ノウァティアヌス (対立教皇)
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ノウァティアヌス(Novatianus, ? - 258年)は、コルネリウス・ルキウス・ステファヌス1世・シクストゥス2世の4代にわたっての対立教皇である(在位:251年 - 258年)。
生涯 [編集]
ノヴァティアヌス派の創始者で、改宗キリスト教徒であった。著書に「三位一体論」がある。
250年1月にファビアヌスがローマ皇帝のデキウスによって殺害されると、次の教皇であるコルネリウスが選出されるまで14ヶ月の空位期間があったが、このとき実質的にローマ教皇として職務を遂行したのが当時ローマ教会の長老だったノウァティアヌスであった。このため、次の教皇として期待されていたが、251年3月にコルネリウスと教皇選挙で戦って敗れた。しかし教会の一部ではノウァティアヌスを教皇として見なす者も多く、彼は対立教皇として擁された。
258年にローマ皇帝のウァレリアヌスの迫害を受けて殺害された。
ノウァティアヌスがファビアヌスの死後、14ヶ月間にわたって実質的なローマ教皇を務めたことから、正式なローマ教皇と見なす意見もある。[要出典]しかし当時、ローマ皇帝の迫害に屈して信仰を捨てたラプス(いわゆる離教者)の復帰を認めない強硬派だったことからノウァティアヌスに対する反感も根強く、[要出典]生前にはローマ教会会議で正統性を否定された。死後67年たった325年に開かれた第1ニカイア公会議でもその正統性を否定されている。
参考文献 [編集]
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