ブルグント王国
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ブルグント王国(ブルグントおうこく)は、ローヌ川流域を領土として存在した王国。411年にゲルマン民族の一派ブルグント族がこの地に侵入して建国した。ブルグント王国は534年にフランク王国によって滅ぼされたが、その後もフランク王国内で独立性を持った地域として国王がおかれることがあった。
9世紀末のカロリング朝の混乱により、ブルグントにはユラ山脈以北のユーラブルグント王国とユラ山脈以南のキスユラブルグント王国(プロヴァンス王国)が建国され、両国は933年に併合された。933年以降は単にブルグント王国またはアルル王国と呼ばれる。1032年、ブルグント王家の断絶によりブルグント王位はドイツ王・イタリア王・神聖ローマ皇帝が帯びることとなった。以後、ブルグント王国は次第に形骸化した。
なお、「ブルグント」は「ブルゴーニュ」とも呼ばれるが、ブルゴーニュ公やブルゴーニュ伯、ポルトガル王国のブルゴーニュ朝やカスティーリャ王国のブルゴーニュ朝は、ブルグント王国とは別のものである。