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年表:4世紀-5世紀-6世紀
5世紀は401年から500年までの100年間を指す。
[編集] できごと
- 401年 - クチャの仏僧である鳩摩羅什が長安に来訪。
- 402年 - 柔然の社崙が初めて可汗を称する。
- 404年 - 倭軍、もとの帯方郡の地域に出兵し、高句麗軍に撃退される。(広開土王碑)
- この頃、大王クラスの大形前方後円墳が奈良盆地から大阪平野に移り、更に巨大化する。人物埴輪が現れる。
- 410年 - 西ゴート人のアラリックがローマ市を占領・掠奪。西ローマ帝国の衰亡が決定的になる。
- 410年 - 西ローマ帝国のブリタンニア支配の終わり。
- 413年 - 倭国、東晋に朝献する。(東晋・義煕9、『晋書』安帝紀、『太平御覧』)
- 414年 - 西ゴート人がイベリア半島に侵入。高句麗の広開土王(好太王)碑建つ。
- 415年 - 西ゴート王国が成立する。
- 420年 - 劉裕が東晋から政権を奪って、宋 (南朝)を建国(宋の武帝)。
- 421年(宋・永初2年)- 倭王の讃、宋に朝献し、宋の武帝から、除綬の詔うける。(おそらく安東将軍倭国王)(『宋書』倭国伝)
- 425年(宋・元嘉2年)- 倭王の讃、司馬の曹達を遣わし、宋の文帝に貢物を献ずる。(『宋書』倭国伝)
- 425年 - エフタルがバクトリア地方に侵入
- 427年 - 高句麗が平壌に遷都する。陶淵明没。
- 429年 - ガイセリック率いるゲルマン人のヴァンダル族が北アフリカにヴァンダル王国をたてる。
- 430年 (宋・元嘉7年)- 倭国王、宋に使いを遣わし、貢物を献ずる。(おそらく讃)(『宋書』文帝紀)
- この頃、各地に巨大古墳出現する。馬具や甲冑、刀などの武器が副葬されるようになる。
- 431年 - エフェソス公会議でネストリウス派(のちの景教)が異端宣告される。
- 434年 - アッティラがフン族の王となる。
- 438年(宋・元嘉15年)- これより先、倭王讃没し、弟珍立つ。この年、珍宋に朝献し、自ら「使持節都督・百済・新羅・任那・秦韓・慕韓六国諸軍事安東太将軍倭国王」と称し、正式の任命を求める。(『倭国』倭国伝)4月、宋、の文帝、珍を安東将軍倭国王とする。(『宋書』文帝紀)珍はまた倭隋ら13人を平西・征虜・冠軍・輔国将軍にされんことを求め、許される。(『宋書』倭国伝)
- 439年 - 北魏の太武帝が華北を統一、中国は南北朝時代となる。
- 442年 - 且渠氏により高昌国が成立。
- 443年(宋・元嘉20年)- 倭国王の済、宋に朝献して、安東将軍倭国王とされる。
- 443年 - スイス・フランス東南部にブルグント王国が成立
- 446年 - 北魏の太武帝が廃仏の詔を出す。
- 449年 - エフェソス強盗会議が開かれる
- 450年ごろ - アングロ・サクソン族がブリテン島に移住。
- 451年 - カタラウヌムの戦いで西ローマ・ゴート連合軍がフン族のアッティラ王を破る。カルケドン公会議。
- 452年 - アッティラ率いるフン族がイタリアに進攻。
- 455年 - ヴァンダル人のガイセリックがローマを占領
- 460年 - 北魏で雲崗石窟の工事始まる。
- 471年 - 埼玉県行田市稲荷山古墳から出土した「辛亥年七月中」の干支銘を持つ金錯銘鉄剣が製作される。
- 475年 - 高句麗が百済の漢城を攻める
- 476年 - ゲルマン人傭兵隊長オドアケルによって西ローマ帝国が滅亡。オドアケルはイタリアに君臨する。
- 477年 - 倭国が宋に朝献する。(『宋書』順帝紀)これより先、興没し、弟の武立つ。
- 478年 - 倭王武が宋に入貢して上表する。「父祖の功績と父兄の志を述べ、高句麗の無道を糾弾し、自ら開府儀同三司と称し、正式の任命を求める。宋の順帝武を「使持節都督倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事安東太将軍倭王」とする。(『宋書』順帝紀、『宋書』倭国伝)
- 479年 - 中国で南朝の宋に代わり斉が成立。
- 485年 - 北魏の孝文帝が均田制を実施する。
- 486年 - クロヴィス1世がメロヴィング朝フランク王国を建国
- 487年 - 高車が柔然の支配から脱してジュンガリアに建国
- 493年 - 東ゴート人の族長テオドリックがオドアケルを破ってイタリアに東ゴート王国を建国。
- 494年 - 北魏が大同から洛陽に遷都する。
- 496年 - クロヴィス1世がカトリックに改宗する。
- 498年 - トルファン地方に麹氏の高昌国が興る。
- 日本各地で大型前方後円墳が築造される(古墳時代)。
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[編集] 10年紀と各年