ガイセリック

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ヴァンダル族を率いてローマを略奪するガイセリック

ガイセリックラテン文字表記:Gaisericなど、389年頃 – 477年1月25日)は、古代ゲルマン人の一支族ヴァンダル族の王北アフリカヴァンダル王国を築き、ローマ帝国の主に西部を攻めて、ローマを悩ました。

生涯[編集]

432年、8万人を率いてヨーロッパからアフリカに渡り、現在のモロッコからアルジェリアに及ぶ地域で数々の戦いに勝利し、街を包囲して滅ぼした。カルタゴを包囲の後に占領し、カルタゴ港内にあった西ローマ帝国海軍の艦船の大部分を拿捕した。ガイセリックは「ヴァンダルとアランの王」を名乗り、北アフリカにヴァンダル王国を築き、西ローマ帝国にとって深刻な脅威となった。このとき手に入れた軍船を用い、ヴァンダル王国はシチリア島サルディニア島コルシカ島を服従させた。442年、ローマ帝国はアフリカ属州が征服されたことを公に認め、ヴァンダル王国を承認した。

その後、約30年の間、ヴァンダル族は地中海各地を略奪する海賊として活動した。

451年フン族の王アッティラと同盟し、ガリアに侵攻したが、西ローマ帝国の将軍アエティウスに、カタラウヌムの戦いで敗れた。455年西ローマ皇帝ウァレンティニアヌス3世が殺害され、これに危機感を抱いたウァレンティニアヌスの妃は、ガイセリックに救援を求めた。これを大義名分としたガイセリックは442年にウァレンティニアヌスと結んでいた平和条約を破棄し、イタリアへ上陸、ローマへ侵攻した。ローマ教皇レオ1世は使者を送って、ガイセリックに虐殺や市の破壊をしないように求めた。ガイセリックがこの申し出に合意したため、ローマの城門は、ヴァンダル族の軍隊を迎えるために開かれた。このときガイセリックに率いられたヴァンダル族がローマを略奪し、ヴァンダルの名はヨーロッパ諸国では現在も「略奪者」「文化の破壊者」の意味で用いられる。インターネットで荒らし行為をヴァンダリズム(vandalism)と呼び、荒らし行為を行う者を vandal(ヴァンダル人)と呼ぶのもその一端である。

ヴァンダル人による略奪をとめるため、東西ローマ帝国はともにヴァンダル王国を服属させようとしたが、ガイセリックはなかなか応じようとしなかった。474年、ガイセリックは東ローマ帝国との和平に応じた。477年、ガイセリックは87歳(他の資料では77歳)でカルタゴで死去した。