ブルグント王国

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ブルグント王国
西ローマ帝国 411年 - 1032年[1] 神聖ローマ帝国
フランク王国
首都 不明
411年 - 436年 グンダハール(初代)
523年 - 534年 ゴドマール(ブルグント族最後の国王)
879年 - 887年 ボソ(キスユラ・ブルグント王国初代)
888年 - 912年 ルドルフ1世(ユーラ・ブルグント王国初代)
993年 - 1032年 ルドルフ3世(最後)
変遷
成立 411年
ブルグント族のブルグント王国滅亡 534年
キスユラ・ブルグント王国成立 879年
ユーラ・ブルグント王国成立 912年
ブルグント王家断絶、神聖ローマ帝国の支配下となる 1032年
ブルグント族が443年にサヴォイに定住した後の、ブルグント族の"第一の王国"
534年から843年の、フランク帝国の一部としてのブルグント王国
879年から933年までの、上ブルグント(ユーラブルグント)および下ブルグント(キスユラブルグント)王国

ブルグント王国(ブルグントおうこく)は、ローヌ川流域を領土として存在した王国

名称[編集]

「ブルグント」は「ブルゴーニュ」とも言うが、ブルゴーニュ公ブルゴーニュ伯ポルトガル王国ブルゴーニュ朝カスティーリャ王国ブルゴーニュ朝は、ブルグント王国とは別のものである。

歴史[編集]

ブルグント王国[編集]

411年ゲルマン民族の一派ブルグント族がこの地に侵入して建国した(第一ブルグント王国)。

443年に再び建国した(第二ブルグント王国)。 ブルグント王国は534年フランク王国に滅ぼされた。

影響[編集]

滅亡後[編集]

滅亡後もフランク王国内で独立性のある地域として国王がおかれることがあった。

9世紀末のカロリング朝の混乱によって、ブルグントにはユラ山脈以北のユーラブルグント王国とユラ山脈以南のキスユラブルグント王国プロヴァンス王国)が建国された。

アルル王国[編集]

933年に、ユーラブルグント王国キスユラブルグント王国を併合した。933年以降は単にブルグント王国またはアルル王国と言う。1032年、ブルグント王家の断絶によってブルグント王位はドイツ王イタリア王神聖ローマ皇帝が帯びることとなった。以後、ブルグント王国は次第に形骸化した。

脚注[編集]

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  1. ^ 表記はブルグント王家断絶年。ブルグント族のブルグント王国滅亡は534年879年にキスユラ・ブルグント王国成立、912年にユーラ・ブルグント王国成立。ユーラ・ブルグント王は933年にキスユラ・ブルグント王国を併合し単にブルグント王国、アルル王国と呼ばれる国となる。

関連項目[編集]