東フランク王国

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東フランク王国→王国→ドイツ王国
フランク王国 843年 - 1806年 神聖ローマ帝国
首都 不明
皇帝
843年 - 876年 ルートヴィヒ2世(初代)
876年 - 887年 カール3世(フランク王国最後の統一、フランク・ローマ皇帝)
899年 - 911年 ルートヴィヒ4世(カロリング朝最後)
919年 - 936年 ハインリヒ1世(ザクセン朝初代)
936年 - 973年 オットー1世(初代神聖ローマ皇帝)
変遷
ヴェルダン条約 843年
カール3世のフランク王国の一時的統一 884年
フランク王国最後の分裂 887年
カロリング朝断絶 911年
オットー1世が皇帝に 962年
ドイツの歴史
Coat of arms featuring a large black eagle with wings spread and beak open. The eagle is black, with red talons and beak, and is over a gold background.
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関連項目
オーストリアの歴史

ドイツ ポータル
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東フランク王国:Ostfrankenreich)は、843年ヴェルダン条約によって成立した王国。

概要[編集]

ルートヴィヒ1世の死後、息子ルートヴィヒ2世843年ヴェルダン条約によりフランク王国東部を継承した。中部フランク王国の後退の際、メルセン条約により西フランク王国との間で国境を定め、ロタリンギアロレーヌ周辺地方)を獲得した。

ルートヴィヒ2世の子カール3世881年西ローマ皇帝として戴冠し、884年には西フランク王を兼ねて帝国を再統一したが、887年にはノルマン人の侵入により廃位され、以降「西ローマ帝国(フランク王国)」の統一は永遠に失われることになった。その後、カール3世の甥アルヌルフ891年ルーヴァンの戦いでノルマン人を撃退し、896年、西ローマ皇帝として戴冠した。

911年ルートヴィヒ4世の死により東フランク王国におけるカロリング朝は断絶した。すでに919年には東フランク王国の王権はフランク族の手を離れたため、単に「王国」と呼ばれるようになり、その王も単に「王」とのみ呼ばるようになった。962年にオットー1世がローマ皇帝ともなるが、この時点では「王国」と「帝国」との関係は不明瞭であった。「王国」は、やがて11世紀以降の叙任権闘争の中でドイツ王国と呼ばれるようになり、神聖ローマ帝国を構成する3王国(ドイツ王国、ブルグント王国およびイタリア王国)の1つとして位置づけられることとなる。

歴代国王[編集]

カロリング朝系図
  1. ルートヴィヒ2世843年 - 876年
  2. カールマン876年 - 880年) バイエルン王
  3. カール3世(肥満王)876年 - 887年) アレマニア王 フランク・ローマ皇帝
  4. ルートヴィヒ3世879年 - 882年) ザクセン王
  5. アルヌルフ887年 - 899年)ケルンテン公
  6. ルートヴィヒ4世(幼童王)899年 - 911年
  1. コンラート1世911年 - 918年
  1. ハインリヒ1世919年 - 936年
  2. オットー1世936年 - 973年)※962年以降は神聖ローマ皇帝を併任。
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関連用語[編集]