キスユラブルグント王国
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
キスユラブルグント王国(Cisjuranien)は、旧ブルグント王国のあった地域のユラ山脈以南に存在した王国。ボソがプロヴァンス王位についてプロヴァンスを支配したためプロヴァンス王国とも呼ぶ。また下ブルグント王国とも呼ぶ。プロヴァンスは西フランク王国領となっていて、西フランク王ルイ2世は西フランク王国をルイ3世とカルロマンの2人の息子に分割統治させ、ルイ3世がネウストリアを相続したため、プロヴァンス王位はルイ3世のものとなるが、879年にボソが反乱をおこしてプロヴァンス王位につき、首都をヴィエンヌとし、キスユラブルグント王国が成立した。ボソは東フランク王カール3世と西フランク王カルロマンにより攻撃され、一度は防いだが、再び攻撃されて、882年に領土を奪われ、再びプロヴァンスは西フランク王国領となった。そして884年、カール3世が西フランク王位を獲得し、カール3世によりフランク王国が統一された。888年にカール3世が死去し、ボソの息子ルイ3世がプロヴァンスを継承し、キスユラブルグント王国が復活した。ルイ3世は911年に首都をヴィエンヌからアルルに移した。アルルに移した後のキスユラブルグント王国はアルル王国とも呼ぶことがある。ルイ3世の次に928年に即位したウーゴは933年、ユーラブルグント王国に侵攻され、キスユラ・ブルグント王国は滅亡した。