥の行衛 畑本秋一 北村純一、高木永二、徳川良子、小泉嘉輔、稲垣浩 -分/白黒/無声
伊藤巡査の死 日活文芸部 佐藤円治林正夫 -分/白黒/無声
さみだれ草紙 (紅殻) 横山鉱寿 鈴木歌子、桂照子、小泉嘉輔、稲垣浩、藤原邦次郎 -分/白黒/無声
恋を断つ斧 楠山律 浦辺粂子、若葉馨、三桝豊、小泉嘉輔、鈴木歌子 -分/白黒/無声
歓楽の女 畑本秋一 山本嘉一、三桝豊、酒井米子、林正夫、吉田豊作 -分/白黒/無声
曲馬団の女王 浦辺粂子、鈴木伝明、近藤伊与吉、宮部静子、御子柴杜雄 -分/白黒/無声
1925年 噫特務艦関東 中村英雄中原光雄、南光明、山本嘉一、浦辺粂子 -分/白黒/無声
無銭不戦 畑本秋一 山本嘉一、浦辺粂子、水木京子、高木永二、御子柴杜雄 -分/白黒/無声
学窓を出でて 溝口健二 南光明、三桝豊、森清、高島愛子、近藤伊与吉 -分/白黒/無声
大地は微笑む 第一篇 畑本秋一 高木永二、中野英治梅村蓉子東坊城恭長、星野弘喜 -分/白黒/無声
白百合は歎く 清水竜之介 岡田嘉子、高木永二、御子柴杜雄、近藤伊与吉、山本嘉一 -分/白黒/無声
赫い夕陽に照されて 畑本秋一 中野英治、南光明、渡辺邦男伊藤真吉、梅村蓉子 -分/白黒/無声
ふるさとの歌 日活関西撮影所教育部 / 日活 清水竜之助 木藤茂、高木桝次郎、伊藤寿栄子辻峰子川又賢太郎 -分/白黒/無声
小品映画集 街のスケッチ 日活大将軍撮影所 / 日活 溝口健二 東坊城恭長、岡田嘉子、星野弘喜、高木永二、中村米次 -分/白黒/無声
人間 前後篇 畑本秋一 中野英治、岡田嘉子、高木永二、市川春衛、坂東巴左衛門 -分/白黒/無声
乃木将軍と熊さん 山本嘉一、小泉嘉輔、磯川金之助、浦辺粂子、徳川良子 -分/白黒/無声
1926年 銅貨王 溝口健二 加藤司郎西条加代子、佐藤円治、月山牧人大谷良子 -分/白黒/無声
紙人形の春の囁き 日活大将軍撮影所 / 日活新劇部 溝口健二 山本嘉一、島耕二、梅村蓉子、市川春衛、岡部時彦 -分/白黒/無声
新説己が罪 日活大将軍撮影所 / 日活 溝口健二 砂田駒子、高木永二、南光明、市川春衛、尾上松葉 -分/白黒/無声
狂恋の女師匠 川口松太郎 酒井米子、中野英治、岡田嘉子、小泉嘉助、田中春男 -分/白黒/無声
海国男児 武田晃小林正山本嘉次郎 広瀬恒美根岸東一郎、御子柴杜雄、砂田駒子、柴山一郎 -分/白黒/無声
畑本秋一、武田晃 小泉嘉輔、小松みどり、徳川良子、阪東巴左衛門、谷幹一 -分/白黒/無声
|1927年 皇恩 畑本秋一 市川春衛、高木永二、南光明、滝花久子、山本嘉一 -分/白黒/無声
慈悲心鳥 畑本秋一 山本嘉一、中野英治、岡田時彦、高木永二、夏川静江 -分/白黒/無声
1928年 人の一生 人生万事金の巻 第一篇 畑本秋一 小泉嘉輔、津島ルイ子、市川春衛、根岸東一郎、中村英雄 -分/白黒/無声
1928年 人の一生 浮世は辛いねの巻 第二篇 畑本秋一 小泉嘉輔、根岸東一郎、滝花久子、市川春衛、津島ルイ子 -分/白黒/無声
1928年 人の一生 クマとトラ再会の巻 第三篇 畑本秋一 小泉嘉輔、根岸東一郎、滝花久子 -分/白黒/無声
1928年 娘可愛や 畑本秋一、溝口健二 小泉嘉輔、北原夏江杉山昌三九 -分/白黒/無声
1929年 日本橋 日活太秦撮影所 / 日活 溝口健二、近藤経一 岡田時彦、梅村蓉子、酒井米子、高木永二、夏川静江 -分/白黒/無声
1929年 朝日は輝く 日活太秦撮影所 / 日活 木村千疋男 中野英治、村田宏寿土井平太郎沢蘭子飯塚乃夫緒 -分/白黒/無声
1929年 東京行進曲 日活太秦撮影所 / 日活 木村千疋男 夏川静江、一木礼二、高木永二、小杉勇入江たか子 -分/白黒/無声
