アンティオキアのイグナティオス
アンティオキアのイグナティオス(35年頃-110年)は、アンティオキアの主教(司教)、そして使徒ヨハネの弟子であった。正教会、非カルケドン派、カトリック教会、聖公会、ルーテル教会などで聖人とされる。日本正教会では神品致命者捧神者聖イグナティと表記される。
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[編集] 概略
イギナティオスは若年の頃にキリスト教に帰依し、ローマ皇帝がネルヴァからトラヤヌスに変わった頃(98年)にはアンティオキア教会の第2代目の司教になった[1]。ローマで殉教する旅の途中、イグナティオスは、最も初期のキリスト教神学の例と見なされている一連の手紙を書き送った[2]。これは、教会論、サクラメント論、主教論を含んでいる。
イグナティオスは、ローマのクレメンスとポリュカルポスとともに、使徒教父の筆頭であり、個人的に使徒を知っていた初期のキリスト教著述家の一人であると伝えられる[3]。
聖イグナティオスの日は西方教会では10月17日に、東方教会では12月20日に祝われる。カトリック教会では2月1日である。
[編集] 思想
イグナティオスは、司教に対する態度が神およびキリストに対する態度を決定するものであることを主張し、使徒・預言者・教師を尊敬することによってキリスト教団への忠誠を確保しようとした(司教論)[4]。実践面では礼拝式を厳守したのも彼が嚆矢とされる(サクラメント論)[5]。
イグナティオスの神学は、グノーシス派を排撃しつつキリストによる救済事業を強調し、旧約時代よりキリスト出現以降の歴史を優先した点で新しかった。従って彼の態度はパウロの立場に近似し、メリトやエイレナイオスに影響を与え、メトディウス、アタナシオス、ニュッサのグレゴリウス、アレキサンドリアのキリルスにまで及ぶ精神的伝統となった[6]。
[編集] 脚注
- ^ エウセビオス、秦剛平・訳 『教会史・上』 講談社学術文庫、2010年、P.176。
- ^ エウセビオス、秦剛平・訳 『教会史・上』 講談社学術文庫、2010年、P.201。
- ^ エウセビオス、秦剛平・訳 『教会史・上』 講談社学術文庫、2010年、P.201。
- ^ D・A・v・ハルナック 『教義史綱要』 久島千枝、1997年、P.39。
- ^ D・A・v・ハルナック 『教義史綱要』 久島千枝、1997年、P.39。
- ^ D・A・v・ハルナック 『教義史綱要』 久島千枝、1997年、P.39。
[編集] 参考文献
- D・A・v・ハルナック、山田保雄・訳『教義史綱要』(1997年)
[編集] 外部リンク
- Early Christian writings: On-line texts of St. Ignatius' letters
- Catholic Encyclopedia: St. Ignatius of Antioch
- The Short Syriac Version
- The Ecclesiology of St. Ignatius of Antioch by Fr. John S. Romanides
- Saint Ignatius
- Opera Omnia by Migne Patrologia Graeca with analytical indexes
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