ヒエロニムス

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ヒエロニムス(画:ドメニコ・ギルランダイオ

エウセビウス・ソポロニウス・ヒエローニュムス(Eusebius Sophronius Hieronymus, 340年頃 - 420年9月30日)は、キリスト教の聖職者・神学者。聖書のラテン語訳であるウルガータ訳の翻訳者として知られる。四大ラテン教父のひとりであり、正教会非カルケドン派カトリック教会聖公会ルーテル教会聖人とされる(カトリックでは教会博士)。日本ハリストス正教会での呼称は克肖者イエロニムである。

生涯と業績[編集]

ヒエロニムスはダルマティアで生まれた。両親はキリスト教徒だったが、彼自身はキリスト教に興味がなく、ローマに留学したのも修辞学と哲学の勉強のためであった。ギリシア語を習得し、ガリアアナトリア半島をめぐって古典の研究に没頭したが、373年ごろアンティオキアで重病にかかり、神学の研究に生涯をささげることを決意、シリアの砂漠で隠遁生活を送ってヘブライ語を学んだ。

378年に叙階されたあとはコンスタンティノポリスナジアンゾスのグレゴリオスと知り合い、さらに382年、ローマへ行ってローマ教皇ダマスス1世に重用されるようになる。ローマ滞在中にラテン語訳聖書の決定版を生み出すべく、全聖書の翻訳事業にとりかかった。彼はギリシャ語新約聖書と七十人訳聖書(セプトゥアギンタ)を底本とし、ヘブライ語聖書も参照していた。

384年にダマスス1世が世を去ると、庇護を失ったヒエロニムスはローマを去って聖地エルサレムへ向かった。ベツレヘム、エルサレムだけでなくエジプトへも赴いて、自らの神学研究の幅を広げた。ヒエロニムスはベツレヘムに落ち着くと、著述のかたわら聖書の翻訳を続け、405年ごろ完成させた。この聖書こそが中世から20世紀の第2バチカン公会議にいたるまでカトリックのスタンダードであり続けた「ウルガータ」訳聖書であった。ウルガータ(Vulgata)はラテン語で「公布されたもの」という意味である。420年にベツレヘムで没するまでに、多くの神学的著作、書簡を残した。

ギリシア語、ヘブライ語をはじめ諸言語に通じ、豊かな古典知識を備えたヒエロニムスは、神学の水準向上と聖書研究の歴史に大きな足跡をしるしている。

ゴート族の侵入によってローマが占領される同時期の人物でもあり、このことについて嘆く手紙を残している。

著作(日本語訳) [編集]

  • ウォルター・ダンフィー、大橋真砂子「<資料>ヒエロニュムス『ドムニオ宛書簡』(Ep.50): 翻訳と注解」、『南山神学』第20号1997年、 125–143。
  • 荒井洋一 『中世思想原典集成4 初期ラテン教父』 上智大学中世思想研究所、平凡社、1999年、601-733頁。ISBN 4582734146(『最初の隠修士パウルスの生』『書簡21、22』所収)
  • 小高毅 『古代世界の説教』 小高毅、教文館、2012年、279‐285。ISBN 9784764273351(『新受洗者への詩編42編に関する説教』所収)

出典・参考文献[編集]