1929年 都会交響楽 日活太秦撮影所 / 日活 岡田三郎、畑本秋一、小林正 夏川静江、小杉勇、入江たか子、高木永二、一木札二 -分/白黒/無声
1930年 藤原義江のふるさと 日活太秦撮影所 / 日活 如月敏 藤原義江、夏川静江、小杉勇、土井平太郎、村田宏寿 -分/白黒/無声
1930年 唐人お吉 日活太秦撮影所 / 日活 畑本秋一 山本嘉一、梅村蓉子、島耕二、滝花久子、一木礼二 -分/白黒/無声
1931年 しかも彼等は行く 前編 日活太秦撮影所 / 日活 畑本秋一 梅村蓉子、浦辺粂子、阪東巴左衛門、峰吟子菅井一郎 -分/白黒/無声
1931年 しかも彼等は行く 後編 日活太秦撮影所 / 日活 畑本秋一 梅村蓉子、浦辺粂子、阪東巴左衛門、高津愛子、菅井一郎 -分/白黒/無声
1932年 時の氏神 日活太秦撮影所 / 日活 畑本秋一、小林正 島耕二、夏川静江、沖悦二相良愛子 -分/白黒/無声
1932年 満蒙建国の黎明 入江ぷろだくしょん中野プロダクション / 新興キネマ 上島量増田真二 入江たか子、中野英治、松本泰輔山県直代桂珠子 -分/白黒/無声
1933年 滝の白糸 入江ぷろだくしょん / 新興キネマ 東坊城恭長、館岡謙之助、増田真二、清涼卓明 入江たか子、岡田時彦、村田宏寿、菅井一郎、見明凡太郎 -分/白黒/無声
1933年 祇園祭 新興キネマ 溝口健二 森静子、岡田時彦、鈴木澄子、菅井一郎、浦辺粂子 -分/白黒/無声
1934年 神風連 入江ぷろだくしょん / 新興キネマ 溝口健二 入江たか子、月形龍之介、小杉勇、中野英治、滝花久子 -分/白黒/無声
1934年 愛憎峠 日活多摩川撮影所 / 日活 川口松太郎 山田五十鈴夏川大二郎、鈴木伝明、市川小文治原駒子 102分/白黒/サウンド版
1935年 折鶴お千 第一映画社 / 松竹キネマ 高島達之助 山田五十鈴、夏川大二郎、芳沢一郎芝田新鳥井正 96分/白黒/解説版
1935年 マリアのお雪 第一映画社 / 松竹キネマ 高島達之助 山田五十鈴、原駒子、夏川大二郎、中野英治、歌川絹枝 -分/白黒
1935年 お嬢お吉 第一映画社 / 松竹キネマ 川口松太郎 山田五十鈴、梅村蓉子、原駒子、浅香新八郎、芝田新 -分/白黒
1935年 虞美人草 第一映画社 / 松竹キネマ 高柳春雄 夏川大二郎、月田一郎武田一義大倉千代子二条あや子 75分/白黒
1936年 初姿 第一映画社 / 松竹キネマ 高柳春雄 月田一郎、大倉千代子、梅村蓉子、小泉嘉輔、葛木香一 -分/白黒
1936年 浪華悲歌 第一映画社嵯峨野撮影所、松竹キネマ 依田義賢 山田五十鈴、梅村蓉子、大倉千代子、大久保清子、浅香新八郎 89分/白黒
1936年 祇園の姉妹 第一映画社 / 松竹キネマ 依田義賢 山田五十鈴、梅村蓉子、志賀廼家弁慶久野和子大倉文男 95分/白黒
1937年 愛怨峡 新興キネマ東京大泉撮影所 / 新興キネマ 依田義賢、溝口健二 山路ふみ子河津清三郎清水将夫、三桝豊、明春江 108分/白黒
1938年 露営の歌 新興キネマ東京撮影所 / 新興キネマ 畑本秋一 河津清三郎、山路ふみ子、菅井一郎、歌川八重子、田中春男 82分/白黒
1938年 あゝ故郷 新興キネマ東京撮影所 / 新興キネマ 依田義賢 河津清三郎、山路ふみ子、清水将夫、加藤精一山口勇 64分/白黒
1939年 残菊物語 松竹京都撮影所 / 松竹 依田義賢 花柳章太郎森赫子三代目河原崎権十郎、梅村蓉子、高田浩吉 146分/白黒
1940年 浪花女 特作プロダクション 依田義賢 坂東好太郎田中絹代、高田浩吉、川浪良太郎中村芳子 145分/白黒
1941年 芸道一代男 特作プロダクション 依田義賢 初代中村扇雀、中村芳子、林成年五代目嵐芳三郎 101分/白黒
