イタリア王国 (中世)

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イタリア王国
中フランク王国 855年 - 963年[1] 神聖ローマ帝国
東フランク王国
西フランク王国
イタリアの位置
947年の西ヨーロッパ。ピンクがイタリア王国の版図。
公用語 不明
首都 不明
イタリア王皇帝
855年 - 875年 ルートヴィヒ2世(ロドヴィコ2世、初代、フランク・ローマ皇帝)
888年 - 924年 ベレンガーリオ1世(フランク・ローマ皇帝)[2]
924年 - 947年 ウーゴ
947年 - 950年 ロターリオ2世
953年 - 963年 アダルベルト2世(最後の独自の王)
変遷
中フランク王国分裂 855年
メルセン条約 870年
西フランク王国に支配される 875年
独自の王を持つようになる 888年
神聖ローマ帝国の支配下となる 963年

イタリア王国ラテン語:Regnum Italiae または Regnum Italicum)は、855年ロタール1世の死後、息子たちが遺領の中フランク王国を3分して治めた国のうち、ロドヴィコ2世が治めたイタリアを指す。

概要[編集]

中部フランク王国(中フランク王国)を3分してできたプロヴァンス王国の王シャルルが863年に死去し、イタリア王国に編入された。しかし869年に中部フランク王国を3分してできたロタリンギアロタール2世が死去したのをきっかけとして、870年メルセン条約で中部フランク王国の旧領の北部は東フランク王国(国王ルートヴィヒ2世)、西フランク王国(国王シャルル2世)に併合されて、東フランク王ルートヴィヒ2世がロタリンギア王位を、西フランク王シャルル2世がプロヴァンス王位を獲得した。

そして、875年ロドヴィコ2世が死去してすぐに西フランク王シャルル2世によって併合され、イタリア王国は西フランク王国領となった。その後、877年の西フランク王シャルル2世の死去を受け、イタリア王位は東フランク王国のバイエルン王カールマンが獲得した。

879年にカールマンは東フランク王国のアレマニア王カール3世に譲った。カール3世によって884年にフランク王国は統一された。しかしそれは一時的なもので、888年のカール3世の死後、フランク王ルートヴィヒ1世の孫のフリウリ公ベレンガーリオ1世がイタリア王を継承した。

共同君主であったベレンガーリオ2世アダルベルトの両者は953年以降、ザクセン族出身の東フランク王オットー1世の後見下の名目上の王となる。962年に東フランク王オットー1世は神聖ローマ皇帝となり、翌963年からイタリア王国は神聖ローマ帝国に包含されることとなり、以後歴代の皇帝はイタリア王も兼ねた。

歴代君主[編集]

963年からイタリア王国は神聖ローマ帝国の一部となり、歴代皇帝はイタリア王も兼ねた。

脚注[編集]

  1. ^ 表記年は神聖ローマ帝国の支配下となった年。875年西フランク王国に支配され、877年東フランク王国に支配される。888年に再び独自の王を持つようになる。
  2. ^ この君主から再び独自の王を持つようになる。

関連項目[編集]


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