1941年 元禄忠臣蔵 前篇 興亜映画、松竹京都撮影所 / 松竹 原健一郎、依田義賢 四代目河原崎長十郎三代目中村翫右衛門五代目河原崎國太郎、五代目嵐芳三郎、坂東調右衛門 112分/白黒
1942年 元禄忠臣蔵 後篇 松竹京都撮影所 / 松竹 原健一郎、依田義賢 四代目河原崎長十郎、三代目中村翫右衛門、四代目中村鶴蔵、五代目河原崎國太郎、坂東調右衛門 111分/白黒
1944年 団十郎三代 松竹京都撮影所 / 松竹 川口松太郎 三代目河原崎権十郎飯塚敏子沢村アキヲ京マチ子、田中絹代 65分/白黒
1944年 宮本武蔵 松竹京都撮影所 / 松竹 川口松太郎 四代目河原崎長十郎、三代目中村翫右衛門、生島喜五郎、田中絹代 55分/白黒
1945年 名刀美女丸 松竹京都撮影所 / 松竹 川口松太郎 花柳章太郎、山田五十鈴、大矢市次郎柳永二郎伊志井寛 67分/白黒
1945年 必勝歌 松竹京都撮影所 / 松竹 清水宏岸松雄 佐野周二、大矢市次郎、沢村貞子島田照夫、小杉勇 117分/白黒
1946年 女性の勝利 松竹大船撮影所 / 松竹 野田高梧新藤兼人 田中絹代、桑野通子高橋豊子内村栄子三浦光子 84分/白黒
1946年 歌麿をめぐる五人の女 松竹京都撮影所 / 松竹 依田義賢 六代目坂東簑助、田中絹代、坂東好太郎、川崎弘子、飯塚敏子 74分/白黒
1947年 女優須磨子の恋 松竹京都撮影所 / 松竹 依田義賢 田中絹代、山村聡東野英治郎千田是也青山杉作 96分/白黒
1948年 夜の女たち 松竹京都撮影所 / 松竹 依田義賢 田中絹代、高杉早苗角田富江永田光男、村田宏寿 75分/白黒
1949年 わが恋は燃えぬ 松竹京都撮影所 / 松竹 依田義賢、新藤兼人 田中絹代、水戸光子小沢栄太郎、菅井一郎、三宅邦子 84分/白黒
1950年 雪夫人絵図 滝村プロダクション新東宝 / 新東宝 依田義賢、舟橋和郎 木暮実千代上原謙、柳永二郎、久我美子浜田百合子 88分/白黒
1951年 お遊さま 大映京都撮影所 / 大映 依田義賢 田中絹代、乙羽信子堀雄二、柳永二郎、進藤英太郎 95分/白黒
1951年 武蔵野夫人 東宝 依田義賢 田中絹代、森雅之、山村聡、轟夕起子片山明彦 92分/白黒
1952年 西鶴一代女 児井プロダクション・新東宝 / 新東宝 依田義賢、溝口健二 田中絹代、山根寿子三船敏郎宇野重吉、菅井一郎 148分/白黒
1953年 雨月物語 大映京都撮影所 / 大映 川口松太郎、依田義賢 京マチ子、水戸光子、田中絹代、森雅之、小沢栄 97分/白黒
1953年 祇園囃子 大映京都撮影所 / 大映 依田義賢 木暮実千代、若尾文子、河津清三郎、進藤英太郎、菅井一郎 85分/白黒
1954年 山椒大夫 大映京都撮影所 / 大映 八尋不二、依田義賢 田中絹代、花柳喜章香川京子、進藤英太郎、河野秋武 124分/白黒
1954年 噂の女 大映京都撮影所 / 大映 依田義賢、成沢昌茂 田中絹代、七代目大谷友右衛門、久我美子、進藤英太郎、浪花千栄子 84分/白黒
1954年 近松物語 大映京都撮影所 / 大映 依田義賢 長谷川一夫、香川京子、南田洋子、進藤英太郎、小沢栄 102分/白黒
1955年 楊貴妃 大映東京撮影所ショウ・ブラザーズ 陶秦、川口松太郎、依田義賢、成沢昌茂 京マチ子、森雅之、山村聡、小沢栄、山形勲 98分/カラー
1955年 新・平家物語 大映京都撮影所 / 大映 依田義賢、成沢昌茂、辻久一 市川雷蔵、久我美子、林成年、木暮実千代、大矢市次郎 108分/カラー
1956年 赤線地帯 大映東京撮影所 / 大映 成沢昌茂 京マチ子、若尾文子、木暮実千代、三益愛子町田博子 86分/白黒

その他の作品[編集]

出演作品[編集]

受賞歴[編集]

  • 西鶴一代女(1952年ヴェネツィア国際映画祭「国際賞」、BBC選出「21世紀に残したい映画100本」)
  • 雨月物語(1953年ヴェネツィア国際映画祭「銀獅子賞」、米アカデミー賞衣装デザイン賞ノミネート、ナショナル・ボード・オブ・レビュー「経歴賞」)
  • 近松物語(第8回カンヌ国際映画祭出品)
  • 山椒大夫(1954年ヴェネツィア国際映画祭「銀獅子賞」)
  • 新・平家物語 (1955年ヴェネツィア国際映画祭出品)
  • 楊貴妃(1955年ヴェネツィア国際映画祭出品)
  • 赤線地帯(1956年ヴェネツィア国際映画祭出品)

作風[編集]

Kenji Mizoguchi 2.jpg
  • 演技の流れをカット割りによって断ち切ってしまうことを嫌い、特に後年の作品においては1カットが数分に及ぶような長回しを多用した。結果として流麗かつ緊張感にあふれた演出を編み出し、右腕であったカメラマン宮川一夫の撮影とあわせて高評価を得た。
  • 上述通り女性を中心に据えた濃密なドラマの演出に才を見せる一方、歴史劇製作に際しての綿密な考証によっても知られる。『元禄忠臣蔵』撮影の際は実物大の松の廊下のセットを製作(建築監督として新藤兼人が参加)したり、『楊貴妃』では当時の中国唐代研究の最高峰である京都大学人文科学研究所に協力を依頼したり、宮内庁雅楽部の尽力により唐代の楽譜を音楽に活用するといった、妥協のない映画作りを展開している。また、日本画家甲斐庄楠音を時代風俗考証担当に抜擢した事でも知られる。
  • 役者に演技をつけずやり直しを命じ、悩んだ役者がどうすればいいのか訊いても「演技するのが役者の領分でしょう」といっさい助言などをしなかった。出演者に強い負荷と緊張を強いる演出法ながら、「ちゃんと考えて、セットに入るときにその役の気持ちになっていれば、自然に動けるはずだ、と監督さんはおっしゃるんです。それは当然ですよね」という香川京子のコメント[1]などの好意的な評価も見られる。
  • 演出の際、俳優たちに「反射していますか」と口癖のように言って回った。これは「相手役の演技を受けて、自分の演技を相手に“はね返す”」といったような意味合いであったといわれる。長回し主体の溝口演出においては重要な点であった。
  • こうした一切の妥協を見せず、俳優やスタッフを厳しく叱咤する演出法から、「ゴテ健」とあだ名された。「ゴテる」は「不平や不満を言うこと」を意味する当時の流行語。
  • 『西鶴一代女』で家並みのセットを作ったところ、溝口がやってきて「下手の家並みを一間前に出せ」といった。それはほんのワンシーンのためのセットで映画の中でさほど重要ではない。助監督はやむなく嫌がる大道具のスタッフに頭を下げて徹夜で作り直させた。翌日、セットを見て監督が言うには「上手の家並みを一間下げろ」。つまり結局は元に戻せということであり、助監督は激怒して帰宅してしまった。ただしこの無茶苦茶な指示は、演出に行き詰って苦悩していた溝口が時間稼ぎに行った苦肉の策だったともいわれる。
  • 宮川一夫(カメラマン)、依田義賢(脚本)、水谷浩(美術)、早坂文雄(音楽)といった才能あふれるスタッフが溝口組に参加していた。中でも水谷は日本では他のスタッフより知名度が低いが、反対にフランスでは水谷が一番有名。彼の手による溝口のデスマスクが、現在でも保管されている。

人物[編集]

  • 映画人との私的な交際はあまり見られなかったが、田中絹代とは公私にわたる親交を育んだ。田中との親交を物語るエピソードとして、幼時から「美人ではないが(演技力がある)」という冠詞をもって語られることの多い田中に、『お遊さま』撮影に際し「あなたを最も美しく撮ります」と語ったという話がある。また溝口は小津や新藤らに、田中への求婚の意志を漏らしたことがあった。
  • 田中とはその後、彼女が映画監督をやることになったことを記者から聞かされて「田中の頭では監督は出来ません」と答え、これがもとで関係が冷却したといわれている。ただしこのコメントには田中が自分の元から離れてしまうことへの嫉妬心があったともいわれる。その田中は溝口没後、「他人だからという言葉では割り切れないものが、やっぱりわたしにはございますね」と語っている(『ある映画監督の生涯』)。
  • 情婦を怒らせ斬りつけられるほど、女性に対する暴言は有名。背中の傷跡については「これぐらいのことをされないと、女は描けないよ」と自ら語っている。また、妻を発狂させるほど追い込んでもいる。『祇園囃子』の際、若尾文子に対して決して名前を呼ばず「おい、子供」、『赤線地帯』の際には「顔の造作が悪い」と罵倒した。かつて入江ぷろだくしょんに雇われ、名匠と呼ばれるきっかけを作った恩人でもあった入江たか子に対してすら、『楊貴妃』の際「化け猫ばかりやっているからそんな芸格のない芝居しか出来ないのだ」と満座の中で罵倒している。また『雨月物語』の際、水戸光子に向かって、「あんたは輪姦された経験がないんですか!」 と言い放った。一人田中絹代に対してのみは、「田中の頭では」の一言を除いて、常に紳士的な態度を崩さなかった。
  • 他に『わが恋は燃えぬ』の際、菅井一郎に向かって、「君は脳梅毒です! 医者に診てもらいなさい!」と言い放ち、『山椒大夫』の際、子役に向かって「この子はどうしようもないバカだね!」と言い、すぐ近くにいた母親を落胆させている。
  • 一方で『雨月物語』撮影中には、会心の演技を見せた森雅之が「誰かタバコをください」と言った時に、自ら率先してタバコを差し出し、火を点けて労ったという話もある。これにはスタッフや森自身も大いに驚いたらしい。
  • また、映画の撮影途中で妻が精神に異常をきたしたと知った際は、人目も憚らず号泣したという。スタッフ一同も「監督があれでは今日の撮影は中止かもしれない」と覚悟していたが、しばらくすると溝口が先ほどまで泣いていたような雰囲気を見せず監督の顔になって「撮影を再開しましょう」とスタッフ達に呼びかけ、これには製作陣一同も驚いたという。このように、他人に厳しいばかりではなく、自分にも厳しい人物であった。
  • 『西鶴一代女』を製作した児井英生[2]によると溝口監督はわがままで、権威のある人には弱く、目下のものには横暴というタイプであるため、役者からもスタッフからも嫌われていた。さらに映画で使われた道具を内緒で自分のものにしてしまったり、自分の生活費の一部を映画の製作費から支払わせていたということもあったという。
  • ただし、溝口に崇拝の念を抱いている新藤兼人などは人格面でも一定の評価を下している。
  • 友人は少なかったが、幼馴染の川口松太郎花柳章太郎とは長年にわたって親交を結んだ。
  • 成瀬巳喜男の『浮雲』が話題になっていたとき、当時の助監督の熱心な勧めによって鑑賞したが、その助監督に「成瀬には金玉が付いとるのですか」と感想を語ったことがある。両者の作風や人間性の違いを物語るエピソードである。
  • 日本映画史上初の女性監督は坂根田鶴子(さかね たづこ)で、彼女は戦前の溝口作品で助監督を務めていた。そして二人目は田中絹代であり、溝口は女性監督第1号と第2号に深く関わっていることになる。
  • 映画会社から新人だった宮川一夫を使うよう命じられて、溝口はひどく立腹するが、いざ仕事をしてみるとその才能を認めた溝口は宮川を右腕として信頼し、こと撮影に関しては彼の意見の多くを取り入れるほどだった。後に別の監督の作品が撮影が延びに延びたため宮川がその次に予定されていた溝口の作品に参加できなくなると、今度は「僕たちの仲を裂くんですか!」と会社に猛抗議するほどだった。
  • 溝口は俳優の演技に興奮すると我を忘れて手をブルブル震わせる癖があり、その振動が横にあるカメラにまで伝わるほどだった。そこで高い場所など不安定な位置からの撮影時は、本番になると溝口と同じ体重分の鉄板をカメラの横に置いて、本人は別の場所に移動してもらっていた。本番もできるだけカメラと同じ位置で見ようと、梯子の上に座布団を乗せて馬乗り状態の溝口の写真が残っている。当初は宮川一夫からこれを指摘されても全然本気にしなかったが、ある日ラッシュ(未編集の下見用フィルム)で画面のブレを目の当たりにして、「こんなに震えているのかい?」と照れくさそうに笑いながら素直にその非を認めたという。
  • 『赤線地帯』完成後、溝口は体調を崩して入院するが、依田の手による次回作『大阪物語』は既にクランクインしていた。これは『西鶴一代女』に続く井原西鶴もので、スタッフが集められ、撮影が始まったところでの緊急入院となった。溝口は西鶴の人間味溢れるバイタリティを高く評価していたため、この作品の映画化にとりわけ執念を燃やしていた。見舞いに駆けつけた新藤兼人らに「ラストシーンの演出ができた」と語っていたほどだが、間もなく死去した。同作は吉村公三郎が監督を引き継いで完成させている。
  • 墓は東京の池上本門寺に作られ、分骨されて京都の満願寺にも記念碑が作られた。池上本門寺では、『残菊物語』『名刀美女丸』の花柳章太郎一家の墓が溝口の墓と隣どうしで並んでいる。

関連項目[編集]

参考書籍・映像資料[編集]

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  1. ^ 没後五十年特別企画「溝口健二の映画」カタログ「はじめての溝口健二」
  2. ^ 児井英生 『伝・日本映画の黄金時代』 文藝春秋、1989年ISBN 4163430105p182

外部リンク[編集]